『史記』 卷110

 
匈奴列傳 第50
 
 
匈奴,其先祖夏后氏之苗裔也,曰淳維。
匈奴の先祖は夏の一族の子孫で淳維という。
 
唐虞以上有山戎、獫狁、葷粥,居于北蠻,隨畜牧而轉移。
唐虞(陶唐氏、有虞氏)よりも以前に山戎獫狁葷粥が有り、北の原野を遊牧しながら転々と移動して居た。
 
其畜之所多則馬、牛、羊,其奇畜則橐駞、驢、驘、駃騠、騊駼、騨騱。
家畜は馬、牛、羊が多く、まれに橐駞(ラクダ)、(ロバ)、(ラバ)、駃騠(ケッテイ)、騊駼(トウト)、騨騱(テンケイ)も飼育する。
 


山戎の通貨「針首刀」

逐水草遷徙,毋城郭常處耕田之業,然亦各有分地。
水と草を求めて移動し、城郭を持たず農耕もしないが、それぞれの地に分かれている。
 
毋文書,以言語為約束。
文書がないので約束は言葉をもってする。
 
兒能騎羊,引弓射鳥鼠;少長則射狐兔:用為食。
こどもでも羊に乗ることができ、鳥や鼠を弓で射て(少し成長すると狐や兎)食用とする。
 
士力能毋弓,盡為甲騎。
弓が苦手な者は甲冑をまとい騎兵となる。
 
其俗,寬則隨畜,因射獵禽獸為生業,急則人習戰攻以侵伐,其天性也。
その生活は、普段は放牧したり、禽獣を狩猟して生活しつつ、即座に戦闘態勢を整えて侵攻するのがその天性である。
 
其長兵則弓矢,短兵則刀鋋。
長距離戦では弓矢で戦い、接近戦では刀と鑓で戦う。
 
利則進,不利則退,不羞遁走。
有利であれば前進し、不利であれば退き、敗走することを恥とはしない。
 
茍利所在,不知禮義。
利が有ると見れば手段を選ばない。
 
自君王以下,咸食畜肉,衣其皮革,被旃裘。
君王以下全員が家畜の肉を食べ、その皮を衣にして身にまとう。
 
壯者食肥美,老者食其餘。
壮健なものは上質の肉を食べ、老人がその余りを食べる。
 
貴壯健,賤老弱。
壮健が貴ばれ、老弱は賤しめられる。
 
父死,妻其後母;兄弟死,皆取其妻妻之。
父親が死ぬと継母は妻として迎える(兄弟が死んだ場合も同じ)。
 
其俗有名不諱,而無姓字。
諱(忌み名)ではなく名前で呼び合い、姓と字は無い。
 
 
モンゴルの歴史 – Wikipedia
 
 
夏道衰,而公劉失其稷官,變于西戎,邑于豳。
夏の治世が衰退し、公劉は稷官職を失ったので、西戎の豳に邑(村)を開拓する。
 
其後三百有餘歲,戎狄攻大王亶父,亶父亡走岐下,而豳人悉從亶父而邑焉,作周。
その後300有余の歳月が流れ、戎狄が大王の亶父を攻めたので、亶父は岐山の下に逃げ、邑の豳人も悉く亶父に従ったらしく、周を作った。
 
其後百有餘歲,周西伯昌伐畎夷氏。
その後100有余の歳月が流れ、周の西伯昌(文王)は(犬戎)の畎夷氏(別名:混夷、昆夷)を攻伐した。
 
後十有餘年,武王伐紂而營雒邑,復居于酆鄗,放逐戎夷涇、洛之北,以時入貢,命曰「荒服」。
その後10有余の歳月が流れ、武王は紂王(殷)を攻伐して雒邑を営み、酆鄗(鎬京)に居を復し、戎夷を涇河、洛河の北に追い払ったので、入貢する使節は「荒服」と命名された。
 
(後略)