『後漢書』

作者 范曄(劉宋) / 司馬彪(晋)
東夷列伝 卷八十五 第七十五
 
 
三韓:

有三種:一曰馬韓,二曰辰韓,三曰弁辰
韓に三種あり(一に馬韓、二に辰韓、三に弁辰)。

馬韓在西,有五十四國,其北與樂浪,南與接,辰韓在東,十有二國,其北與濊貊接。
馬韓は西に在り、五十四国があって、その北は楽浪、南は倭と接し、辰韓は東に在り、十と二国があって、その北は濊貊と接す。

弁辰在辰韓之南,亦十有二國,其南亦與接。
弁辰は辰韓の南に在り、同じく十と二国があって、その南は同じく倭と接す。

七十八國伯濟是其一國焉。
凡そ七十八国で、伯済(百済)国はその一国のようだ。

大者萬餘戸,小者數千家,各在山海閒,地合方四千餘里,東西以海為限,皆古之辰國也。
大きい者(国)は一万余戸、小さい国は数千家で、各々山と海の間に在り、土地を合わせると四千余里四方で、東西は海で限られ、皆が古の「辰国」である。

馬韓最大,共立其種為辰王,都目支國盡王三韓之地。
馬韓が最大で、三種の王を共立して辰王と為す、都目支国が、三韓を蓋する王の地である。

諸國王先皆是馬韓種人焉。
その諸国の王の先祖は皆が馬韓種の人のようだ。
  
 
 
馬韓:

馬韓人知田蠶,作綿布
馬韓人は稲作・養蚕を知り、綿布を作る。

大栗如梨。
梨のように大きな栗を産出する。

長尾雞,尾長五尺。
尾長鶏があり、尾の長さは五尺。

邑落雜居,亦無城郭
邑落に雑居し、城郭は無い。

作土室,形如冢,開戸在上。
家の形に土を掘って室(ムロ)を作り、開き戸は上に在る。

不知跪拜
「跪拝」を知らない。

無長幼男女之別
老若男女は別れていない。

不貴金寶錦罽,不知騎乘牛馬,唯重瓔珠,以綴衣為飾,及縣頸垂耳。
金宝錦織を貴ばず、牛や馬に乗ることを知らず、瓔珠だけ珍重し、衣に綴って飾り、及び頸に懸けたり耳から垂らす。

大率皆魁頭露紒,布袍草履。
大率(統率)者は皆が頭の上で髪を束ね、布袍(礼服)を着て草履を履く。

其人壯勇,少年有築室作力者,輒以繩貫脊皮,縋以大木,嚾呼為健。
その人柄は勇壮で、少年にも室(ムロ)を築く力強い者があり、背中の皮に縄を通して大きな木を下げ、壮健を喚呼する。

常以五月田竟祭鬼神,晝夜酒會,群聚歌舞,舞輒數十人相隨,蹋地為節
五月の田植が終わると鬼神を祭るのが常で、夜通し酒会を開いて、群れ集いて歌い舞い、舞は数十人が輪を作り、地面を踏んで節をつける。

十月農功畢,亦復如之。
十月の収穫を終えると、同じくこの如きを復して行なう。

諸國邑各以一人主祭天神,號為天君
諸国の邑は各々が一人の天神を主祭し、「天君」と号する。

又立蘇塗,建大木以縣鈴鼓,事鬼神。
また蘇塗(ソト)を立て、大きな柱を建てて鈴や鼓を懸け、鬼神の事を行なう。

其南界近,亦有文身者。
倭に近いその南界には、同じように刺青を入れた者がある。
 


蘇 塗

 
 
 
辰韓:

辰韓,耆老自言秦之亡人,避苦役,適韓國,馬韓割東界地與之。
辰韓は、古老が言うに秦を亡命した人が、苦役を避け、韓の国に適応し、馬韓から東の地を割譲されて興った。

其名國為,弓為,賊為,行酒為行觴、相呼為,有似秦語,故或名之為秦韓
国を「邦」、弓を「弧」、賊を「寇」、酒を回すことを「觴(杯)を回す」、相(集団)を「徒」という名で呼ぶのは、秦の言葉に似たところがあり、故に「秦韓」という名もある。

有城柵屋室
城柵、家屋、室(ムロ)がある。

諸小別邑,各有渠帥,大者名臣智,次有儉側,次有樊秖,次有殺奚,次有邑借
諸々の小邑に別れ、各々に渠師があり、一番上は臣智、次は儉側、次は樊秖、次は殺奚、次は邑借。

土地肥美,宜五穀。
土地は肥美で、五穀に適宜。

知蠶桑,作縑布
養蚕を知り、目の堅い布を作る。

乘駕牛馬
牛車や馬車に乗る。

嫁娶以禮。
婚禮式で嫁を娶る。

行者讓路。
行く者は婚禮に路を譲る。

國出鐵,濊,倭,馬韓並從之。
国は鉄を産出し、濊、倭、馬韓は並んで鉄の市に従う。

凡諸貨易,皆以鐵為貨
凡そ諸貿易は、皆が鉄を貨幣に使用する。

俗憙歌舞,飲酒,鼓瑟。
俗衆は歌舞、飲酒、鼓瑟を喜ぶ。

兒生欲令其頭扁,皆押之以石。
子どもが生まれるとその頭を長くしたがり、皆が頭を石で押さえる。
 


頭蓋変形 – Wikipedia

 
 
 
弁辰:

弁辰辰韓雜居,城郭衣服皆同,言語風俗有異
弁辰と辰韓は雑居し、城郭と衣服は皆同じ、言語と風俗には差異がある。

其人形皆長大美髮,衣服絜清
その人の形は皆が身長が高く、髪が美しく、衣服は清潔。

而刑法嚴峻。
しかれど、刑法は厳峻。

其國近,故頗有文身者。
その国は倭に近いので、刺青を入れた者がすこぶるあり。
 
 
 
初,朝鮮王衛滿所破,乃將其餘眾數千人走入海,攻馬韓,破之,自立為韓王
初め、朝鮮王「準」が「衛満」に所を破られ、(準と)将とその余衆数千人は海に逃れ馬韓に攻め入り、これを破って、自ら「韓王」に立つ。

後滅絶,馬韓人復自立為辰王
準の後が滅び絶えると、馬韓人は自ら「辰王」を復して立てる。

建武二十年,韓人廉斯人蘇馬諟等,詣樂浪貢獻。
建武二十年(44年)、 韓人で廉斯人の蘇馬諟らが、楽浪を詣で貢献する。

光武封蘇馬諟為漢廉斯邑君,使屬樂浪郡,四時朝謁。
光武帝は蘇馬諟らを漢の廉斯邑君に封じ、楽浪郡に属す使者は、春夏秋冬に朝謁する。

靈帝末,韓、濊並盛,郡縣不能制,百姓苦亂,多流亡入韓者
霊帝の末期、韓と濊は並んで盛り、百姓が苦乱から、流亡し韓に多くの者が入るのを、郡県に制することは不能。
 
 
 
馬韓之西,海島上有州胡國
馬韓の西の、海の島の上に「州胡国」あり。

其人短小,髡頭,衣韋衣,有上無下。
その人は身長が低く、頭を剃り、衣はなめし皮で、上だけ着て下は無い。

好養牛豕,乘船往來,貨市韓中。
牛・猪を好く養い、韓の中の貨幣市場に、船に乗って往来する。
 
 

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