『晋 書』 倭 人

巻九十七 東 夷
撰:房玄齡 (唐) 等
 
 
倭 人

倭人在帶方東南大海中,依山島爲國,地多山林,無良田,食海物。
 
舊有百餘小國相接,至魏時,有三十國通好。
 
戸有七萬。
 
男子無大小,悉黥面文身。
 
自謂太伯之後,又言上古使詣中國,皆自稱大夫。
 
昔夏少康之子封於會稽,繼發文身以避蛟龍之害,今倭人好沈沒取魚,亦文身以厭水禽。
 
計其道里,當會稽東冶之東。
 
其男子衣以橫幅,但結束相連,略無縫綴。
 
婦人衣如單被,穿其中央以貫頭,而皆被發徒跣。
 
其地温暖,俗種禾稻糸甯麻而蠶桑織績。
 
土無牛馬,有刀楯弓箭,以鐵爲鏃。
 
有屋宇,父母兄弟臥息異處。
 
食飲用俎豆。
 
『三国志・魏書』 既 出

 
嫁娶不持錢帛,以衣迎之。
嫁を娶るのに結納の金品は所持せず、婚礼衣装にてこれを迎える。
 

死有棺無槨,封土爲塚。
 
初喪,哭泣,不食肉。
 
已葬,舉家入水澡浴自潔,以除不祥。
 
其舉大事,輒灼骨以占吉凶。
 
不知正歳四節,但計秋收之時以爲年紀。
 
人多壽百年,或八九十。
 
國多婦女,不淫不妒。
 
無爭訟,犯輕罪者沒其妻孥,重者族滅其家。
 
舊以男子爲主。
 
『三国志・魏書』 既 出

 
漢末,倭人亂,攻伐不定,乃立女子爲王,名曰卑彌呼
漢の末期、倭人は乱れ、攻伐が定まらず、そこで女子を王に立て、名は卑彌呼という。

宣帝之平公孫氏也,其女王遣使至帶方朝見,其後貢聘不絶。
宣帝が平定(238年)した公孫淵の氏族なりて、其の女王は使者を遣わせ帯方に朝見に至り、其の後貢物の訪朝は絶えず。

文帝作相,又數至。
および文帝が相国になると(260年)、また数回至る。

泰始初,遣使重譯入貢。
泰始(265~274年)初期、通訳を重ねて使者を遣わせ入貢。
 
 

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