『梁 書』

巻五十四 第四十八 東夷諸戎
撰:姚思廉 (唐) 等
 
倭 条

倭者,自云太伯之後,俗皆文身。
倭の者は、自らを「太伯」の後裔といい、俗衆は皆刺青を入れている。

去帯方万二千余里,大抵在会稽之東,相去絶遠。
帯方を去ること一万二千里余りで、大抵は会稽の東に在り、相互に遠く孤立している。

従帯方至倭,循海水行,歴韓国,乍東乍南,七千余里始度一海;

海闊千余里,名瀚海,至一支国

又度一海千余里,名未盧国

又東南陸行五百里,至伊都国

又東南行百里,至奴国

又東行百里,至不彌国

又南水行二十日,至投馬国

又南水行十日,陸行一月日,至邪馬台国,即倭王所居。

其官有伊支馬,次曰彌馬獲支,次曰奴往鞮。
 
 
 
民種禾稲紵麻,蚕桑織績。
民は雑穀、稲、紵、麻の種を撒き、桑で蚕を育てて織績を営む。

有薑、桂、橘、椒、蘇。
薑、桂、橘、椒、蘇が有る。

出黒雉、真珠、青玉。
黒雉、真珠、青玉(ヒスイ)を産出する。

有獣如牛,名山鼠;又有大蛇呑此獣。
「山鼠」という名の牛の如き獣あり(またこの獣を呑み込む大蛇あり)。

蛇皮堅不可斫,其上有孔,乍開乍閉,時或有光,射之中,蛇則死矣。
大蛇の皮は堅く傷つけることは不可能で、その上部に孔があって、開いたり閉じたり、時々光ることがあり、この中に矢を射ると、大蛇はすぐに死ぬらしい。

物産略与儋耳、朱崖同。
所産物の大略は儋耳、朱崖と同じ。
  
 
 
地温暖,風俗不淫。

男女皆露紒。

富貴者以錦繡雑彩為帽,似中国公頭。
富貴者は錦で彩った刺繍を帽り、中国の「胡人」の役人の頭のようだ。

食飲用籩豆。

其死,有棺無槨,封土作家。

人性皆嗜酒。

俗不知正歳,多寿考,多至八九十,或至百歳。

其俗女多男少,貴者至四五妻,賎者猶二三妻。

婦人無淫妬。

無盗窃,少諍訟。

若犯法,軽者没其妻子,重則滅其宗族。
  

霊帝光和中,倭国乱,相攻伐歴年,乃共立一女子卑彌呼為王。
「漢」の「霊帝」の光和中頃(181年)、倭の国は乱れ、相互に攻伐すること歴年で、そこで「卑彌呼」という一人の女を王に共立した。

 
彌呼無夫婿,挟鬼道,能惑衆,故国人立之。

有男弟佐治国。

自為王,少有見者,以婢千人自侍,唯使一男子出入伝教令。

所処宮室,常有兵守衛。
 

至魏景初三年,公孫淵誅後,卑彌呼始遣使朝貢,魏以為親魏王,仮金印紫綬。
魏の景初三年(239年)に至り、「公孫淵」を誅した(238年)後に、卑彌呼の遣使が朝貢を始め、魏は「親魏王」として、金印紫綬を仮に授けた。

正始中,卑彌呼死,更立男王,国中不服,更相誅殺,復立卑彌呼宗女台与為王。
正始の中頃(245年)、卑彌呼が死に、更に男王を立てたが、国中がこれに服さず、更に相互に誅殺を重ねたので、卑彌呼の宗女の台与を王に復立した。

 
其後復立男王,並受中国爵命
その後再び男王を立て、並びに中国の「爵命」を受ける。
 

安帝時,有倭王
「晋」の「安帝」の時(396年~403年)、倭の王は賛であった。

 
賛死,立弟
賛が死ぬと、弟の彌が王に立ち;

彌死,立子
彌が死ぬと、子の済が王に立ち;

済死,立子
済が死ぬと、子の興が王に立ち;

興死,立弟
興が死ぬと、弟の武が王に立った。
 

建元中,除武持節、督倭新羅任那伽羅秦韓慕韓六国諸軍事、鎮東大将軍。
「斉」の建元中頃(480年)、武を「持節」、「倭・新羅・任那・伽羅・秦韓・慕韓の六国の諸軍事を司る都督」、「鎮東大将軍」に除す。

高祖即位,進武号征東将軍。
高祖が即位(494年)すると、武の号を「征東将軍」に進めた。

 
其南有侏儒国,人長三四尺。

又南黒歯国裸国,去倭四千余里,船行可一年至。

又西南万里有海人,身黒眼白,裸而醜。
また南に一万里に海人があり、肌が黒く目は白く、裸で醜い。

其肉美,行者或射而食之。
その肉は美味で、行く者は弓で射たりしてこれを食する。
 

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