ケンペル

『江戸参府旅行日記』
ケンペル(斎藤信訳) 『江戸参府旅行日記』
東洋文庫303, 平凡社, 1977

エンゲルベルト・ケンペル (Engelbert Kaempfer, 1651~1716) はドイツの医学者・博物学者で、1690~92(元禄3~5)年にオランダ商館の医師を勤めた。

在任中の1691年2月~5月と1692年3月~5月の二度にわたって、長崎・江戸間を往復した。

著書『日本誌 (Geschichte und Beschreibung von Japan) 』は死後の1717年にまず英訳本が出版され、ドイツ語版は1777~79年にようやく出版された。東洋文庫版は、その第二巻第五章に当たる。

 

それから馬に乗っている日本人は、遠くから見ると非常に滑稽な姿勢をしている。なぜかというと、日本人は元来背が低く肩幅が広い体格をしているし、そのうえ馬上で大きな帽子をかぶり、幅が広くふくらんだ外套を着、ダブダブのズボンをはいているので、背丈と横幅がほとんど同じくらいになってしまうからである。
(p.12)

田畑や村の便所のそばの、地面と同じ高さに埋め込んだ蓋もなく開け放しの桶の中に、この悪臭を発するものが貯蔵されている。百姓たちが毎日食べる大根の腐ったにおいがそれに加わるので、新しい道がわれわれの眼を楽しませるのに、これとは反対に鼻の方は不快を感ぜずにはいられないことを、ご想像いただきたい。
(p.19)

そしてどんな小部屋でもきれいに飾ってあって、そうでないのを見受けることがないのは、国内の材料でこと足りるからである。従ってきれいにしておくことが一層容易なのである。
 
家は杉や松の材木で建てられ、前から後ろへ風通しが良いように開け放すことができるので、大へん健康的な住居と考えてよい。
(p.27)

しかしながら、これらの法律を厳密に考察すると、われわれキリスト教徒の国々よりも、この大きな異教の国では、刑場が人間の肉体で満ち溢れ、犯罪人の血で煙ることは少ない
 
平生は自分の生命をそれほどとも思っていないこのタタール人的な強情な国民も、全く避け難い死刑に対する恐怖の念で甚だしく抑制され、犯罪の減少を可能にしている
(p.31 – 32)

だから中国人が日本の国を、中国の売春宿と呼んだのは不当ではない。なぜなら中国では娼家と売春とは厳罰を課してこれを禁止しているからである。だから若い中国人は情欲をさまし銭を捨てに、よく日本にやってくるのである。
(p.61)

さて、長崎からの同伴者のような、人間のくずみたいな連中は除外しなければならないが、旅館の主人らの礼儀正しい応対から、日本人の礼儀正しさが推定される。旅行中、突然の訪問の折りにわれわれが気付いたのであるが、世界中のいかなる国民でも、礼儀という点で日本人にまさるものはない
 
のみならず彼らの行状は、身分の低い百姓から最も身分の高い大名に至るまで大へん礼儀正しいので、われわれは国全体を礼儀作法を教える高等学校と呼んでもよかろう。
 
そして彼らは才気があり、好奇心が強い人たちで、すべて異国の品物を大へん大事にするから、もし許されることなら、われわれを外来者として大切にするだろうと思う。
(p.70 – 71)

住民は均整がとれていて小柄である。ことに婦人に関しては、アジアのどんな地方でも、この土地の女性ほどよく発育し美しい人に出会うことはない
 
ただ、いつもこってりと白粉を塗っているので、もしもその楽しげで朗らかな顔つきが生気を示すことがなかったら、われわれは彼女たちを操り人形だと思ったであろう。
(p.87)

見附の宿場はずれの小さい部落の手前には、ふしだらな女性が大勢いた。戸外には俄雨でずぶぬれになった瀕死の僧侶がうつぶせになっていた。それでもまだ生きている証拠にうめき声を出していたので、みんなは彼のことを死んでいるとは考えず、手荒く扱わないようにしていた。しかし、石も涙を流すかもしれないこうした場面にも、日本人は全く冷淡であった
(p.212)

欧米から見た日本

 
 

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