シリアってどんな国?

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執筆者:辻 雅之 (2003.04.18)
 
 
【何千年も続くシリアの歴史】

シリアの名前は紀元前20世紀にさかのぼる?

イラクの次はシリア、というムードただよう状況になってきました。シリアっていったいどのような国なのでしょう。

イラクもそうですが、シリアはさらに歴史の深い国です。もともと紀元前20世紀におこったアッシリア帝国に「シリア」の由来がある、といわれているくらいですから。

そのアッシリア帝国が紀元前7世紀にエジプトからイラン西部まで統一、これが紀元前612年に崩壊していろんな国にわかれるのですが、このなかの新バビロニア王国の征服地域にすでに「シリア」という地名があり、首都である「ダマスクス」もできていました。

それぐらい古い歴史をもつ国なのですが、その後ローマ帝国→イスラム帝国→オスマン‐トルコ→フランスと支配の歴史がくりかえされ、独立したのは1946年です。

独立してから、政情不安がつづき、バース党の政権ができてからも派閥抗争などが頻発します。また1958年から1961年まではエジプト・イエメンとアラブ連合共和国を結成するなどしていました。

そんなシリアの安定は1970年、アサド将軍がクーデターにより政権を獲得、翌年大統領になってもたらされます。非常に厳格な独裁体制をしく一方、富裕地主から小作地をとりあげて農民たちに再分配するなど、巧みに国政を掌握していきました。

そんなシリアですが、1967年の第3次中東戦争によって、イスラエル国境付近のゴラン高原が占領されています。1973年の第4次中東戦争で一時奪回したものの、その後最占領され、今日に至っています。今ではPKOが入り、両軍の兵力を引離しています(日本も参加しています)。

また、隣国レバノンの内戦に1970年代から介入します。このとき外国人が人質になったり、パレスチナ人によるテロ活動には、シリアの支援があったといわれています。今でも3万人強のシリア軍がレバノンに駐留し続けています。
 

 
 
【フセイン政権と共通点? シラクのアサド政権】

宗教少数派がバース党を基盤にして多数派を支配する構造

フセイン政権とアサド政権の共通点は、非常に多くあります。

一つは、バース党を基盤としていた独裁政権という点です。バース党は、もともとアラブ人の統一国家と近代化を目指した超国家的な政党で、創始者はキリスト教徒です。

しかし、フセイン政権もアサド政権も、このバース党を政権基盤とし、軍や国民を独裁的に支配してきました。

ちなみに、イラクとシリアのバース党は、交流があるどころか、かなり悪い関係にあるようです。もっとも、シリアがイラクからの密貿易を通じて、ここ数年関係を修復しているようなふしもあるようなのですが…。

アサド政権とフセイン政権は、宗教少数派を基盤としているところも共通しています。

フセイン政権は人口の3分の1を占めるスンニ派の出身ですが、のこりのシーア派を支配してきました。アサド政権もまた、人口2割弱のアラウィー派を拠点として、のこりのスンニ派を支配してきました。

アラウィー派はイスラム社会の中でも非常に少数派で、クリスマスや復活祭などキリスト教徒の要素も受け入れている独特の教義を持っています。ですからアサド政権誕生前は迫害の対象だったのですが、一転、体制側となっています。

スンニ派への支配は、それほど順調ではありませんでした。反抗するものには容赦のない弾圧を行い、反感を買ったようです。また、社会主義体制をとったために、厳格なスンニ派教徒からはげしい反発もおこりました。

そこで1980年代、スンニ派で原理主義的な「ムスリム同胞団」が、バース党本部を爆撃したり、アサドの側近たちを殺害したりしました。

しかし、アサドは1982年、ハマという都市で発生したムスリム同胞団の蜂起を徹底的に鎮圧、都市は破壊され1万人以上の死者が出たといいます。

こんなシリアとイラク、たしかに西欧社会から見れば「フセインの次はアサド」という感じなのかもしれませんね。
 

 
 
【ちょっとずつ進みはじめている民主的改革】

イラクと同一視してしまうのはどうかと思う「ダマスカスの春」

そんなアサド政権ですが、いままでいってきたアサド大統領は実は2000年に死去しています。そして、すぐさま次男(長男はすでに死亡)のバシャールが大統領職を次いでいるのです。だからアサドの次はアサド。ややこしいのでバシャール大統領とよびましょう。

バシャールは眼科医としてイギリスに滞在していた経験があるせいか、ゆっくりとした改革を行いつつあります。この動きを「ダマスカスの春」ということがあります。銀行の民営化、証券取引所の設置などを打ち出し、また民間新聞発行の許可、政治犯への恩赦、野党活動再開の容認なども行っています。

しかし、民主化の動きはゆっくりとしたもので、いぜんとしてバース党・アラウィー派の独裁体制はつづいたままです。一度は撤去された町中の故アサド大統領の肖像も、今は復活しているようです。

どうやらバシャールは経済の改革を先行させるか、または一党独裁をくずさないため経済の改革のみに専念しようとしているようにみえます。

または、政権内部でも改革派、保守派の対立があるのかもしれません。たとえば2000年末に長年続いてきた「戒厳令」の解除を大統領が発表したと報じられましたが、翌年1月、オムラン情報相がこれを否定する発表をしました。これは、政権内部での対立を反映した動きだったのかもしれません。

こんなシリアですが、長年アメリカとは敵対関係にあり、アメリカはシリアを「テロ支援国家」「ならず者国家」などといってきました。たしかに、故アサド大統領時代にはパレスチナゲリラのテロを支援してきたといわれるシリア。イラクの次はシリアをなんとかしたいのかもしれません。

しかし、このバシャールの改革を見守りたいという気持ちもあるはずで、シリア情勢が良化すればパレスチナ和平も前進が見込めるだけに、アメリカには慎重な外交政策をお願いしたいところです。
 

 
 

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