ドン・ロドリゴ

『日本見聞録』
村上直次郎譯註 『ドン・ロドリゴ日本見聞録/ビスカイノ金銀島探検報告』
奥川書房, 1941.

ドン・ロドリゴ、本名ロドリゴ・デ・ビベロ・イ・ベラスコ (Rodrigo de Vivero y Velasco, 1564~1636) はメキシコの政治家で、江戸初期に日本に漂着し見聞記を残した。

1608年6月からフィリピン臨時総督としてマニラに滞在したロドリゴは、次期総督と交代のため1609(慶長14)年7月メキシコへの帰路に着いた。

しかし台風のためロドリゴを乗せたサン・フランシスコ号は上総国岩和田村(千葉県御宿町)の海岸で難破し、地元民に救助された。

大多喜藩主本多忠朝に厚遇されたロドリゴ一行は、江戸へ送られ徳川秀忠と会見し、さらに駿府城で徳川家康とも会見した。

豊後でサンタ・アナ号が遠洋航海に耐えないことを確認したロドリゴは、江戸に引き返した。そして江戸湾に停泊中だった按針丸を提供され、サン・ブエナベンツーラ号と改名し、1610年8月1日(慶長15年6月13日)出航した。

同号は10月27日、無事にマタンチェルに到着した。ロドリゴは日本で救助され厚遇されたためか、カトリックらしい偏見はあるものの、日本人に対しかなり好意的である。
 

日本に於ては地震を恐れ、大身等の通常睡眠し又居住する室は石を以て造らず、而も其巧妙に工作し、金銀の各種の型及び色を用ひ、啻に天井のみならず、床より上方に至るまで常に見るべきものあり。
 
予はトノの居りし室に至り坐に着きて暫く語りたる後、彼は武器庫を示したるが、一箇の騎士の所有にあらず、國王の所有するものなりと思はれたり。
(p.13 – 14)

此市(江戸)及び街路には觀るべき物甚だ多く、市政も亦大に見るべき所あり。ローマ人の政治と競ふことを得べし。市街は互に優劣なく、皆一様に幅廣く又長くして直なること西班牙の市外に勝れり
 
家は木造にして二階建なるものあり、而して外觀に於ては我が家屋優良なれども、内部の美は彼遙に勝れり。又街路は淸潔にして何人も之を蹈まずと思はるゝ程なり。
(p.16 – 17)

次に宮中(江戸城)の第一室あり、床も壁も天井も見るべからず。何となれば床には疊(tatames)と稱し我が席よりも遙に美しきものあり。疊は端に金の織物、金にて花を(繍 繡)出せる天鵞絨等の飾を施し、方形にして机の如く互に並べ合はすべき甚だ精巧なるものなり。
 
壁は皆木と板とを以て造り、金銀竝に繪具を以て狩獵の繪を畫けり。天井も亦之に同じく、木地は見ることを得ず。
 
我等外國人は此の第一室にて觀たる所に勝りたるものは望むべからずと考へしに、第二室は之より好く、第三室は更に之に勝り、内に進むに從ひ益々巧妙にして美麗なり
(p.22)

予は五日間旅行して終に駿河(Surrunga)に着きしが、太子の豫告に依り各所に於て大に款待せられたり。若し此野蠻人の間にデウス缺けず、我國王の臣下たらば、予は古郷を捨てゝ此地を選ばんとす
(p.25)

駿河より都まで八十レグワにして、道は平坦にして愉快なり。途中數個の水多き河あれども、一方より他方に曳船にて渡り、船は甚だ大にして旅客の馬自由に之に入ることを得べし。
 
旅客者多數なれども途中無人の地に宿泊することなし。何となれば前に述べたる如く、日本國中一レグワの四分の一の不毛の地なく、若し村小にして家屋處々に散在せば驚くこと少なきも、此の如く廣大にして交通盛に、又街路及び家屋の淸潔なる町々は世界の何れの國に於ても見ることなきこと確實なり
(p.42)

予は思ふに、當地(大坂)は日本國中最も立派なる所にして、人口は二十萬あり、海水其家屋に波打つが故に、非常に潤澤に海陸の贈物を具有せり。家屋は二階建を通常とし、構造巧なり。
(p. )

日本人は戰を好み、支那人、高麗人、テレナテ人(Therenates)其他マニラ付近の何れの國民よりも勇敢なり。彼等は長銃を用ひ、其發射は確實なれども、速度遅し。又大砲を有すれども、少數にして操方拙なり。戰爭に於ては好く命令に服從す。
 
但し今は何國とも戰はず、又之と戰爭を開く者あるべしとも思はれず。大支那若し其武力を用ふることあるも、日本には地勢上攻陥不能なる城多數あり。
(p.70)

此國は天の授けたる特別優良なる物を有し、氣候はイスパニヤの氣候に似たり、但し冬は遙に寒冽なり。饑餓及び疫病を知らず、又其話を聞きたることなし。其國の最大なる不幸は、貧民に對する富者の壓迫酷使なり
 
然れども小麥、大麥及び米に不作の年なく、収穫多量なるが故に、能く諸人を養ひ、寧ろ外國の人及び船の來りて糧食を輸出せんことを希望せり。
(p.70 – 71)

日本人は飲酒の悪癖あり、之より他の更に大なる惡事を生ず、即ち己の有する妻を以て滿足せず、力の限多くせんとし、時には百人を超ゆることあり。彼等は妻に對して忠實ならざれども、彼女等は之に反し、嫁したる婦人の夫に背きて不義を行ひたるを聞くことは甚だ稀にして、珍しき事なり。
 
日本人は甚だ鋭敏なれども堅實ならず、商賣に巧妙にして、此業に於て他人を欺くこと最も巧妙なる者を尊重す
(p.71)

日本は嘗て他の國民より敗られ又は征服せられたることなし。支那人及び高麗人は來り戰ふこと數次なりしが、常に手を頭に當てゝ引還したることは他の人達の記するが如し。彼等は穎知にして互に禮儀を重んず
(p.95)

彼等の市政は優良にして、之を治むる者は非常なる注意を以て公事に當れり
 
家屋は甚だ淸潔にして、市外に至る迄大に淸潔にす。
 
其土地は金銀に富み、若し鑛夫及び水銀あらば更に多量を収むべし。
 
小麥はイスパニヤよりも良く、産額又多量にして通常1アネガ(フアネガ(Fanega)にして64、6アレア(1アレアは10m平方に當る)より50アネガ(Fanega穀量にして1フアネガ55.5リットルに當る)を収納すれども、日常の食料は米なり。
 
パン(pan)は果物の如く少量に食し、肉は狩獵に依りて殺したるものゝ肉の外は食せず。狩獵及び漁業の獲物は鹿・兎・鶉・鴨其他川及び湖上の鳥類等我等よりも多く有せり。
(p.96)

日本人の政治は世界の諸國に就きて予が知るものに勝れり。デオス(Dios(神))を識らざる國民にして、此の如く完全にして慈悲に適へる法律を有するは忌々しき事と思はる。
 
此國に於ては前に述べたるが如く、惡事は皆罰するが故に、盗賊少く彼等の爲めに道路の不安なる事全然なし。
(p.100)

婦人は持參金なくして嫁し、貴人及び大身達は其身分に相當なりと考ふる數の夫人を有し、或は50人60人を超ゆることあれども、第一を以て最も大なる夫人とし、此人の子女を最も尊敬す。然れども他の何れの夫人寵幸せらるゝも之を侮辱となすことを得ず。
 
甚だ貧窮なる者は唯一人を養ひ、他は其資力に應じて二人又は四人を養へり。
(p.102)

日本國民は勇敢傲慢にして、之を誇ること思慮ある理智の人の如くならず寧ろ野蠻人に似たり
 
何となれば啻に戰場に於て勇敢なるのみならず、若し犯罪の爲め死刑の宣告を受けたる時は、刑吏の之を執行するを欲せず、自殺するが故なり。
(p.107)

此國人は物を與ふるに吝なり。又性急にして忍從ならざるを常とす。
(p.108)

此六十六箇國には多數の都市あり、廣大にして人口多く、淸潔にして秩序正しく、欧洲に於て之と比較すべきものを發見すること困難なるべし。而して陸路を行くこと二百レグワを超ゆるも人の居住せざる地一レグワを見ること稀なり。
 
家屋市街及び城郭は善美にして、これを過賞すること難し。人民の數非常に多く、悉く國内に容るゝこと能はざるが如し。人口二十萬の市多く、都の市は八十萬を超えたり
 
此等の住民若しイスパニヤ土人の如く野蠻ならば恐るゝに足らざれども、彼等は長銃を有し最も熟練せる兵士の如く巧妙に之を用ふ。又弓、矢、鎗、及びカタナ(cathanas)と稱する劍及び短劍を有す。
 
而してイスパニヤ人と同じく勇敢なるのみならず議論及び理解の能力に於ても之に劣ることなし
(p.113 – 114)

是故に國内には常に甚だ多數の武装せる兵士ありと言ふことを得べし。又力あり名譽を重んずる國民なるが故に、其勇氣に付十分に信頼することを得べし。
 
而して軍事上の訓練に於ては我等に劣る所あれども、生命を輕しとすることに於ては、劣る所なきのみならず、只外見の爲め之を失ふ者も多數あり。
(p.155)

欧米から見た日本

 
 

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