ナショナリズムについて

「Note on Nationalism」
ジョージ・オーウェル (1945)

 どこだったかでバイロンが、❝ LONGEUR ❞ というフランス語の単語を引いてこの言葉を英語に翻訳しようとして、それと対応する言葉がないことに気がついたと書いていた。それと対応する物は、無視できないほど大量に存在するというのにだ。

 同じように、現在広く蔓延しているある思考の傾向が存在し、それがほとんど全ての物事に対して私たちの思考に影響を与えているというのに、それには未だに名前が与えられていない。意味が最も近い既存の言葉で言えば、「ナショナリズム」だ。

 だがそれは「本来の意味」からすると、私がその言葉を使わない場面で観察されることがある。つまり、私が言っている「感情」というのは、必ずしも「国家」と呼ばれるもの(一つの民族や地理的な領域)に結び付けられないのだ。

 それは「教派」や「階級」と結びついているように見える。あるいは、単に「ネガティブ」な意味で何かに敵対する場合に働き、「ポジティブ」な忠誠心といったものは、なんら必要としていないようなのだ。

 「ナショナリズム」という言葉で私が言っているのはまず第一に、人類は昆虫と同じように「分類」できると見なす傾向であり、何百万あるいは何千万もの人々の区分全体を、自信満々で「善いもの」か「悪いもの」にラベル付けできるという傾向だ(下記の注記を参照)。

 だがその次に(そしてこれはさらに重要なことなのだが)私が言っているのは、自分自身を一つの「国家」あるいは「組織」に基いて自己定義し、それを「善悪」の上に置き、その利害の他には何ら義務を感じないという傾向なのだ。

 「ナショナリズム」が「パトリオティズム(愛国心)」と混同されることはない。二つの言葉はどちらも普通とても「曖昧」な使われ方をし、その「定義」には疑問が投げかけられやすい。だが、両者ははっきりと区別しなくてはならない。この二つは異なるものだし、正反対の概念さえ含んでいるのだ。

 「パトリオティズム」という言葉で私が言っているのは、「特定の地域」あるいは「特定の生活」の仕方に対する献身的な愛情だ。それらを世界で最高のものであると信じるが、それを他の人々に強要するつもりは毛頭ないという考え方だ。「パトリオティズム」はその性質からして受動的なもので、それは軍事面に対しても文化面に対しても言える。

 一方「ナショナリズム」は、「権力」に対する欲求と切り離すことができない。すべてのナショナリストの変わることのない目標は、「さらなる権力、さらなる名声を得る」ことである。その「名声」とは自分自身に対するものではなく、自分がその人格を沈み込ませることを選んだ「国家」あるいは「組織」に対するものだ。
 

注記 :「国家」あるいはもっと曖昧な存在である「カトリック教会」や「プロテスタント」といったものは、一般に人間であるかのように考えられ、ときには「彼女」と呼ばれることさえある。「ドイツは生来、不誠実である」といった、明らかに馬鹿げた発言がどの新聞を開いても見つけられるし、国民性に対する無茶な一般化(「スペイン人は生来の貴族である」あるいは「イギリス人は全員、偽善者である」といったもの)は、ほとんどの人間が口にするところだ。時にはそういった一般化には根拠が無いと見なされることもあるが、こういった「習慣」は根強く、一見すると国際性豊かに見える人々…例えば、トルストイやバーナード・ショーといった人物なども、しばしばこういったことを口にする。(原著者脚注)

 
 これらが単にドイツや日本といった国の、比較的悪名の高い特定のナショナリストの動きに使われている場合には、そういったことは十分「自明」である。「ナチズム」のような現象に直面し、それをその「外側」から観察することができれば、私たちのほとんどはそれに対して同じことを言うだろう。

 だがここで、私は上で述べたことを再度繰り返したい。「ナショナリズム」という言葉を私が使うのは、それの他には良い言葉が見つからないからなのだ。

 「ナショナリズム」という言葉を私が使う時、そこには拡張された意味が込められ、それには「共産主義」や「政治的カトリシズム」、「シオニズム」、「反ユダヤ主義」、「トロツキズム」、「平和主義」といった、運動や動きも含まれている。それは必ずしも政府や「国」(その者自身の国であっても)への忠誠心を意味せず、さらに厳密に言えば、所属する「組織」さえ実際のところ存在する必要がないのだ。

 明らかにそれと分かる例をいくつか挙げれば、ユダヤ民族、イスラム教、キリスト教、プロレタリアート、また白色人種といったものは、すべて熱烈でナショナリスティックな「感情の対象」である。だが、その「実在」に対しては大いに疑念を投げかけることが可能であるし、そのどれ一つをとっても普遍的に受け容れられる「定義」は存在しない。

 また、ナショナリストの「意識」というものが完全に「ネガティブ」なものになり得ることは、ここでもう一度強調しておく価値がある。ソビエト連邦への単なる敵対者へと変わったトロツキストがその一例で、彼らには、それに伴う何か他の組織への忠誠心が育まれることはなかった。これが意味するところを理解すれば、私が「ナショナリズム」という言葉で言っているものの「性質」がずっと明確になる。

 ナショナリストというのは、ひたすら(あるいは主として)「威信」を競い合うという観点からのみ物事を考える人間なのだ。彼らは「ポジティブ」にも「ネガティブ」にもなり得る(言い換えれば自らの精神的なエネルギーを「声援」にも「中傷」にも使う)。しかしいずれにしても、その思考の向かう先は常に「勝利」や「敗北」、「歓喜」や「屈辱」なのだ。

 彼らは「歴史」…とりわけ「現代史」を「終わりなき大国」の盛衰の過程としてとらえ、何か事件が起こればそれはすべて、自分の側が「優勢」になり、憎むべき敵対者が「劣勢」になった証拠だと見なす。

 だが付け加えておけば、「ナショナリズム」と単なる「成功に対する崇拝」を混同しないことは重要である。単純に「最も強い側」に付こうという「原則」に、ナショナリストは従おうとはしない。それどころか、自分のいる側を指して「こちらこそが最も強いのだ」と自らを説き伏せ、あらゆる事実が彼の考えを反証していようともその信念を揺るがさずにいられるのだ。

 「ナショナリズム」とは自己欺瞞によって鍛え上げられた「権力」への渇望なのだ。すべてのナショナリストは「最もひどい嘘」であろうと受け容れる能力を持っているが、同時に(何か自分自身よりも「大きな存在」に仕えているのだという意識があるために)、自らの正しさに対して揺るぎない確信を持っているのだ。
 

 

 
 さて、ここで私は長々しい「定義」を述べたわけだが、私が語っているこの「思考の傾向」がイギリスの知識人の間に広がっていること、そしてその広がり具合は、一般大衆の間のそれを凌ぐものであることは認めていただけるだろうと思う。

 「現代政治」に深く関心を抱く人々の間ではそれが「威信」に関わる問題であるということが影響して、「特定の話題」について純粋に理性的な態度をとることがほとんど不可能になっているのだ。何百もある例の中から一つ挙げてみよう。この質問について考えてほしい。三つの強大な同盟国であるソビエト連邦、イギリス、アメリカのうち、ドイツ打倒に最も貢献したのはどの国だろうか?

 論理的にはこの質問に合理的で、おそらくは納得のゆく回答を与えることができるはずだ。しかし実際には、それに必要な「見積もり」をおこなうことは不可能なのだ。なぜなら、必然的に「威信」をかけたものになるそういった質問に頭を悩ませようという人間は、一人もいないからだ。

 まず彼が最初にやることは、ロシア、イギリス、アメリカのうちの、どれを選ぶか決めることだろう。そして、その後になって自分の「結論」を支持する議論を探し始めるのだ。そして、関係する事項すべてに「公平な者」から得られるただひとつの「誠実な回答」に対しては、同じような質問が途切れなく浴びせかけられ、その「誠実な意見」がどのようなものであれ、それが採用されることはないのだ。

 一部には、このような事情が現代の「政治」や「軍事」の分野での予測の大失敗の裏にある。すべての学派の「専門家」を見渡しても、1939年の「独ソ不可侵条約」といったような出来事を予見できた者が、ただの一人もいなかったという事実は興味深い(下記注記1)。

 「不可侵条約」のニュースが発表された時にはそれに対する、考え得る限りで最も「乱暴」で「相矛盾」する複数の説明が与えられ、また、ほとんど間をおかずにそれが「予測されたものだ」と捏造された。与えられた「説明」のほとんどは可能性に関する考察だけでなく、ソビエト連邦を「善良」あるいは「邪悪」であるように見せたい、「強者」あるいは「弱者」であるように見せたいという「欲求」に基づいたものだった。

 占星術師じみた「政治」や「軍事」の解説者たちは、まずどのような「間違い」を犯そうが失脚することはない。なぜなら彼らを熱愛する信奉者たちは、彼らに事実に対する「見識眼」を求めているわけではなく、ただ、ナショナリスティックな忠誠心に対する刺激を求めているだけだからだ(下記注記2)。
 

 
 そして、審美的な見解…とりわけ文学的なものもまた、政治的な見解と同じようにしばしば「腐敗」する。インド人ナショナリストにとっては、キップリング(1)を読んで楽しむことは難しいだろうし、保守派の人間にとっては、マヤコフスキー(2)の価値を理解することは困難を極めるだろう。そしてそれがどのような「書籍」であろうが自分の性向に合わないものに対しては…

「文学的な観点から見て俗悪なものである」

…と主張したい、という「衝動」が常に存在するのだ。ナショナリスティックな見解を強く持つ人々は、その「不誠実」さを自覚すること無くこの「手くだ」を頻繁に使う。
 

注記1 :ピーター・ドラッカーなどの、保守的な傾向の作家の何人かはドイツとロシアの間の協定を予言したが、彼らが予期していたのは恒久的に続く実質的な同盟、あるいは併合であった。「マルクス主義」あるいはその他の左派の作家にはその傾向を問わず、あの条約に近いことでさえ予言した者はいなかった。(原著者脚注)
注記2 :大衆紙の軍事評論家のほとんどは「親ロシア」か「反ロシア」、「保守主義」か「反保守主義」に分類できる。マジノライン(3)が難攻不落であると信じるという錯誤、あるいは三ヶ月以内にロシアがドイツを制圧するというような予言が、彼らの名声を揺るがせることはない。なぜなら彼らは常に、自分たちが獲得した特定の聴衆が耳にしたいと思うことを発言しているからだ。知識人に最も好まれている二人の軍事評論家がリデル・ハート大尉とフラー少将である。前者は「防衛こそが攻撃に勝る」と説き、後者は「攻撃こそが防衛に勝る」と説いている。この矛盾は、二人が「その道の権威」として同じ聴衆に受け入れられることの妨げにはなってはいない。左翼陣営内での彼らの人気の秘密は、この二人が「陸軍省」と反目していることにあるのだ。(原著者脚注)

 
 その傾向を持つ者を観察すれば、イングランドにおいては「ナショナリズム」の主な形態は、昔ながらの「好戦的愛国主義」であることがわかるだろう。このような考えがいまだにささやかれているのは確かなことだし、さらにつけ加えれば、ほとんどの識者は数十年前にはそれを信奉していたことだろう。

 しかし私がこの「小論」で主に問題にしたいのは、知識人たちの反応なのだ。ごく少数の者ではそれが復活しているように見えるにせよ、知識人の中では「好戦的愛国主義」や、あるいは昔ながらの「愛国主義」さえほとんど死に絶えている。知識人たちに限って言えば、「ナショナリズム」のとる主な形態は(非常におおざっぱな意味での)「共産主義」であることは言うまでもないだろう。

 これは、単に共産党のメンバーだけを指しているわけではなく、それへの「共鳴者」と「ロシア愛好者」をも含んでいる。私がここで言いたい共産主義者とは、ソビエト連邦を「祖国」と見なし、ロシアの政策の「正当化」や、すべての犠牲を払ってでもロシアの「利益を促進」することが、自らの「責務」であると感じる者のことである。

 現在のイングランドにはこのような人々が大勢いることは明らかで、彼らの直接あるいは間接的な影響力はとても大きい。だがそれ以外にも、多くの「ナショナリズム」 の形態が栄えている。そして、異なる思想を持ち、時には一番の問題とみなしていることについての思想が、全くの逆を向いたそれらの間にさえ見られる「類似点」に気がつけば、何が問題なのかについてよく理解できるだろう。
 

 
 十年あるいは二十年前、現在の「共産主義」と対応する最も近い「ナショナリズム」の形態は「政治的カトリシズム」だった。その最もずば抜けた主導者(おそらく彼はその種の典型の極端な例であるにせよ)は、G.K.チェスタートン(4)だろう。
 


G・K・チェスタトン

 
 チェスタートンは稀有な才能をもった作家の一人だった。ローマ・カトリックのプロパガンダのために、その「感性」と「知的誠実性」の両方を押し殺すという才能だ。彼の生涯最後の二十年、あるいはその生涯にわたる彼の主張のすべては、実際のところ止むことなく同じ主題の繰り返しだ。そしてそれはその単純さと退屈さにおいて、「大いなるかな、エペソ人のアルテミス」(5)と唱えるのとさして変わるところがない、こじつけられた策略のもとでおこなわれていた。他愛もない会話で埋め尽くされた彼の作品の全ては、プロテスタントや異教徒に対するカトリックの優越性という「誤解」を、はるかに超えたものであった。

 だがさらにチェスタートンは、その優越性がたんに「知性」や「霊性」だけにおけるものであるという考えに満足しなかった。それは国家の「名声」と「軍事力」という観点に翻訳され、必然的にラテン諸国…とりわけフランスへの無知な理想化を引き起こした。チェスタートンが長期間フランスに暮らしたことはないし、彼の思い描く「それ」(カトリックの農民たちが赤ワインの満たされたグラスを掲げながら、絶え間なく「ラ・マルセイエーズ」を歌い続ける大地)は現実味という意味では、「チューチンチョウ」(6)で描かれるバグダッドでの日常生活とさして変わるところがなかった。

 そしてそれはフランスの「軍事力」に対する極端な過大評価だけではなく(1914年から1918年の前後で、彼は変わることなくフランスは独力でドイツよりも強大であると主張し続けた)、戦争の実態に対する馬鹿げた「通俗的な賛美」をも引き起こした。『レパン』や『聖バルバラのバラード』といったチェスタートンの「戦争詩」を読むと、『軽騎兵旅団の突撃』(7)がまるで平和主義者のパンフレットのように思える。それらの詩は、おそらく私たちの言語で書かれたものの中で見つけ出すことのできる、最も安っぽい「大言壮語」の寄せ集めと言えるだろう。

 面白いことに、彼が習慣的に書き連ねていた「フランスとフランス軍」へのロマンチシズムにあふれた「くず紙」が、何者かによって「イギリスとイギリス軍」についてのものに書き換えられたことがある。おそらくそれを実行した者こそ、最初に彼を皮肉った人物と言えるだろう。

 「自国政治」について言えば、彼は小イギリス主義者だった。「好戦的愛国主義」と「帝国主義」を心から憎み、自らの信条に従った「民主主義」の真の友だった。

 だが一歩外に出て「国際分野」に踏み出すと、彼は自らの「原則」を放棄し、しかも自分でそうしたことに気がつくことさえ無かった。従って彼のほとんど「不可解」とも言える民主主義的美点への信念は、彼がムッソリーニを賞賛することの妨げにはならなかった。ムッソリーニは「代議政治」と「報道の自由」を打ち壊した。これは、チェスタートンが自国で粘り強く取り組んできたものだ。

 しかしムッソリーニは「イタリア人」で、イタリアを強大にしたのであり、それで問題は解決なのだった。また、有色人種に対する征服行為や「帝国主義」に関しても、それが「イタリア人」や「フランス人」によっておこなわれた時には、チェスタートンは何の発言もしなかった。

 彼の抱く「現実感」や自らの「文学の嗜好」、さらにはいくばくかの「道徳感」さえ、ナショナリスティックな忠誠心が関わってくると、すぐさまその場所を明け渡すのだった。
 

 
 チェスタートンの例によって示されるように、「政治的カトリシズム」と「共産主義」との間には明らかに多くの類似点がある。またそれら二つと、例えば「スコットランドのナショナリズム」「シオニズム」「反ユダヤ主義」や「トロツキズム」との間にも、同様のものが存在する。たとえその精神的な傾向においてであっても、「ナショナリズム」の全ての形態が同じであると言うのは過ぎた単純化ではあるだろう。しかしそこには、すべての場合について当てはまる特定の規則性がある。ナショナリストの思想における主な特徴をあげれば、次のようになるだろう。
 
 

《 強迫観念 》

 より正確に言おう。自らの属する「権力構成単位」の優越性を除いては、考察をおこなったり、語ったり、文章を書いたりしようとするナショナリストはいない。ナショナリストにとって自らの忠誠心を内に秘めることは、不可能とまでは言えないまでも困難なことなのだ。自らの属する「権力構成単位」への最もささやかな「非難」、あるいは敵対する組織への無言の「賞賛」は、どのようなものであれ彼を不安におとしいれ、それに対する痛烈な反論をおこなう他には、その不安を取り除くことはできない。

 選ばれた「構成単位」がアイルランドやインドといった、実際に存在する「国」である場合、ナショナリストは一般にその「国」の優越性を主張する。その「対象」は軍事力や政治的美徳にとどまらず、芸術、文学、スポーツ、言語構造、その国民の肉体的な美しさ、時には気候や景観、料理にさえ及ぶ。ナショナリストは旗の正しい掲揚の仕方、新聞の見出しの相対的な大きさ、異なる国々の名前を挙げる際の順番といったことに、ひどく過敏な反応を示す(下記の注記)。

 また、「命名」というものはナショナリストの思想の中で、非常に重要な役割を果たしている。自らの「独立」を勝ち取ったり、ナショナリストによる「革命」を経験した国々は、ふつうその「名前」を変える。そのような強烈な転向を経験した「国」あるいはその他の「構成単位」は、どれも複数の「名前」を持つ傾向があり、その「名前」のそれぞれが異なる意味を持つ。

 「スペイン内戦」で対立した二つの勢力は合わせて九つか十の「名前」を持ち、その「名前」はそれぞれ異なる度合いで「愛情」と「憎悪」を表していた。そのいくつかの「名前」(例えばフランコ支持者は「愛国者」、政府支持者は「忠誠者」)は率直に言って疑問を呼ぶもので、また、どの一つをとっても、二つの敵対する派閥の間で同じ意味で使われたものはなかった。

 すべてのナショナリストは、自らの「言語」を広め、敵対する「言語」を損ねることを自らの「責務」だと考えていて、「英語」話者においてはこの奮闘は、「方言」間の争いというささやかな形をとって再び姿を現しつつある。イギリス嫌いのアメリカ人は、もしそれが「イギリス起源」のものとわかれば特定の「スラング」を使うことを拒絶するだろうし、「ロマンス諸語」話者と「ジャーマン諸語」話者の間の対立の背後には、ナショナリスト的な動機がある。

 スコットランドのナショナリストは「スコットランド語」の優越性を主張し、社会主義者の場合にはその「ナショナリズム」は、「BBCアクセント」(8)に対する階級憎悪的な批判という形をとり、しばしばそれは、「類感呪術」への信仰(おそらくこの信仰は政敵の人形を燃やしたり、政敵の写真を射撃練習場の的として使うという、広く見られる習慣に由来する)を思わせるほどである。
 

注記 :アメリカ人の一部は「英米」という言葉の二語の並びに不満の声を上げている。「米英」とするべきだと提案されているのだ。(原著者脚注)

 
 

《 不安定性 》

 ナショナリストの気性の激しさは、その忠誠心が変化するのを妨げることはない。すでに私が指摘したとおり、初めのうちは彼らは一つのものに集中できるし、しばしば特定の「外国」に固執する。それがかなり一般的に見られるのが、卓越した国家首脳や「ナショナリスト運動」の創始者である。

 彼らは、自らが賛美している国のメンバーでさえないこともある。ときには完全な「外国人」であることもあるし、よくあるのは、その帰属性に疑問がある周辺地域の出身である場合だ。例えば、スターリン、ヒトラー、ナポレオン、デ・ヴァレラ、ディズレーリ、ポアンカレ、ビーバーブロックがそうだ。「汎ゲルマン運動」は、部分的にはイギリス人であるヒューストン・チェンバレン(9)の手によって創始された。

 過去五十年か百年の間、よその集団に対する「ナショナリズム」は文学界の知識人たちの間で一般的に見られる現象だった。その「対象」は、ラフカディオ・ハーンの場合には日本であったし、カーライル(10)と多くのその同時代人の場合にはドイツであった。私たちの時代においてはその「対象」は、普通ロシアである。

 だがとりわけ興味深い事実は、その「対象」が再度変わることがありえるということだ。何年ものあいだ崇拝対象であった「国」あるいはその他の「構成単位」が、ある時唐突に憎悪の対象になり、他のものがほとんど間をおかずに、その偏愛対象の座を取って代わる。H.G.ウェルズの『歴史概要』の初版や同時期のその他の彼の著作では、アメリカ合州国が賞賛されているのを目にすることができる。その様は、現在共産主義者がロシアを賞賛するのと変わるところがない。だがほんの数年で、この無批判な称賛は敵対心へと変わる。

 頑迷な共産主義者が数週間、時には数日の内に、同じくらい頑迷なトロツキストへと変わるのはよく目にする光景だ。大陸では、「ヨーロッパファシスト運動」へと流れ込んだ参加者の多くが元共産主義者だったし、おそらくはその逆の動きがこれからの数年で起きることだろう。ナショナリストの中で変わらないのは、その精神の状態なのであって、その「感情」の向かう先は変わりえるし、おそらくはそれは仮想的なものなのだろう。

 だが、知識人にとって「転移」には重要な機能があることは、私がすでにチェスタートンに関連して述べたとおりだ。それによってナショナリストはよりナショナリスティックに(つまりより通俗的で、白痴的で、悪質で、不誠実に)なっていき、よりいっそう自らの生まれた「国」、あるいは知識を持つ任意の「構成単位」を利することができるようになる。

 スターリンや「赤軍」といったものについて書かれた卑屈な、あるいは自慢げな「紙くず」を目にし、それが立派な知識人や感性豊かな人々の手によるものだと知れば、なんらかの「転移」が起きでもしなければ、そんなものを書くことは「不可能」であるということに気がつくだろう。

 私たちの暮らすような社会では、自らの「国」に非常に深い愛情を感じている知識人というものはなかなか思い描くことができない。「世論」(つまり彼が知識人であると知っている世論の一部)は彼がそうすることを許さないだろう。周囲の人々のほとんどが「懐疑」と「不満」を訴えれば、その模倣からか臆病風からか、彼は周りと同じ態度をとることを選ぶだろう。

 その場合、彼はすぐ手の届く場所にある「ナショナリズム」という形態を放棄し、誠実な国際主義者と見られることにも慎重になるだろう。そして、依然として彼が「自分には祖国が必要である」と感じていれば、どこか国外の地に「それ」を求めるのは自然なことではないだろうか。

 いったんそれを見つけ出せば彼は遠慮することなく、まさに自分自身を「解放」してくれると信じるそれらの感情に溺れるだろう。「神」、「王」、「皇帝」、「ユニオンジャック」…打ち倒されたすべての「偶像」には、「異なる名」で再び姿を現す可能性がある。そしてその「正体」が何であるかを理解されていないがために、何の「やましさ」も感じさせることなく崇拝されるのだ。「転移」された「ナショナリズム」は「贖罪のヤギ」を利用するのと同様、自らの行いを何ら改めずとも達成される救済の手段なのである。
 
 

《 現実に対する無関心 》

 ナショナリストであれば誰でも、相似する事実の間の類似点を無視する力を持っている。イギリスのトーリー主義者(11)は「ヨーロッパの自決権」を主張する一方で、「インドの自決権」には反対することに何の矛盾も感じないだろう。ある行動は自身の利益、さらには誰によってそれがおこなわれたかによって良くも悪くもなるのだ。そしてそこには、ほとんど何の限界もない(拷問、人質の利用、強制労働、大規模な国外追放、裁判無しでの投獄、書類の捏造、暗殺、民間人に対する爆撃)。それらは「私たちの側」によっておこなわれる場合には、何ら倫理的な問題を生みはしないのだ。

 「リベラル」で知られる『ニュー・クロニクル紙』は、衝撃的な残酷さの一例としてドイツ人によって吊るし首にされたロシア人の写真を掲載したが、その一、二年後には、友好的な承認の声明とともに先のものとほとんど変わらない、ロシア人に吊るし首にされたドイツ人の写真を掲載した(下記の注記)。

 これは「歴史」の中で変わることなく起き続けてきたことだ。「歴史」というものの大半は、ナショナリストの「言葉」によって考えだされている。「異端審問」や教皇室庁での拷問、イギリス海賊(例えばスペイン人虜囚を生きたまま水に沈めたフランシス・ドレーク卿)の功績、フランスの恐怖政治、数百人のインド人を大砲で吹き飛ばした「インド大反乱」の英雄たち、あるいはアイルランド女性の顔をかみそりで切り刻んだクロムウェルの兵士たちは、彼らがそれを「正しい理由」でおこなったと感じられる時には倫理的に何ら問題にされなかったし、時には称賛されることさえあった。

 この四半世紀を振り返れば、世界のどこかから「残虐行為」が報道されなかった年が一年たりとも無いことに気がつくだろう。イギリスの知識人は総じてそれらの残虐行為(スペインで、ロシアで、中国で、ハンガリーで、メキシコで、アムリツァルで、スミュルナでそれは起きた)に対して、まじめに受け取ることも「非難の声」を上げることもなかった。そのような行いが「非難に値するかどうか」あるいは「それが起きたかどうか」ということさえ、政治的な趣味・嗜好によって決められるのが常だったのだ。
 

注記 :『ニュー・クロニクル紙』は、処刑の全容を間近で目にすることができるように、処刑の首謀者たちにニュース映画会社に行くよう勧めた。『スター紙』は、ほとんど裸同然の敵国協力者の女性がパリの群衆に小突き回されている写真を、好意的な態度で紹介した。それらの写真と、ナチスによって撮影されたベルリンの群衆に小突き回されるユダヤ人の写真の間には、明らかに「類似」が見てとれた。(原著者脚注)

 
 「残虐行為」が自分たちの「同胞」によって引き起こされた時、ナショナリストはそれを否定するどころか、それについて「聞こえなくなる」という驚くべき能力を持っている。六年もの間イギリスのヒトラー崇拝者たちは、「ダッハウ強制収容所」と「ブーヘンヴァルト強制収容所」の存在から意図的に目をそらし続けた。また、声を大にしてドイツの強制収容所を非難する人々は、それと同じものがロシアにあるということを全く知らないか、よくて「おぼろげに耳にしたことがある」という程度なのだ。

 何百万もの人々が死んでいった1933年の「ウクライナ大飢饉」に、イギリスのロシア愛好者のほとんどは全く関心を払わなかった。今回の戦争の間イギリスの人々の多くは、ドイツやポーランドでの「ユダヤ人絶滅運動」についてほとんど何も耳にしないままだった。彼ら自身の「反ユダヤ主義」が、この途方もない悪事をその意識から弾き出したのだ。

 ナショナリストの思考の中では「真実」と「虚偽」、「既知」と「未知」が両立するのだ。あまりに「我慢ならない事実」を知るとそれは決まって脇に押しやられ、論理的な思考に影響を与えることを許されない。だが同時に、それは決して事実としては認められないまま、すべての思考に入り込む。これが一人の人間の「頭の中」で起きるのだ。

 すべてのナショナリストは、「過去」が改変可能であるという信念にとり憑かれている。自分の時間の一部を「ファンタジーの世界」で過ごし、そこでは物事は「あるべき姿」(例えばアルマダの海戦は成功裏に終わり、ロシア革命は1918年に粉砕されたという具合に)で実現される。そしてそれが可能な場合には、いつでもナショナリストはその世界の「断片」を「歴史」に刻み込もうとするのだ。

 プロパガンダの書き手によって書かれた「現代史」は、単なる「虚偽」と変わらない。重要な事実はもみ消され、日付は差し替えられ、引用された言葉はその意味を変えるために「文脈」から切り離されて、「改竄」されている。「起きるべきではない」と感じられた出来事は取り除かれて無視され、完全に消し去られる(下記の注記)。

 1927年、蒋介石は数百人の共産主義者を生きたまま「釜茹で」にしたが、それから十年も経たない内に彼は「左派の英雄」になった。国際政治の再編が彼を「反ファシスト陣営」に引き込み、それによって共産主義者の「釜茹で」は「無効扱い」あるいは「存在しない」ことになったのだ。

 プロパガンダの第一の目的は、もちろん同時代の「世論」に影響を与えることであるが、「歴史」を書き換える人々はおそらく「頭」のどこかで、本当に「過去」に事実を差し挟むことができると考えているように思われる。「ロシア内戦」でトロツキーは重要な役割を果たしていないと示すために、入念に作り上げられた「偽造資料」をよく検討したことがあれば、偽造をおこなった人々が単に嘘をついているだけだとは感じられないだろう。

 それよりも、自らが書き記したことこそが天地に誓って「実際に起きたこと」であり、自分はそれに従って記録を再編集し「正している」のだと思っていると見たほうがいい。
 

注記 :一例が「独ソ不可侵条約」だ。これは可能な限りで一番早く人々の記憶の中から消え去っている。ロシアにいる知人が私に教えてくれたところによれば「不可侵条約」は、すでに近年の政治的な出来事がまとめられたロシアの「年鑑」から削除されているそうだ。(原著者脚注)

 
 世界の「一部」を他から切り離して封じ込めるこの行為によって、「客観的真実」に対する無関心さは促進され、本当に起きたことが何なのかを知ることは、どんどん難しくなっていく。最重要の出来事に対してさえ、偽りのない疑念が生まれることもしばしばである。

 例えば今回の戦争の死者の数が、数百万かあるいは数千万にか見積もることさえ不可能なのだ。悲惨な事件(戦争、大量虐殺、飢饉、革命)が常に報道され、一般の人々はそれが「現実」かどうかわからなくなっていく。それが「真実」か確認するすべを持たず、それが実際に起きたことなのかどうかさえ確信が持てないまま、常に異なる情報源からまったく異なる説明を示されるのだ。

 1944年の8月の「ワルシャワ蜂起」で起きたと言われることの、何が正しくて何が間違っているのだろうか?ポーランドにあったと言われる、ドイツの手による「ガス室」の話は真実なのか?「ベンガル飢饉」の責任を問われるべきなのは、本当は誰なのか?

 おそらく「真実」を見つけ出すことは可能だろうが、ほとんどすべての新聞は、それらの出来事に対してあまりに「不誠実」な説明を与えている。一般読者が嘘を信じこんだり、意見を組み立てられずにいるのも無理からぬことなのだ。本当に起きたことが何なのか「確実」なことが何も言えない状況で、人は容易に「狂った信念」を抱く。疑いのない「確証」や「反証」が得られなければ、最も明白な事実であっても臆面もなく否定されうるのだ。

 さらに言えば「権力」や「勝利」、「敵の打倒」「報復」について際限なく思い悩んでいるにも関わらず、ナショナリストはたいてい現実の世界で起きていることに対して、どこか無関心である。彼らが求めているものは、自分が属する「構成単位」が他の「構成単位」を圧倒していくという「気分」なのであって、それを得るには敵対者を貶める方が、「事実」が自らの思った通りなのかどうか「検証」するよりも簡単なのだ。

 ナショナリストの「論争」ときたら、どれも「ディベート大会」でおこなわれているレベルのものと大差なく、「議論」はいつも堂々巡りである。それぞれの論者が、決まって「自らが勝利している」ことを信じて疑わないためだ。一部のナショナリストの中には、「統合失調症」とほとんど変わらない者もいる。彼らは物質的な世界とは何らつながりを持たない、「権力」と「征服」の幸せな夢の中で暮らしているのだ。
 

 

 
 さて、私はナショナリストのすべての「形態」に共通する精神的な傾向に関して、可能な限り詳しく検討した。次に必要なのはその「形態」の分類であるが、これを完璧に成し遂げることは明らかに不可能である。「ナショナリズム」は非常に大きなテーマなのだ。この世界は無数の「妄想」と「憎しみ」によって苦しめられているが、そのそれぞれは互いに複雑に絡み合い、その最も邪悪なものの一部は、未だヨーロッパ世界の「視界」に留まっていない。

 この「小論」で私は、イギリスの知識人の間で見られる「ナショナリズム」について取り上げている。一般のイギリス人と比較して彼らの中では「ナショナリズム」と「パトリオティズム」の混じりっている度合いが低く、より「純粋」な研究が可能なためだ。以降は、現在イギリス知識人の間で盛んな「ナショナリズム」の種類をリストにしたものだ。必要に応じて論評を付け加えている。便宜のために「ポジティブ」、「転移的」、「ネガティブ」の三つの見出しをつけているが、いくつかのものは複数の分類に当てはまるだろう:
 
 

《 ポジティブなナショナリズム 》

(i) 新トーリー主義

 これはエルトン卿、A.P.ハーバート、G.M.ヤング、ピックソーン教授といった人々、「トーリー党改革委員会」のパンフレット、また、『ニュー・イングリッシュ・レビュー』や『19世紀とその後』といった雑誌に例示される。

 「新トーリー主義」の強い原動力は、イギリスの「権力」と「影響力」の衰えを認めたくないという欲求で、これこそがそのナショナリスティックな性格を特徴づけて、それを通常の「保守主義」と異なるものにしている。イギリスの軍事的立場にかつての面影が無いことを、実際には十分に承知している者であっても、「イギリスの理念」(普通それが何なのかは曖昧なまま捨て置かれる)は世界に広がると主張する傾向がある。

 新トーリー主義者は全員「反ロシア」であるが、ときには「反アメリカ」こそが関心の主眼である者もいる。この「学派」が、若い知識人の間に広がっているように見えることは重要な点だろう。時にはそれが、「共産主義」に幻滅して目を覚ますという、ありがちな経験を経た元共産主義者であることもある。また「イギリス嫌い」だった人間が、突然、熱烈な「イギリス支持者」になるのはかなり一般的に見られる光景だ。こういった傾向を示している作家にはF.A.ボイト、マルコム・マッグリッジ、イーヴリン・ウォー、ヒュー・キングスミルがいる。また、心理学的に見て同様の変化過程がT.S.エリオット、ウインダム・ルイスと、大勢のその「追従者」に見られる。

 

(ii) ケルト・ナショナリズム

 ウェールズ、アイルランド、スコットランドの「ナショナリズム」にはいくつかの異なる点があるものの、「反イングランド」な傾向がある点は共通する。この三つの運動のメンバーは今回の戦争に反対する一方で、「自分たちはロシアを支持する」と宣言し続け、その狂信的な「分派」に至っては、ロシアとナチスを同時に支持するという離れ業までやってのけた。だが「ケルト・ナショナリズム」と「イギリス嫌悪」は同じものではない。その「原動力」は、過去と未来におけるケルトの人々の偉大さへの信念であり、それは「人種差別主義」の色合いを強く帯びている。

 「ケルト族」は「サクソン族」よりも精神的に優れている(簡単に言えばより創造的で、洗練されていて、高慢なところが少ないなど)とみなされるが、一方でその表面下には、常に「権力」への飢えが存在する。その現れの一つが、イギリスによる「保護」がなくともアイルランド、スコットランド、さらにはウェールズさえもが、自らの「独立」を保つことができるという「妄想」である。作家の中でのこの「学派」のいい例がヒュー・マクダミックとショーン・オケーシーだ。「ナショナリズム」の残滓から逃れられている近代的なアイルランドの作家はいない。それはイェイツやジョイスといった「偉大な作家」でも例外ではない。

 

(iii) シオニズム

 「ナショナリズム」運動としては独特の特徴を持つが、アメリカでのこれの変種はイギリスでのそれと比較して、より暴力的で有害なものの様に見える。私がこれを「転移的ナショナリズム」ではなく直接的なものに分類したのは、それが広がるのが、ほぼ完全にユダヤ人自身の間でだけであるためだ。

 イングランドにおいてはいくつかの非常に「不条理」な理由から、知識人たちのほとんどは「パレスチナ問題」においてユダヤ人側を支持しているが、それに関して彼らに何か「強い思い入れ」があるわけではない。善意のイギリスの人々もまた、みなナチスによる迫害に対する「非難」の意味からユダヤ人を支持している。しかし、実際的な意味でのナショナリスティックな忠誠心や、生得的な「ユダヤ人の優越性」という信念に関しては、「非ユダヤ人」の間ではめった目にすることはない。

 
 

《 転移的ナショナリズム 》

(i) 共産主義

(ii) 政治的カトリシズム

 

(iii) 肌の色に対する意識

 「原住民」に対する昔ながらの「軽蔑」の態度はイギリスでは衰え、「白色人種の優越性」を主張するさまざまな「偽科学」の理論は放棄されていっている(下記の注記)。

 知識人の間では、「有色人種への差別」は「反転」された形でのみ起きている。つまり、有色人種は先天的に優れているという考えとして起きるのだ。これは、現在イギリスの知識人の間で次第に一般的になっている考えで、おそらくその多くは「マゾヒズム」と「性的な欲求不満」のためであって、東洋人や黒人のナショナリスト運動に触れたことは、さして影響していない。「有色人種差別」に対して関心の無い者の間でさえ、その上品ぶった模倣的な態度は強い影響力を振るっている。

 「白色人種」は「有色人種」より優れているという主張を聞けば、イギリスの知識人はほとんど誰であっても憤るだろうが、一方で、それを「反対」にした主張に対しては、それに同意していない時であっても「反対」の声を上げることはない。「有色人種」に対するナショナリスティックな「肩入れ」は、普通、「有色人種の性生活は自分たちよりも優れている」という考えと混交していて、そこには、「黒人は性的に優れている」という巨大な「隠れた神話」が横たわっている。

 

注記 :いい例が日射病に関する迷信だ。最近まで「白色人種」は「有色人種」よりも日射病にかかりやすいと信じられ、探検帽無しで白人が熱帯の日光の下を安全に歩くことはできないと言われていた。これを裏付けるような証拠は何も無いが、この理論は「原住民」と「ヨーロッパ人」の間の違いを際立たせるのに一役買っていた。戦争中、いつの間にかこの理論は放棄されて、すべての「陸軍」は探検帽を着けずに熱帯での作戦を実行に移した。この日射病に関する迷信が信じられていた頃には、インドでもイギリス人の医者は素人と同じようにそれを信じているようだった。(原著者脚注)

 

(iv) 階級意識

 上流階級、中流階級の知識人の間で「転移」した形で(つまり「プロレタリアート」の優越性という信念として)のみ存在する。ここでも再び、知識人の内部へ「世論」の圧力が強くかかっている。「プロレタリアート」へと向かうナショナリスティックな忠誠心や、「ブルジョアジー」に対するひどい悪意ある仮想的な憎しみは、多くの場合、普段の上品ぶった日常生活となんら矛盾することなく共存することができるようだ。

 

(v) 平和主義

 平和主義者の大多数は「宗教的組織」に控えめに属している者か、「生命」を奪うことに反対するが、それ以上は思想的追求をしようとはしないわかりやすい人道主義者だ。だがごく少数、自分では決して認めようとはしないが、西側の「民主主義」を憎悪して「全体主義」を称賛する、知識人の平和主義者たちがいる

 普通、煎じ詰めれば平和主義者のプロパガンダは、「争っている両方の側が同じくらい悪いのだ」と言っているものだが、比較的若い知識人の平和主義者の書いたものをよく調べてみると、彼らが必ずしも「公平な非難」をおこなっているわけではなく、その「非難」のほとんどすべてがイギリスとアメリカ合州国に向けられていることに気がつく。

 さらに言えば、彼らが「非難」しているのはそれに値する「暴力」でなく、西側諸国の自衛のための「暴力」だけである。イギリスとは異なり、ロシアが軍事的な手段を使って自衛をおこなってもそれが「非難」されることはないし、この種の平和主義者のプロパガンダでは、まず間違いなくロシアや中国が言及されることはない。

 また、インドはイギリスとの戦いにおいて「暴力」を放棄すべきだ…といったことも決して主張されない。平和主義者による「文学作品」はあいまいな記述で満ちているが、それが何を意味しているにせよ、どうやらヒトラーのような政治家の方が、チャーチルのような政治家よりも好ましいと言っているように見える。おそらく「暴力」も、「じゅうぶんに暴力的」であれば許容されるのだろう。

 フランスの陥落後、「フランスの平和主義者」たちは「イギリスの平和主義者」たちがせずに済んだ「現実的」な決断を迫られ、そのほとんどはナチスの軍門へと下った。そしてイギリスにおいても、「ピース・プレッジ・ユニオン」と「黒シャツ隊」の間で、そのメンバーの一部が重なっているということが見受けられる。「平和主義」の作家はカーライルを褒め称えるが、彼は「ファシズム」の思想的な生みの親の一人である。
 

 
 上で述べた知識人のように、結局のところ「平和主義」は密かに、「権力」と「成功」を収めた残虐行為への「称賛」に触発されているのではないか、と感じられずにはいられない。ヒトラーへの彼らの感情は「誤り」だったわけだが、この「誤り」もまた、簡単に書き換えられるだろう。

 
 

《 ネガティブなナショナリズム 》

(i) イギリス嫌悪

 イギリスに対する冷笑的態度や控えめな反感は、多かれ少なかれ知識人にとって「義務的」なものだが、それが「偽りのない感情」である場合も多い。戦争の間、敗北主義的な知識人の間ではそれが明白に示された。そしてそれは、枢軸国の勝利が不可能であると明らかになった後まで続いたのだ。

 多くの者はシンガポールが陥落した時や、イギリスがギリシャから敗走した時に喜びの態度を隠そうとしなかったし、例えば「エル・アラメインの戦い」や「ブリテンの戦い」で、多数のドイツ軍航空機が撃墜されたというニュースを聞いても、それが「吉報」であるとは信じたくないという態度がありありと伺えた。

 もちろん、イギリスの左翼知識人たちが本当にドイツや日本の戦争勝利を望んでいたというわけではないが、彼らの多くは自らの国が敗北するのを目にする快感に抗えず、最終的に勝利するのはロシアあるいはアメリカであって、イギリスではないだろうと感じていたのだ。

 国外の政治において多くの知識人たちは、「イギリスの支持を受けた党派は場違いな存在である」という「原則」に従った。その結果として、見識ある意見の大部分は保守党の政策を鏡写しにしたものになった。「イギリス嫌悪」は常に逆転現象を起こす傾向がある。そのせいで、ある戦争での平和主義者が、次の戦争では好戦論者になるという光景も珍しくない。

 

(ii) 反ユダヤ主義

 現在これはめったに見られなくなっている。ナチスの迫害によって、思慮ある人物であれば必ずユダヤ人の側に味方し、迫害者と敵対するようになっているためだ。「反ユダヤ主義」という言葉を耳にしたことがある程度に「教養のある者」であれば、当然のようにそんなものに囚われてはいないと主張するだろうし、反ユダヤ的な記述はあらゆる分野の文学作品から慎重に取り除かれている。

 だが、実際のところ「反ユダヤ主義」はささやかれ続けているし、それは知識人の間でも同じことだ。その広く見られる「静かな共謀」は、「反ユダヤ主義」を悪化させる助けになっているように思われる。左派的意見を持つ人々も無関係ではない。トロツキストとアナーキストにユダヤ人が多いという事実に、彼らの態度はときおり影響を受けている。

 だがそれでも「反ユダヤ主義」は、保守的な傾向を持つ人々に対しての方がより自然に受け入れられていると言える。彼らはユダヤ人に対して、「国民の士気を弱体化させ、国民文化を薄めている」という「嫌疑」をかけている。新トーリー主義者と政治的カトリシズム主義者はいつでも、あるいは少なくとも定期的に「反ユダヤ主義」への敗北の発端となっている。

 

(iii) トロツキズム

 この言葉はとてもあいまいに使われていて、その中にはアナーキスト、民主社会主義者、リベラリストが含まれている。ここでは私はこの言葉を、「スターリン体制」に敵対することが主な目的となっている、教条的マルクス主義者という意味で使っている。「トロツキズム」については、決して一つの見解だけを持っている人間ではなかったトロツキー自身の著作よりも、むしろありふれたパンフレットや、『ソーシャリスト・アピール』と言った新聞の方が詳しく知ることができる。

 「トロツキズム」は、例えばアメリカ合州国といった複数の場所で非常に多くの支持者を引き寄せて、現在のそれよりもずっとよく組織された運動へと発展していく可能性があるが、それにも関わらず、その思想は本質的に「ネガティブ」なものである。トロツキストはスターリンに不支持の声を上げ、その様子はちょうど、共産主義者がスターリンを支持しているのと「対」になっている。

 共産主義者の大多数と同じようにトロツキストも、「外部世界」に何らかの変化をもたらそうとするよりはむしろ、「名声」を争うことこそが重要なのだと考えている。どちらの場合でも、ある一つの事柄に対して「脅迫的なまでの固執」があり、可能性に基づく純粋に理性的な意見を形作る能力が欠如しているという点は同じだ。

 トロツキストが、どこでも迫害される「少数派」であるだとか、常に彼らに向かって「非難の声」(例えばファシストと共謀しているといった、明らかに間違った非難)が上げられているという事実は、「トロツキズム」が知的にも倫理的にも「共産主義」より優れているという「印象」を作り出しているが、その二つの間に大きな違いがあるかどうかは多いに疑問である。

 どのような場合でも、最も典型的なトロツキストは元共産主義者であり、左翼的な運動を経ずに「トロツキズム」へと到る者は一人もいない。長年の「戒め」によって自分の党に縛り付けられでもされない限り、共産主義者であれば誰しも、突然「トロツキズム」へと道を逸れる可能性があるのだ。

 それに比べると、その「反対の動き」が起きることはめったに見られないが、なぜそれが起きないのかについての明確な説明はない。

 

 
 上で私が試みた「分類」は誇張され、過度に単純化され、不確かな前提を置いたり、通常のもっともに思える「動機」の存在についての説明を、置き去りにしているように見えることだろう。もっともなことだ。なぜならこの「小論」で私が試みているのは、私たちの「頭の中」に存在し私たちの思考を倒錯させる傾向を、「分離」し「特定」することだからだ。それらの傾向は必ずしも純粋な状態や、連続的な作用において起きているわけではない。この点において、私が「過度に単純化」して描かざるを得なかったものを正しておくことは重要だろう。

 まず初めに言っておきたいのは、「全ての人」あるいは「全ての知識人」についてさえ、彼ら全員が「ナショナリズム」に感染しているなどと見なす権利は誰にも無いということだ。

 二番目に言っておきたいのは、「ナショナリズム」 は食い止め、封じ込めることができるということだ。自分で馬鹿げているとわかっている思考に半ば屈服しそうになっても、知性ある人であればそれを長い間「頭の中」から締め出すことができる。思い起こすにしても「怒り」や「感傷」に駆られた時か、自分が「重要な問題には関わっていない」とわかっている時だけ…という状態にできるのだ。

 三番目は、ナショナリスティックな信念は、非ナショナリスティックな「動機」に基づく「誠実な思い」によって選択されるということだ。

 四番目は、「ナショナリズム」 のいくつかの種類は、例えそれが互いに「相反」するものであっても、同じ人物の中で「共存」しえるということだ。

 「極端な例」を示すために、「ナショナリストはこうする」「ナショナリストはああする」と私はずっと言い続けているが、これは頭のなかに「中立な領域」を持たず、権力闘争の他には関心ごとのない、あけすけで「純正」のナショナリストについてのことだ。

 このような人々が広く一般に見られるのは間違いのないことだが、彼らには何らかの「労力」を払うだけの価値もない。エルトン卿、D.N.プリット、ヒューストン婦人、エズラ・パウンド、バニシュタット卿、カフリン神父やその他の、ぞっとするような「一群」には対抗する必要があるが、彼らの知性の欠如に関しては指摘するまでもないだろう。「偏執狂」には興味も湧かないし、数年の月日を置いて「脱臭」した後で、読むに足る価値のある著作を書くことのできる頑迷なナショナリストなど一人もいない。

 だが、「ナショナリズム」は全ての場所で「勝利」を収めているわけではなく、欲望のままに判断を下すことのない「冷静な人々」がいることを認めたとしても、「緊急の問題」があるという事実は変わらない。インド、ポーランド、パレスチナ、「スペイン内戦」、「モスクワ裁判」、「アメリカの黒人差別」、「独ソ不可侵条約」あるいは合理的なレベルでの議論にならないか、少なくともいままで議論されたことのないような問題だ。

 エルトン、プリット、カフリンのそれぞれは、飽きることなく大声で「同じ嘘」を繰り返し続けている。彼らが「極端な例」であることは明らかであるが、「無防備」な一瞬においては私たちも彼らと全く変わりない、ということを「自覚」しなければ、私たちは「自分を欺く」ことになるだろう。常に警鐘を鳴らし、そういった「陳腐なもの」(これまで思いもよらなかったものが、その「陳腐なもの」なのかもしれない)を踏み越えていくのだ。

 この上なく「公正な判断」をする温和な人物が、突然、悪意に満ちた人間へと変貌し、自分の敵対者にどれくらい優っているかだけに心を悩ませ、自分がどれだけの嘘をつき、どれだけの論理的な誤りを犯しているか、気にしなくなる人物へと変わることもある。

 「ボーア戦争」に反対していたロイド・ジョージ(12)が議会下院でのイギリスの「公式声明」の発表で、それがほんの付け足しの言葉であったにせよ、ボーア人国家の総人口を超える数のボーア人が殺害されていることを主張した時、アーサー・バルフォア(13)は立ち上がって「恥知らず!」と叫んだ。その記録は今でも残っている。

 白人女性に相手にされない黒人、イングランドへの、アメリカ人の無知な批判を耳にしたイギリス人、「アルマダの海戦」の記憶を掘り返されたカトリック護教論者。こういった人たちは皆よく似た反応をする。「ナショナリズム」を発達させていくのだ。知性的な慎み深さは消え失せ、過去は改変可能なものになり、最も明白な事実も否定されるようになる。
 

 
 ナショナリスティックな忠誠心や「憎悪」の感情を頭のどこかにでも抱くと、例え意識の上では「真実」であるとわかっている場合でも、特定の事実を認めることができなくなる。ここでは、その例をいくつか挙げたい。以下は五種類のナショナリストのタイプのリストで、それぞれに対して各タイプのナショナリストが、密かにでも受け容れることができない事実を書き加えてある。
 

イギリス・トーリー主義者:
イギリスはこの戦争で、その「権力」と「名声」を減じることになるだろう。
共産主義者:
もしイギリスとアメリカからの支援が無ければ、ロシアはドイツに「敗北」しただろう。
アイルランド・ナショナリスト:
アイルランドはイギリスの「保護」によって、その「独立」を保つことができている。
トロツキスト:
「スターリン体制」は、ロシアの大衆に受け容れられている。
平和主義者:
「暴力を放棄した者」がそうできるのは、「他の者」が彼らのために代わって暴力を行使してくれるからに他ならない。

 
 もし感情的な思い入れが無ければ、これらの「事実」は誰の目にも明らかであるが、それぞれのタイプに属する人々にとってはどれも「容認しがたい」もので、それゆえ彼らはこれらの「事実」を否定せざるをえない。そして、その否定に基いて「誤った論理」が構築されるのだ。今回の戦争で軍事的な「予測」がどれほど外れたかを思い出さずにはいられない。

 戦争の経過に関しては、一般の人々よりも知識人の「予測」の方が間違いが多かった、というのは「真実」であるように私には思われる。「党派心」によって惑わされる度合いは、彼らの方が大きかったのだ。

 例えば、左派的信念を抱く平均的な知識人は、「戦争は1940年に敗北で終わる」だとか、「ドイツは、1942年にはエジプトを占領するはずである」だとか、「占領した島々から日本が撤退することは絶対にありえない」だとか、「英米による爆撃はドイツになんら影響を与えていない」だとかといったことを信じていた。こういったことが信じられていたのは、「イギリスの支配階級」に対する憎しみが彼らの目を曇らせ、イギリスの作戦が成功するなどということは認めることができなかったためだ。

 こういった種類の「感情」の影響下にある時には、どんなに愚かなことでも信じこむことができる。例えば、私はこれを間違いなく耳にしたと誓えるのだが、「アメリカ軍がヨーロッパにやってくるのはドイツと戦うためではなく、イギリスの革命を阻止するためだ」といったことすら言われていた。間違いなく「知識人階層」に属する人間が、そのようなことを信じていたのだ。

 「一般の人々」であればそんな愚かな振る舞いをすることはないだろう。ヒトラーがロシアに侵攻した時、内務省の高官は「ロシアは六週間以内に崩壊するだろう」という警告を、「非公式」に発表した。一方で共産主義者は、戦争のあらゆる段階でそれをロシアの勝利と結びつけた。ロシアがカスピ海近くまで撤退し数百万の捕虜を失った時にさえ、彼らはそれを勝利と結びつけたのだ。

 これ以上の例は必要ないだろう。重要なのは、「恐怖」や「憎しみ」、「嫉妬」や「権力崇拝」が関わってくる時には、「現実的な感覚」はすぐさま不安定になるということだ。すでに指摘したとおり「正しいこと」と「間違ったこと」を見分ける感覚もまた、不安定になる。それが「私たちの側」によって実行される場合には、「許されない犯罪」など完全に無くなってしまう。

 例えその「犯罪」が実際に起きたことを否定したとしても、それが別の場合であれば、「非難に値する犯罪」と全く同じ行為であると理解していたとしても、「知性」と照らし合わせればそれを「正当化することができない」と認めていたとしても、それが「悪いこと」だと感じることができなくなるのだ。忠誠心が関わってくれば、「哀れみ」を感じることもなくなってしまう
 

 
 「ナショナリズム」の高まりと広がりの理由は、ここで取り上げるには手に余る疑問である。ここで言えるのは、イギリスの知識人の間に見られる「ナショナリズム」の形態は、「外部の世界」で現実におこなわれている「恐ろしい戦い」が歪んで反映されたものであり、その最悪の「愚行」は「パトリオティズム」と「宗教的信念」が崩壊したことによって、初めて可能になったということだけである。

 もしこの一連の考えを追求すれば、その人間は「保守主義」の一種あるいは「政治的静寂主義」に捕らわれる危険と直面する。もっともらしく説明すれば、例えば(それが「真実」である可能性もあるが)、「パトリオティズムはナショナリズムに対する抗体である」だとか、「君主制は独裁国家への防波堤である」だとか、「組織化された宗教は迷信に対する防波堤である」といった具合だ。

 あるいはまた、「偏りのない立場などというものは不可能である」と主張されることもある。すべての「信念」や「大義」は、等しく「嘘」と「愚行」と「野蛮」を含むと言うのだ。そしてこういった議論はしばしばつまるところ、「政治に関わってはいけないのだ」という「結論」へと導かれる。

 私はこういった議論を受け容れるつもりはない。「現代の世界では、政治に無関心だから政治に関わりがない知識人であるなどとは言えない」というだけで、その理由は十分だ。むしろ「政治」(広い意味での政治)に関わり、「政治的指向」を持つことこそが必要なのだと私は考える。

 つまり、もしそれが他のものと同じように「不公正な手段」で実行に移されている場合であっても、「理念」のうちのあるものは他のものよりも客観的に優れていることを、認めなければならないのだ。

 「気に入る」か「気に入らない」かに関わらず、私が説明してきたようなナショナリスティックな「愛」や「憎しみ」は私たちのほとんどが持つ、「生まれ持った性質」の一部である。それを「取り除く」ことができるかどうか、私にはわからない。しかし、それと「戦う」ことはできると私は「確信」している。そして、それには倫理的な努力が必要不可欠なのだ。自らの「本当の姿」を、自らの「本当の感情」を見つけ出し、避けがたく起きる「先入観」を斟酌することが、まず何よりも重要な「課題」になる

 もしあなたがロシアを「憎み」「恐れ」、アメリカの富と権力に「嫉妬」し、ユダヤ人を「嫌悪」し、イギリスの支配階級への「劣等感」を抱いていたとしよう。頭で考えるだけで、簡単にそういった「感情」を取り除くことはできないだろう。しかし、少なくともそれらの「感情」を持っていることを「自覚」し、それに自らの思考が「汚染」されないようにすることはできる。

 感情的な「衝動」からは逃れることはできない。おそらくそれは、「政治的な行動」を起こすときには必要にさえなるものである。「現実の受容」とそれらを、「共存」させなければならないのだ。だがくり返すが、それには「倫理的な努力」が必要だ。そしてこれこそが私たちの時代に残る大変な課題であるにも関わらず、現代のイギリス文学を見れば、私たちのうちでその備えができている者のなんと少ないことか。
 

 

1945年10月
Polemic


1. キップリング : ラドヤード・キップリング。イギリスの作家、詩人。「ジャングル・ブック」、「少年キム」などの著作がある。
2. マヤコフスキー : ウラジーミル・マヤコフスキー。ソ連の詩人。共産党のプロパガンダポスターの制作にも関与した。
3. マジノライン : フランスとドイツの国境を中心に構築されたフランスの対ドイツ要塞線。
4. チェスタートン : ギルバート・ケイス・チェスタートン。イギリスの作家。カトリック教会のブラウン神父を探偵役とした推理小説で知られる。
5. 大いなるかな、エペソ人のアルテミス : 新約聖書、使徒行伝の19章28節。アルテミス神殿の模型を売る職人が商売の邪魔になる使徒パウロを排斥しようと人々を扇動した時に扇動された人々が叫んだ言葉。
6. チューチンチョウ : 1916年にロンドンで公演され人気を博したミュージカル。「アリババと四十人の盗賊」を下敷きとしている。
7. 軽騎兵旅団の突撃 : アルフレッド・テニスンの詩。クリミア戦争でのバラクラヴァの戦いを題材にしている。
8. BBCアクセント : オックスフォード大学、ケンブリッジ大学などで話されていた英語。BBC(英国放送協会)が採用したことからこのように呼ばれる。
9. ヒューストン・チェンバレン : ヒューストン・ステュアート・チェンバレン。イギリス人の政治評論家・脚本家。国家主義、汎ゲルマン主義、反ユダヤ主義を支援したことで知られる。
10. カーライル : トーマス・カーライル。イギリスの歴史家、評論家。ドイツ文学を研究したことで著名。
11. トーリー主義者 : 伝統的保守主義者。現在のイギリス保守党の前身にあたるトーリー党の党名に由来する。
12. ロイド・ジョージ : デビッド・ロイド・ジョージ。イギリスの旧自由党議員。第一次世界大戦中には首相を務めた。
13. アーサー・バルフォア : アーサー・ジェイムズ・バルフォア。保守党議員。1902年から1905年まで首相を務めた。