ハインリッヒ・シュリーマン

『シュリーマン旅行記 清国・日本』
ハインリッヒ・シュリーマン(石井和子訳) 『シュリーマン旅行記 清国・日本』
講談社学術文庫1325, 1998
 
ハインリッヒ・シュリーマン (Heinrich Schlieman, 1822~1890) はドイツの考古学者で、1871年にトロイアの遺跡を発掘した。

それに先立つ1864年世界漫遊に旅立ち、1865年4月に清国、6月に日本を訪れた。本書の日本文明論はオールコック『大君の都』の引き写しに近いので、ここでは省略した。
 

道を歩きながら日本人の家庭生活のしくみを観察することができる。家々の奥の方にはかならず、花が咲いていて、低く刈り込まれた木でふちどられた小さな庭が見える。日本人はみんな園芸愛好家である。日本の住宅はおしなべて清潔さのお手本になるだろう。

(p.81)

 

日本人が世界でいちばん清潔な国民であることは異論の余地がない。どんなに貧しい人でも、少なくとも日に一度は、町のいたるところにある公衆浴場に通っている。

(p.87)

 

「なんと清らかな素朴さだろう!」始めて公衆浴場の前を通り、三、四十人の全裸の男女を目にしたとき、私はこう叫んだものである。

私の時計の鎖についている大きな、奇妙な形の紅珊瑚の飾りを間近に見ようと、彼らが浴場を飛び出してきた。誰かにとやかく言われる心配もせず、しかもどんな礼儀作法にもふれることなく、彼らは衣服を身につけていないことに何の恥じらいも感じていない。その清らかな素朴さよ!

(p.88)

 

(豊顕寺の)内に足を踏み入れるや、私はそこに漲るこのうえない秩序と清潔さに心を打たれた。大理石をふんだんに使い、ごてごてと飾りたてた中国の寺は、きわめて不潔で、しかも退廃的だったから、嫌悪感しか感じなかったものだが、日本の寺々は、鄙びたといってもいいほど簡素な風情ではあるが、秩序が息づき、ねんごろな手入れの跡も窺われ、聖域を訪れるたびに私は大きな歓びをおぼえた。

(p.104)

 

僧侶たちはといえば、老僧も小坊主も親切さとこのうえない清潔さがきわだっていて、無礼、尊大、下劣で汚らしいシナの坊主たちとは好対照をなしている。

(p.105)

 

一方、金で模様を施した素晴らしい、まるでガラスのように光り輝く漆器や蒔絵の盆や壷等を商っている店はずいぶんたくさん目にした。

模様の美しさといい、精緻な作風といい、セーブル焼き(フランスの代表的な陶器)に勝るとも劣らぬ陶器を売る店もあった。

(p.134)

 

木彫に関しては正真正銘の傑作を並べている店が実に多い。日本人はとりわけ鳥の木彫に秀でている

しかし石の彫刻は不得手であり、たまに見かける軟石を使った石彫もつまらないものである。大理石は日本ではまったく知られていないようだ。

(p.135)

 

さらに、大きな玩具屋も多かった。玩具の値もたいへん安かったが、仕上げは完璧、しかも仕掛けがきわめて巧妙なので、ニュルンベルクやパリの玩具製造業者はとても太刀うちできない

たとえば玩具の小鳥が入っている鳥籠は五~六スーで売られているが、小鳥は機械が起こすほんのわずかな風でくるくる廻るようになっているし、仕掛けで動く亀などは三スーで買える。

日本の玩具のうちとりわけ素晴らしいのは独楽で、百種類以上もあり、どれをとっても面白い。

(p.137)

 

日本人は絵が大好きなようである。しかしそこに描かれた人物像はあまりにリアルで、優美さや繊細さに欠ける。

(p.137)

 

他国では、人々は娼婦を憐れみ容認してはいるが、その身分は卑しく恥ずかしいものとされている。だから私も、今の今まで、日本人が「おいらん」を尊い職業と考えていようとは、夢にも思わなかった。ところが、日本人は、他の国々では卑しく恥ずかしいものと考えている彼女らを、崇めさえしているのだ。

そのありさまを目のあたりにして――それは私には前代未聞の途方もない逆説のように思われた――長い間、娼婦を神格化した絵の前に呆然と立ちすくんだ。

(p.140)

 

日本の宗教について、これまで観察してきたことから、私は、民衆の生活の中に真の宗教心は浸透しておらず、また上流階級はむしろ懐疑的であるという確信を得た。ここでは宗教儀式と寺と民衆の娯楽とが奇妙な具合に混じり合っているのである。

(p.141)

 

欧米から見た日本

 
 

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