メンデス・ピント

『東洋遍歴記』
メンデス・ピント(岡村多希子訳) 『東洋遍歴記』
東洋文庫366,371,373, 平凡社, 1979-1980
 
フェルナンド・メンデス・ピント (Fernado Mendes Pinto, 1509?~1583) はポルトガルの商人で、1537年頃からインドを手始めにアジア・アフリカを広く遍歴し、日本を四度訪れた。

1551年の三度目の訪日時にフランシスコ・ザビエルと親交を結んだが、その時には相当な財産を蓄えていた。

1554年4月に四度目の訪日のためゴアを発ったが、途中マラッカでイエズス会の修道士になった。

1556年7月に九州に着き、11月に離日したが、この間にピントはイエズス会を脱会した。

1558年にポルトガルに戻り、1578年頃『遍歴記』を書いた。
 

その寺院というのはすこぶる壮麗・豪華で、彼らの司祭に当たる坊主たちは私たちを手厚く迎えてくれた。

この日本の人々はみな生来大変に親切で愛想がいいからである。

(二巻, p.171)

 

したがって、ゼイモト(※ディオゴ・ゼイモト)が善意と友情から、また、先に述べたように、ナウタキン(※種子島直時)から受けた礼遇・恩顧の幾分かに応えるために贈ったわずか一挺の鉄砲が因で、この国は鉄砲に満ちあふれ、どんな寒村でも少なくとも百挺の鉄砲の出ないような村や部落はなく、立派な町や村では何千挺という単位で語られているのである。

このことから、この国民がどんな人たちか、生来どんなに武事を好んでいるかがわかるであろう。

(二巻, p.173 – 174)

 

そしてこれら日本人というのは世界のどの国民よりも名誉心が強いので、彼は、自分の前に生ずるいかなる不都合も意に介さず、自分の意図を万事において遂行しようと決心した。

(三巻, p.124)

 

この日本人というのは、そのあたりの他のどの異教徒よりも道理に従うものだ、と私が何度も言うのを読者諸氏は聞いてきたのではあるが、坊主たちは他の人々よりも多くのことを知っているという生来の自負心と自惚れのために、一旦自分の言ったことを否定したり、自分の信用に関する議論で他人に譲ることは、たとえそのために千回その生命を危険に曝そうとも、名誉を損なうものと見なすのである。

(三巻, p.195)

 

それは、彼らがそのあたりの他の異教徒よりも元々優れた理解力を持っていることは否定し難い人々だからで、したがって、彼らを信仰へ改宗させるためにに注がれる努力は、コモリンやセイロンのシンガラ人よりは、この人々における方が、より大きな実りを結び、したがって、より効果的であろうと思われる。

(三巻, p.201)

 

欧米から見た日本

 
 

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