古代史入門 2.1

古松軒「人馬の市」

 なぜ「日本の文化」が全然理解されていないかといえば、「島国」というのは例えば「英国」の場合でも、「イングランド」と「スコットランド」と「アイルランド」とは、みんな民族が違うわけです。例のスコットランドのジェームス一世 が、自分の母親のマリー・アントワネット ※(1)がエリザベス一世 に首を切られるのを見殺しにし、エリザベス一世 の後を継ぎ「スコットランド」と「イングランド」を合併した。

 しかし人民は、いまでも「スコットランド」は「ケルト(キルト)」というスカートを履き、民族別を明らかに今もしている。「アイルランド」ときたら二十世紀の今となっても独立運動をくり返し、ロンドンで爆弾を投げ英国と分離することを望んでいる。つまり「英国」が三つの民族の合併されたものならば、「日本」は「九州」「四国」「北海道」「本州」と四つの島ゆえ、どうしても四種類以上の民族が複合されているのは、眼に見えた当然の常識ではなかろうか。

 判りきった事ですが、〈学校歴史〉では西暦712年に『古事記』、八年後の720年に『日本書紀』ができ、さも印刷されたかゼロックスでコピーでも撮られ、そっくりそのままが現在の活字本になって伝わってきているものと、思い込まされ信じ切っている人が少なくないのが、誠に困った事というか、あまりにも悲しい国民性ではないでしょうか…。

 『日本書紀』『古事記』ができた時期よりも、「桓武天皇」が焚書した時代の方が遥かに後なんです。ということは、『日本書紀』とか『古事記』という最初にあったものは、「桓武天皇」の時にすっかり焼かれてるわけです。ですから「偽史」というよりも後年の勧学院での「創作史」です。

 それから、学校の歴史では源頼朝 が「文治革命」を起こしたことになってますけれども、これはあくまでも北条政子ロボットです。ようするに、戦争をする時には馬をもつ〈蘇民系〉の「源氏」が有利で便利だからと、利用するため政略結婚北条政子 がやったのです。平定すると無用になった源頼朝 が、馬から落ちて頭を打って即死ということになってます。北条政子 に言わせると梶原源太 が殺したんだということにして、まず反北条平氏派の旗頭ですから梶原一族を皮切りに下手人として殺し、次々と〈源氏系〉を、和田とか三浦とか順々に滅ぼしてしまって「ゲットー」へ収容。

 つまり、「平氏」は北条の名でまた天下を取ったのに、「源氏」は使い棄てゆえ「いつかは復仇せん」と初春狂言にと「誉曾蛾仇討」を各地で彼らは上演。北条政子 は古い「平氏」。なにしろ「伊豆」の「伊東」と今は言いますが、昔の古いものをあそこの現地で調べますと、伊はエビスの夷です。豆は津です。伊東は夷頭です。「夷津」の「夷頭」で特殊部落です。また「桓武天皇」の書き直された『日本書紀』は「百済史」の焼き直しだというようなことが言われるのは、これは「桓武さま」が〈百済系〉だからです。

 原住民大同団結決起の際、例の「大宝律令」で弁髪は貴種の「良」で、それ以外は「賎」の民であるとしましたけれども、「藤原氏」が〈百済系〉まで敵に回してはしょうがないからと、「桓武天皇」を立て「楯」にしたわけで、〈百済系〉に…お前たちは今度から「良」の民にしてやるから、大いに奮励努力せよ…と言って、それで今度も中国から、まだ日本原住民の方は「石の斧」だとか、貝殻をこすった「貝の刃刀」だとか、せいぜい弓矢なのを、徹底的に鉄武器で制圧したのです。

 けれども困ったことは、この原住民というのは女性上位なんです。いまでも花柳会へ行くと、「女将」と書いて「オカミ」と呼びます。男のことは全部「男衆」と言うのです。男は結局、女にとっては全部単なる「セックスの対象」にしか過ぎないわけなんです。
 

 
 さて、この時点において〈百済系〉が「良」にされ、「藤原氏」が「唐」で〈弁髪系〉ゆえ、真似て髪を伸ばし隠しこむ「冠制」もできたのです。それ以外の〈新羅〉とか〈高句麗〉は「蛮族」です。ゆえ蛮族追放といって討伐されました。『古松軒日記』というものが残っています。その中に「人馬市」というのがあるのです。泣き叫ぶ子どもまで「競り」に掛けられている「奴隷市場」として、人間と馬を一緒に売っていると書いています。人馬とは〈四つ〉のことである。征圧された騎馬民族です。つまり日本海を渡って(「江上説」では体制べったりで、鴨緑江を渡って九州から入ってきたことになってるけども、実際は沿海州から)入ってきた種族。

 いまでも「バイカル号」はかつて「横浜」から出たんだけれども、今は不便がられても裏日本「新潟」からです。片道燃料が助かるからです。最近ウラジオストックの布設水雷がどんどん六時間で流れてきます。能登半島から佐渡に流れてくるわけです。「新潟」のことを幕末までは白山島と言っています。ここへぶつかったものが、ベーリング海流※(2)ですから、右へと流れ岩手まで行ってしまうわけなんです。
 

 
 また反対の方へ流れて来ますと、若狭から出雲に行っちゃうわけです。だからして『東日流外三郡誌』などという本を読むと、「岩手県人」と「新潟県人」は同種同系であるとされ、新潟が危なくなると、岩手が助けに来る。岩手が危ない時には新潟が助けに来る。いまでも新潟県人田中角栄岩手県人鈴木善幸 をロボットのように立てている。

 白人のユダが有色人種のイエス様を裏切ったにしても、二千年も経ってしまえば時効。それでもなおかつユダヤに対しては、ナチスは、片っ端から捕らえて「アウシュビッツ」で始末した。つまり民族の血というものは何千年たっても憎しみ合いが残り、人類みな兄弟などと簡単なもんじゃない。
 

 
 さて、「北条時代」というのは北条政子 の系統だが、「源氏」をみんなブッ殺したり「ゲットー」へ入れてのけて、「北条氏」だけの天下を建てた反藤原勢力です。つまり南北の「六波羅探題」というのは、これは「御所」のお目付で監視所。「御所」が謀反を企てぬ為の見張りです。あの頃は、これは学校の歴史にも出てるけれども、畏れ多くも尊い方を隠岐島や土佐や佐渡へ全部配流にし、本当の世直しをしているんです。

 さて、この北条時宗 の時に「元寇」があった。なぜに執拗に「元寇」なるものが、あんなにまで何度も日本へ攻めて来たのかと考えてみるべきです。「元寇」が結局は正式に攻めて来たのは二回でしたが、向こうで準備はしても此方へ来なかったのを入れると計四回もあるわけです。何の目的だったのかというと、単なる進攻ではなかったのです。

 今もハバロフスクへいらっしゃると、中央通りに「民族館」があります。ちょうど、階段を上がって左側が「勝利」のウインド。例の「二百三高地」の時に使った青銅製の古い機関銃が置いてあるケースで、日本兵がみんな山になって死んでる
 

彼らは、我々の目標になるように、わざと白い布で胸をX印に飾って進み、重なって死んでいった

 
…という説明がついてるとこですけれども、さてです。この建物の正面口にドカッと直径1メートルの大きさであるのが、笹竜胆のマークです。
 


二〇三高地の肉弾戦

 
 それからハバロフスクから約5キロぐらい行って、今は軍事基地で全然入れませんが以前はチャリボと言った町がありますけども、ここは面白いことに笹竜胆のマークの横のところに、パンダが笹を咥えて右端に出てくるんです。要するに「トーテムポール」と言いますか。似通ったものでこれから始まりまして、いわゆる「ジンギス汗源義経説」なんていうのは、言語風俗が同じですからそれで出て来るわけです。

 さて、なぜそんなにまでしつこく日本に「元寇」などというのが来たのかと言えば、要するに「北条氏」が「源氏」を全部滅ぼしたり「ゲットー」に入れてるので、「元」(源)本国にしてみれば、同じ民族ですからこれをもう一回、本当の「源氏」の世の中にしたいため、起死回生というか、失地回復のために、損得抜きで攻めて来た戦争じゃないでしょうか。

 ですから北条時宗 が、それまで北条政子 の時から約八十年ぐらい経ちますけれど、清盛からのあらゆる「歴史書」と、それから鎌倉の『問注文書』をはじめ、『日本書紀』の「第五次」改訂版までの「歴史書」を、ここでもう一回一綴も残さず集め焼いているんです。ですから「桓武天皇」が〈百済文字〉で書いたものもみなこの時、全部焼かれてるわけです。もちろん次の清盛や「北条氏」の都合の良い歴史にできたものも、みな全部焚書。何か「偽史」と言うと、「正史」があって「偽史」があるみたいだけれども、もともとはじめから「正史」などありはしない

 それから、次は「足利時代」になりますが例の「足利氏」というのは、中国に対して「臣源道義」などと自著し臣従してますから、〈学校歴史〉では文字通り「源氏」だと思って教室での歴史は教えています。だがあれは「源氏」ではありません。祖先の足利持氏 は「源氏」と言うよりも明白に平家民族なんです。ところが「源」という字を付けないと、また「元寇」みたいに失地回復に攻めてこられては困るから、外交的駆け引きとしたのです。だから国内向きには全然、「源の何」などとは「足利氏」は使ってないです。ただ対中国に対してだけ「臣源道義」などと言ってたわけです。

 ですから『日本書紀』をはじめ歴史まがいは完全に焼かれて…今と違ってゼロックスも無ければ印刷屋も無い時代で、「筆写」で書かれただけのものですから、武力権力で集める気になれば簡単ですから、武者所を使って集めた一切のものは「問注所」の文書と一緒に、もし元軍が日本に…神風が吹くなんてことはその時はまだ分かってなかったから、日本へ入って来た場合にヤバいからと、それまでの「歴史書」と共に「源氏」を「ゲットー」へ入れた『武者所文書』も全部焼いてしまっているんです。だから今の残っているものは、その後の「足利時代」の創作。ですから「正史」でもなんでもなく、頭を絞って作った格好づけの「創作史」に過ぎません。
 
 
※(1) マリー・アントワネット ⇒ 誤 / メアリー1世 ⇒ 正
※(2) ベーリング海流 ⇒ 誤 / リマン海流 ⇒ 正
 
 

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