古代史入門 2.2

義理と人情とは

・前人未到で、これまで何人も為し得なかった日本古代史への入門を、何の参考らしいものとてもなく、全く自力で独特解明してこられたのは何故でしょう。全くこれまでの日本史では例外とも言うべき、「納得できる真実」で読めば合点でき、これが本当だなと判るのですが。
 
 
 民族の血の流れでしょう。誰もできなかったのは、「日本」という国は儲かることでなくてはしない。真実の歴史の解明なんか一銭にもならぬ。だから身銭を切ってまで馬鹿なことをするようなのは無かっただけです。

 解明し、後学のために書き上げた「八切史観」の初め五冊は、あんまり詳しく書くと判り難いから「占領軍」の方が黒染の「黒」。ようするに、よく外国で宣教師を先に送っておいて、それで人民を手なづけてから「占領軍」が入ったみたいに、墨染の衣を着た「坊主」を先に入れました。今でも岡山へ行くと「黒住教」という宗教が残っています。それに対するに「被占領軍」の方は「白」となして、「黒」と「白」で「八切史観」は入って行ってます。

 しかし本当はそれよりも、古代海人族は「赤」でその方が多いんです。これは神社で言いますと、白木造りの神社って申しますね。あれは白木じゃなくて新羅造りなんです。日本において新羅の方が多くて、高麗(こま)は九州の「薩摩」だとか「肥後もっこす」が高麗ですが、上州の方も強いんです。埼玉県には高麗神社がありますけれども、彼らはその「氏子」なんです。同じ騎馬民族として共闘したのですが、勢力が今の慶尚道の新羅の方が強く、やがてその下に入ったものだから、白木造りの神社の前には必ず狛犬(こまいぬ)が置いてあります。ガードマンみたいに、左右に二匹並んでいるのがそれです。

 古代海人族の方は原住民の立場で言いますと、「馬方」は民族カラーの「白」いフンドシです。ところが「籠カキ」だとか、それから「蓮台渡し」だとか、馬を使わない方の人足は全部が「赤」フンドシです。ようするに、生魚をかじりながら日本へ流れ着いた連中ですから、私たちの子どもの時には海で水泳する時には、先生がみんな「赤」フン締めさせたもんです。僕は「白」いフンドシだと汚れるから「赤」いのかと思ったら、そうじゃないんです。海へ入るのだからです。

 大体において、「白」と「赤」とは庶民の大半どころか殆どだということになるゆえ、紅白の水引とか紅白歌合戦だとか「赤」と「白」に限ってます。「坊主」相手のお葬式の時だけは、「白」と「黒」になるわけです。

 郭務悰 こと藤原鎌足 が最初二千人の手勢を連れて、「白村江の戦い」に663年勝って日本に入って来て、その次の664年の5月には「御所」へ入っています。で、日本の「歴史年表」を見ると郭務悰 が表函を進む…ようするに、進物をプレゼントするということになっているんです。

 ところが、マッカーサーの時を思い出してもらうと分かるけど、「第一生命ビル」ですから目の前の「二重橋」を渡れば入れるのに、マッカーサーが「宮城」まで行って表敬訪問はしてないわけです。畏れ多くも天皇陛下の方でマッカーサーの所へ行き、腰掛けてでも写真を撮ればいいものを、「占領軍」は立って写真を撮るもんだから情けない変な写真になり、申し訳け無さに、私は関東軍若手将校と共に付き合いで、もちろん浅く切って左右へ知らず助かりましたが、腹を切ってしまったんです。
 

 
 私なんかは子どもの頃から天皇陛下万歳で育ってきたし、紀元節の時にはちゃんと紅白の饅頭を貰っていたから、饅頭を頂いたための「義理」です。「義理と人情を秤にかけりゃ、義理が重たい男の世界」って高倉健 さんが歌うとカッコ良いけどね、「義理」というのは全部、物を貰うとか金を貰うことであります。「人情」から言えば、田中某は評判が悪いし悪い奴だけれども、しかし田中某のお陰で道路工事の仕事が回ってくるとか、田中の側に投票をすると幾らになるとか…

 例えば清水次郎長 なら、次郎長が悪い親分の所へ行きます。その時に今の若い人だったら、どっちが善いのか悪いのかなんて判断しますけれども、そんなこと絶対にしないものです。悪い親分の所の子分が一所懸命になって、バッサリ斬られるような調子でも掛かって行くのは、例えば女房が病気の時に入院費出してくれたとか、子どもが学校へ行く時に祝ってくれたとかいった「義理」で掛かって行くのです。これを「義理掛け」って言うんですけどね。

 「義理」というのはお金ですよ。「義理と人情を秤にかけりゃ、義理が重たい男の世界」っていうのは日本におきましては、「金」と「人情」を秤にかけりゃ、「感情」なんてことよりもソロバンの「勘定」の方が大事であると、儲かる方に付かなきゃいけないというのです。ですから昔から「一文にもならぬことを、誰がするものか」といった「格言」さえも、堂々と昔から日本には七世紀からはあります。

 つまり、唯一お金しか信ずるものが無いのが、本当に信ずる対象を持たず、「七曜神」さえ宝船に乗った「七福神」にされて「夷也」が「稲荷」にされ、訳が判らなくされた私どもの悲しさでしょう。

 丁度今から半世紀ぐらい前の「大正時代」は、日本軍部のシベリア出兵から「インフレ」が酷く米価が四倍にもなり、富士焼津や越後の裏日本の騎馬民族の流れを汲む女たちが県庁や町村役場、米屋を襲って「米騒動」。これが日本全国に波及し各地で暴動が三百余ヵ所に勃発。軍隊が出動して斧やナタを振う女たちを鎮圧。そこで「大正デモクラシー」と言う、日本では初めての自然発生的な民主主義的な世となった。何しろ「おい、こら」とサーベルを振り回すのを、おかみさん連中の薪割りのナタで叩き落し折ってしまって、止むなく軍隊が出て銃撃し「寺内内閣」は解散。『明治密偵史』に出て来る「税金」を機密費に貰っていた原敬 が、「平民宰相」を看板にして新内閣。そこで「平民時代」が日本にも、やっとのことで漸く生まれかけ出したみたいになった。
 


国会を取り囲んだデモ隊(1960年6月18日)

 
 昭和初期までの短期間だが「大正デモクラシー」と呼ばれ、それまでの「幕藩体制」に対し反発。その中で今も残っているのは柳田国男 の「民族学」。次いで弟子である折口信夫 なんかが現れて、「お上」の歴史に対して「常民史観」というようなことを言い出しました。歴史は「英雄史観」じゃダメなんだと。常民の…平凡の庶民の…庶民という言葉は使わないんですが「平凡人」、常民の日常の生活ですね、そういうものが本当の歴史なんだということで、いつの間にか五十年以上経って「民衆の歴史」は、柳田とか折口らのそういう「歴史観」で良いんだということで、一応は学問的にはキチンと表現されてるんだと、いつの間にかそんな風になっている所がある。

 そこに「原住民の歴史」という観点から、ひとつ大きな問題があるように思ったんです。しかし何と言っても柳田国男 は「大正天皇」の即位式の時に、宮内庁の役人として何か奉職をしたというくらいでいわば天皇崇拝ですけれども、同時に今までの政治優先で体制べったり。

 「英雄豪傑」とか「権力者」じゃなくて、一般の民衆の生活に則した歴史ということで、大きな影響力を持つようなことになってしまってるんですけれども、だが柳田や折口の「民衆史観」の非常なインチキ性と言うか、あるいは「落とし穴」と言いますか、それをキチンと決着をつけるということです。非常に重要じゃないかという風に思うんですけれども。

 柳田国男『遠野物語』を…いわば地元の佐々木さんのものをソックリそのまま出すという形で、「柳田民族学」というのを引っ張って来てると思うんですけれども、彼の「常民」はそういう「蝦夷の話」が出発点になっていると言うんですけれども、原住民の抵抗とか、天孫族によって日本列島の原住民がだんだん追い込められる訳です。そういう「観点」が巧みな手法で、だんだんその姿が消えて行くみたいに実は感じて、痛感してるんです。

 あの人が集めた「聞き書き」みたいなものの中にも、山の中で農民が、非常に落ちぶれた感じの山の者と出会う場面です。しかしこれは、すごく落ちぶれて惨めな形で現れて来て、だんだん、しかしその姿も消えて行くみたいな書き方です。だから、彼らのそういう、だんだん消えて落ちぶれて行く「山林の貧困歌」を自分は歌うような按配なんだなぁ…なんて風な形でできた原住民の話が出て来る訳。それで体制側に非常に従順に暮らしている…そういう具合な「庶民」ですね。それを「日本民族」という形でそういう「カテゴリー」に位置付けさせて、それを日本人そのものだと、そんなふうに辻褄合わせしているところがあるような気がするんです。

 しかし、折口さんはやや柳田さんとズレたところがあり、この人は敗戦後はある程度は本音らしきものが、出て来ることになってるのかも知れませんけれども、折口さんの場合には「芸能論」という形で発表されている。やっぱり、日本の芸能は征服された奴隷から出て来たんだということが、かなりはっきり言われているような所はあると思うんです。折口さんの場合それでまぁ、ちょっとは「程度の差」があるというレベルの問題だと思うんです。
 

 
・それで「柳田民俗学」について何ヵ所か、ちょっと簡単に言及はされているところもあると思うんですけれども、そのへんはどうでしょうか。

 仄聞しましたところでは柳田さんは、今では「ゲイ」が市民権をもってますけど当時は最大の「悪徳」だったんで、これをバラすぞというような圧力を受けまして、俺はいいけれども折口が可哀そうだからと言い、途端に「民俗学」の方へ行っちゃった訳だそうです。あれだけ頭の良い人ですからあの人が「原住民史」をやってくだされば、私ごときが生涯掛けて前人未踏の途を手探り足探りでやらなくても、まだ当時なら資料も多く残っていたでしょう。

 次に、やはり手掛けられて止められた白柳秀湖 先生の場合は、ひとり娘さんがやはり人質みたいなことになって、男親っていうのは娘が可愛いから結局あの先生も、折角いい処まで行ったんだけれどもプレッシャーを受け、止むを得ず中止して右翼の評論家として歿られました。

 さて、「芥川賞」を獲った作家の死んでるのが九割までが「自殺」なんだけども、殆どが「自殺」ということをみんな遺族が伏せちゃうのです。例えば火野葦平 の場合だって、火野葦平 が可愛いがってたライオンの子どもが、翌日は締め殺されゴミ箱にあったのは有名な話で、半田義之も、私は『作家群』という同人雑誌にいましたから一緒だったですけども、半田の場合でも奥さんやお母さんが、「自殺」だと言うと何か精神病者みたいに思われちゃいけないからっていうんで、伏せてしまった。

 寒川光太郎 の場合も同じですけども、遺族が結局、後のことを考えて…日本では「自殺」は性格破綻者か気違いみたいに不名誉と扱われているようです。ですから遺族があると折角「自殺」しても何にもならないことになる。川端さんぐらいになるとガス管咥えて「自殺」しても、ちゃんと家族の理解があって本当のことを発表して「自殺」となって通る訳です。それとも太宰治 みたいに、愛人に連れられて玉川上水に飛込むとそれは証人がいるんだから、生き証人じゃなくても「死に証人」がいれば、まあ大丈夫です。

 それでも太宰に近い人たちは、女に殺されたんだという説も…「自殺」じゃないと流しているようですね。「自殺」ということは何か…吉村昭 っていうのが、作家というのは異常な者だと思われているけれどもノーマルな者である…と「東京新聞」に書き、「作家ノーマル説」というのは、それから三浦朱門 とかの連中が言い出したことなんで。だけど、ノーマルだったら作家になる訳なんて無いですよ。「アブノーマル」だからこそ作家であるべきではないでしょうか。私は自分がそうなるだろうと、八切止夫 は「破滅型」で全財産を研究に投じているのでこの点は真剣です。
 

 
 さて、原住民…原住民というとインディアンみたいですが、郭務悰 が最初は兵二千人軍夫四千を連れて日本に来ました。現代でしたらば、アメリカだったら奥さんのセックスのために慰安船を寄こすでしょうが、当時は未だディーゼル機関が無く、西南の風が吹く年に一回しか来られないんですから、彼ら六千人は全部が「チョンガー」です。それから西暦668年、「我にまた二千の兵を送る」との記録ではなってますが、ここでの「我」がさも「日本」へと誤っているが、進駐軍の「我」のことで、意味が全く違って来るんですよ。

 日本には、「百済王朝」の男たちは全部が将軍かまたは将校になって、全部がマザーランドの百済の救援に二万七千の原住民を引っ張って「白村江」へ行ったんだから、そんなにすぐ帰って来られる訳は、とても当時ではありえぬ。「今日も暮れゆく異国の丘に」という歌があったけど、あれは引揚げ船があったから、待てば八年か十年目に帰って来られたが、当時はそうは戻っては来られぬ。向こうで奴隷です。

 さて、進駐してきた郭将軍ら偉い人たちは〈百済系〉朝鮮美人を片っ端から現地ワイフ。かつて司葉子 が代表的な朝鮮美人の典型だったのです。体がスラーッとしていて毛の薄いのが特長。まぁ「軍人」「軍夫」共で九千何百人、それから「一旗組」を入れると約二万ぐらいの人間が、「札チョン」という言葉があるが、原住民の日本人の女を全部現地妻にし、子どもを産ませた訳です。テレビの『ルーツ』で白人の旦那が「奴隷」の女に子どもを産ませ、半分は白人でもやはり「奴隷」として売りに出す。あれと同じで、生まれた子もその子も「賎」。つまり、今の庶民の元祖となるのです。

 さて、海外旅行でもパック旅行なんかでは、みんな日本人から金儲けるからして非常に愛想が良い。ところが我々が個人で向こうへ行くと、面と向かって「ウップ、ウップ」と言う。「ウップ」とは排泄物のこと。「イエロー」です。ドイツでは面と向かって「スモールピープル」だが、大体の所が「ウップ、ウップ」。ところが一番最大の蔑称は「バスタード」、つまり「庶子」と呼ばれること。

 父親が認知するだけの子供、例えばこの子は器量が良いから大きくなったら「芸者」に売れるとか、「作男」に使えるというので、タダで使うために「庶子」として認知するのゆえ、「バスタード」という言葉は最大の罵りなのに、日本人は平気で「われわれ庶民の生活はキツくなった」などと用いる。そして日本人の中に庶民と自称するのが八割五分から九割いるわけです。

 それゆえに投票日がお天気ならば、自民党に投票すれば「増税」になるし、いつ「徴兵制」が布かれるか分からないのに、家族揃って全部がみな自民党に投票するケースが多い。まぁ、「義理」を封筒に入れて貰っているせいがあるかも知れないけれど、まぁ、伝統の奴隷根性です。
 

 
 さて、「ソ連」だってソビエト連邦。何しろ有色人種が人口の75パーセントを占めてるからでありましょう。が、アメリカだって「合衆国」。超大国はみんな「合衆国」だとか「連邦」なのに、日本みたいに単一民俗だと言って威張っているみたいなのは、何だか「時代遅れ」みたいで薄気味悪いです。

 「一般」は、弁髪人または百済人と原住日本人女性との間に生まれた子どもで、それがまたズーっと次々と続いて来てる訳だから、「お上」には絶対に服従です。『野史辞典』の中には「八虐」という言葉が出てきますけれども、少しでも怠けると田んぼへ吊るしたりやりたい放題のことをやられても、「お上」に対しては絶対に忠実。「お上」が自民党なら、皆こぞって投票する。

 だから一般庶民は男は隔離され、先住民ゆえセンズリで済まし、女は否応なく大陸系の子を産まされているから、今となっては、例外もありましょうが大半が混血の子孫なんです。ですから「お上」さまに対しては完全な奴隷です。だから、世界歴史が始ってから異邦人に占領されて、アフガニスタンでさえも手製の銃で未だ戦っているのに、一回の「レジスタンス」も起こさなかった

 とは言え、日本も七世紀までは一所懸命にレジスタンスをやった。ところが「石の斧」と「貝の刀」に「鉄の刀」では敵わない。終われ追われて東北。例の岩手県みたいに「一戸」「二戸」「三戸」と、「九戸」まで海岸近くまであるが、「ノエ」というのは「バリケード」のこと。だから「九戸」まで追い詰められたから、後は海に飛び込んで北海道に流れ着く。そうすると「アイヌ」の毒矢でやられ、北方四島へ行くしかない。

 さて、この時日本原住民の女たちは次々と、はじめのうちこそ捕えられ彼らの「リオ・グランデの砦」みたいなタウンの中へ入れられていたものの、全国制覇して来ると「進駐軍」は、面倒臭いから女たちの部落を城外に次々と設けた。これを「カイト」と言う。

 「開戸」とか「皆戸」とか当て字はいっぱいある。問屋街へ行くと「エトワール・カイト」というのがあり、婦人服専門店で、漢字は全部が当て字だから「海渡」となっているが、そこでは女性に選ぶ権利は無い訳です。「今度来た下女は上総と、大喜び」というのが、江戸時代の『末摘花』にあります。ようするに…今度来た下女は千葉県の女だから、番頭から下は手代に至るまで、「夜鷹」なんか買いに行かなくても順ぐりに押しかけて行けば、全部、誰でもいたせるから大助かり…だという意味なんです。〈学校歴史〉屋さんは、千葉県は気候が温暖で、女が早熟で好色なのは気候が温暖だから発育が早いからだと言うのだが、日本で気候の暖かい所などいっぱいあって、別に千葉県でなくても良い。つまりは、多賀城の勢力範囲内だからである。

 かつてアルジェリアが「フランス領」だった時に、男は「ギャルソン」、女は全部が「娼婦」だった訳と同じです。反抗すれば…スカートを上げるのを嫌がったならば、殺されてもしょうがなかった時代が続いたのと同じです。

 「関西」では「生駒」がそうです。「生駒」は、昔は「夷」の字が当てられ「夷駒」でして、騎馬民族の女たちです。今でも流行歌で、「生駒は悲しき女まち」などの歌がある。最も極端なのは「京」の「桂女」。「御所」の公家専門で、三十歳を越すと「お褥辞退」で婿を取っても良いけど、三十までは「お上」御用専門。ようするに、初めて生理があると「アゲマキ」を作って、ご挨拶に顔見世に伺候。いつでもお役に立っておった訳で、良く言えば「お上」専属のコールガール組織だった。
 
 

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