近代日本の原点 - 明治

 「格差社会」、「いじめ」、「右傾化」、「少子化」、「幼児虐待」…は、バラバラなようでリンクしているというのがワタシの考えで、明治以降の社会構造の変化を再検証しない限り日本社会が抱える諸問題の根源は見えてこないように思いますw。
 

明治・その時代を考えてみよう

■ 富国と強兵

(前略)

 彼は、ヨーロッパからの帰国の途中で、アフリカやアジアの人々に対する西欧の人々の態度を見て、驚きそして憤慨したであろう。しかし、かれはこの様に考えたのである。

「…福沢は、ヨーロッパ人の態度を非難しながらも、そこにある種の痛快さを感じ、日本もまたそのようなヨーロッパ人と同様の優越的立場に立ちたいと思っている。それは日本を独立国家として西欧諸国と並び立ちたいとの念願と重なり合っている。

 福沢は、西欧文明の摂取による日本の富強化は最優先の課題であるとし、西欧化=近代化を進めることは、西欧列強のように他地域を植民地化していくことを必然とし、日本が文明化を指向するかぎり、そうした道をたどることは不可避とみた。…」

 そして、このような文章を書くのである。

「世界各国の相対峙するは禽獣相食まんとするの勢にして、食むものは文明の国人にして食まるゝものは不文の国とあれば、我日本国は其食む者の列に加はりて文明国人と共に良餌を求めん歟(か)、数千年来遂に振はざる亜細亜の古国と伍を成し共に古風を守て文明国人に食はれん歟(か)、猟者となりて兎鹿を狩る歟(か)、兎鹿と為りて猟者の狩らるゝ歟(か)、二者其一に決せざる可らず。」(外交論 『時事新報』83.10.1,9)

(松永昌三著「福沢諭吉と中江兆民」より引用)

 
 あらら…
 
『殖民地ノススメ』

…ですか?
 
 食うか食われるかの時代であった事は否めませんが、だからといって安直に食う側にまわるというのも、武士道的に見て如何なものか?それが「品性」ある国の振る舞いなのか?
 

明治村通信/明治の文化3

■ 明治の学制と教育

 明治政府は、欧米先進国に追い付くために、富国強兵策をとりました。その一環として、1871年(明治4年)に文部省を設立し、その翌年には「学制」を発布して学校教育をスタートさせました。政府は学問を、「その産をおさめ、その業をさかんにし、身を立てる財本(もとで)」として宣言し、また一般の人民、華族・士族・農・工・商、そして男女の区別なく学を修めることを目指すという、教育における四民平等を説きました。

(中略)

 この当時の教科書には、福沢諭吉の『学問のすすめ』『西洋事情』等の啓蒙書などが多く使われました。しかしそれも、明治10年代に自由民権運動が盛んになると、天皇中心の教育内容に統制され始めました。

 1886年には「学校令」が出され、文部省が全国画一の国家的教育を行う制度を確立しました。又、同年「師範学校令」により、各県に一校ずつ尋常師範学校が設立されました。明治村一号地にある、三重県尋常師範学校・蔵持小学校もその一つです。

 1890年には「教育勅語」が出され、1904年には、小学校の教科書は国で定められたものだけになりました。

(中略)

 当初の目的である…「国家のためでなく、自分のための教育」…とはかけ離れた教育であったワケですが、不学の人をなくそうという目標はこれで一応達成されます。

 
 ま、どこの国でも教育は国の最重要課題ですが…

美しい国

…ですか。
 


『美しい国へ』
安倍晋三

 
 

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