我々は、我々なのだ

 唐突ですが、「風の谷のナウシカ」の原作本でナウシカが…
 

「オーム(王蟲)が科学者によって創造されたとしても、高貴な魂はオーム自身のものだ。」

 
…と語る下りがあるのですが(記憶では)、自分自身を振り返ってみるに、「自分」という存在は「自分以外」との関係によって識別されるのであって、「社会」という鏡に映し出された姿と言えるかも知れません。
 

 
 「社会」との関係性によって自分(アイデンティティー)を意識し、「社会」があることで「仕事」にありついたり、「失業」しても「生活保護」のような「援助」を受け、何とか生命(存在)を維持することができるワケで…

人間は一人では弱い存在…orz

 だから「社会」という「共同体」が必要になり、昔の人は行動範囲が狭かったから「社会」の範囲も狭かったのですが、文明の発達に伴って「社会」の範囲も拡がり、やがて「国家」というレベルにまで意識が及ぶようになるワケです。

 民族、文化の最大公約数としての「社会」=「国家」という枠組みの中で時代を重ね、その間にも文明は加速度的に進歩したにも係わらず、異文化、異民族に対する生理的な拒否反応からか?「社会」の単位は依然として「国家」レベルのまま。

「国」とは?「国家」とは?

 「愛国心」を問われまず思い浮かべるのは自分の家族であったり、郷土(日本)の表情豊かな四季の風景や、幼い頃遊びまわった自宅の近所の路地などであり、間違っても…

「永田町」や「国会議事堂」や「政治家の顔」ではない

…コトだけは確か。それでイイと思うんですよね。

 イラクで戦死した多くの兵士にしても、最後に思い浮かべるのは母親の顔であったり、よく釣りに行った近所の川だったりで、国旗を思い浮かべながら死ぬなんて兵士はホンの一握り(いないとは言いきれません)なんじゃないか?と。
 

 
 前置きが長くなりましたが、総裁選を争っている最中の麻生さん福田さんではありますが、「テロ対策特別措置法」に関するお二人のコメントは一致していて…

「国際社会から必要とされている。」

…という認識ですw。

 しかしこの場合の「国際社会」とは、イラクの国民も含まれているのか?そもそもアメリカ国民は「イラク戦争」を支持しているワケ?
 

米首都で数千人が反戦デモ=150人を拘束
時事通信 2007.09.16 – 09:23

【ワシントン15日時事】米国の首都ワシントンで15日、イラク戦争の即時終結を訴える反戦デモがホワイトハウス前と議会前で繰り広げられ、数千人が参加した。米メディアによると、議会前では規制のバリケードを突破しようとしたデモ参加者約150人が警官隊に拘束された。反戦デモに対抗するイラク駐留米軍支持のデモも行われ、週末のワシントンはイラク戦争をめぐる賛否の渦に巻き込まれた。

 
 政治家の言う「国家」、「国際社会」とは、「国民」と切り離された「戦争」のための「道具」なのかも知れませんw。そこで思うに、「国」を見るのではなく「人」を見るコトが大切なのではないかと?

「某国が攻めて来るw!」

…だとか…
 
「日本が乗っ取られるw!」
 
…だとか、まことしやかに言う「論客」がいますが、「北朝鮮の一般市民」は日本に攻め込もうと本気で考えているワケ?「アメリカの一般市民」はイラクの一般市民の窮状を望んでいるワケ?

 「社会」の範囲もグローバル化が進み、中国の原発が排出する「放射性物質」は、「黄砂」のように確実に日本にまで飛来するでしょうし、もとより中国国内でも大きな環境問題を引き起こすハズ。

 中国政府(共産党)の方針で中国国民も放射線被爆を被ることになるワケですが、残念ながら中国では政府の方針に異議を唱える権利(人権)を制約されているのが現状ではないかと?

 翻って日本国民は、先の参議院選挙で国民の意思を表明したワケですよね?

「政治家は、あくまでも国民の代理人なのだ!」

…と。そしてこのことは、世界中の「国家」という枠に囚われた「国民」にとって普遍的な問題であり、各国の国民同士の相互理解と協調が無ければ、「世界」という「大きな社会」の持続可能な生活環境は維持できないように思うワケです。そ・こ・で、ワタシたちは「国家」という価値観を越え…

「我々は、我々なのだ!」

…という話になるワケです。はい。

 にしても、イロイロ考えさせてくれる「風の谷のナウシカ」って…

奥が深いわw!
 
 
 
 
でわっ!
 
 

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