半分、ドン・イー(同意) 1

 
 ま、オルタの言うことにも「一理ある」と思うワケです。
 

2008年12月27日
日本民族、中国民族など元々、存在しない
 
「兵器密輸商人である天皇一族は兵器販売促進=自分の金儲けのため日本を戦争に引きづり込んだ」より続く。
 
http://alternativereport1.seesaa.net/article/111703855.html
 
書物短評 : ベネディクト・アンダーソン 「定本・想像の共同体」  書籍工房早山
 
 近代社会に入り、一定の地域内で交易が行われるようになると、その一定の地域内部で言語、商業習慣と商業についての法律を「統一」し、取引の混乱を防止する必要性が出てくる。そこで商人達は、その一定の地域を「国家」という名前で呼ぶようになり、その「国家」の統一性を明示するために、一定の「同一の宗教・文化・言語・人種」によって統一された民族・国家という考えを「偽造」する。
 
 本書には、その偽造・捏造の形跡が明快に語られている。日本国家、日本民族などと言うものは元々、存在しない。日本固有の伝統文化など、元々、どこにも存在しない。従って日本民族の代表・シンボルとしての天皇・皇室など偽造・捏造であり、天皇と皇室には何の意味も、存在価値も無い。
 
 もちろん中国民族、中国文化そのものなど元々、どこにも存在しない。従って、中国民族が世界の中心であると言う中華思想は愚論であり、中華思想になど、何の意味も、価値もない。
 
 日本と中国は、この無価値なものの「プライド」を賭けて、争い、対立し、やがて戦争と殺し合いに突入する。
 
 人間として自分に自信を持てる中身のある人間は、自分の「外にある天皇、日本民族、中華思想、中国民族」などという観念に「依存」する必要は無い。自分単独で十分に価値があり、「誰か、外に依存する」必要など無い。「中身の空虚な人間だけ」が天皇と民族などというデマゴギーに「寄りかかる」。寄りかからないと、自分一人では立っていられず、倒れてヒックリ返ってしまうのである。

 


想像の共同体
ベネディクト アンダーソン(著)
白石 さや(翻訳), 白石 隆(翻訳)

 
 で、「日本文化とは移民との混合文化に他ならない」…とワタシは個人的に思っているワケですが、その根拠としてまず挙げられるのが血液型です。
 
 A型、B型、O型、AB型と、4種類の血液型を日本人は持っていますが、このことが、「4種類の民族」が日本人のルーツであることを雄弁に物語っています。
 


科学おもしろ百科 血液型

 
 ま、「原日本人」として「縄文人」(明石原人の子孫とか?)が元々居たのでしょうが、もし?純粋に「縄文人」だけが現在の「日本人」になっていたとしたら、いまの「日本」は存在していたかどうか?
 
 そりゃね?八切止夫氏が論じるような民族の抗争の歴史があり、それが現在まで続く「部落差別」の原因になってしまったことは、今を生きるワタシたちにとっては「不幸」であり残念ですが、多くの民族の血が交じり合うことによって多くの知識を得たことは、後の「日本」にとってはプラスになった面もあると思うワケです。
 
 「和」を重んじる国民性も、少なくとも「4種類の民族」が日本という限られた場所に共存していくための知恵だろうと思う次第です。はい。
 
 ところで、「時の権力者」が自らを神格化し、民を支配し、「国」を束ねようとするのは、神話の時代からヒトラーまで…というか現代ですら日常的に行われていますよね?
 
 そこで自らのアイデンティティーを「国家」に委ねず、「自分自身」を基準にするというのも尤もな話ですが、「人間」は…というか?ほとんど全ての「生き物」は「群れ(社会)」を作って行動しているという現実がありますよね?「百獣の王」といわれるライオンですら。
 
 「群れ(社会)」で行動する方が個体で行動するよりも生存確率が高くなることを、全ての生物は「本能的」に理解しているワケで、もし「群れ(社会)」がなかったら、冬の寒空の下で解雇された派遣社員はあっという間に「野垂れ死に」の憂き目にあうワケです。
 
 つまりワタシたちに必要なのは、「権力者」を崇め奉るコトよりも「社会」を維持することであり、簡単に言うと?身近な「お隣さん」と上手に付き合うことなのだと思うワケですが…どうですかね?
 
 で、「社会」を維持するためには「求心力」を持った何か?が必要とされ、「神」「英雄」「愛国心」といったものがそれに該当するのでしょう。
 
 問題は?「社会」が形成されるようになると、「社会」を機能的に運営するために「システム」=「権力構造」が同時に発生することにあり、「権力構造」が暴走すると、「個人」の自由を抑圧する「全体主義」=「ファシズム」に発展しやすいということです。
 
 したがって、「社会」の存在は必要不可欠であっても、「システム」の暴走を未然に防ぐ「歯止め」が必要となり、そこで「憲法」にそうした「歯止め」の役割を託したのであって、「社会」、「国家」を丸ごと否定するのはチョット性急に思うワケです。はい。
 
 
でわっ!
 
 

広告