半分、ドン・イー(同意) 2

 
 おそまきながら…
 
新年、あけましておめでとうございます。
 
 ま、今年もダラダラと取り留めもないことを、気の向いたときにUPしていく所存です。はい。
 
 BLOGとは「WEB LOG」の略称?であり、そして「LOG」とは「記録」のこと。
 
 自分の想いなり考えをWEB上に「記録」し、「公開」し、それを第三者がどうしようと…
 
どうぞご自由に
 
…というのがワタシのスタンスです。
 
 謂わばWEBという「道」の上に無数に転がっている「石ころ」のひとつでいいと思うワケです…。
 
 例えば人生において出会う様々な人たち…些細な出会いもあれば、人生に影響を及ぼすような強烈な個性を持った人との出会いもあるでしょうが、それでも「ワタシの人生」の主役はあくまでもワタシであって、出会った人たちは「キッカケ」に過ぎないように、「BLOG」もそんなカンジかなw…と。
 
 で、昨年からの続きなのですが、「半分、同意」について考えてみるに、よく引用させていただく養老先生のお言葉を借りれば…
 

「あんたが100%、正しいと思ったって、寝ている間の自分の意見はそこに入っていないだろう。3分の1は違うかもしれないだろう。67%だよ。あんたの言っていることは、100%正しいと思っているでしょう。しかし人間、間違えるということを考慮に入れれば、自分が100%正しいと思っていたって50%は間違っている」
(バカの壁 P.194)

 
…というワケで、他人の言うことは50%(半分)くらいに受け止めておくのが無難なのかな?…と。
 


バカの壁 (新潮新書)
養老 孟司 (著)

 
 ちなみに養老先生は、「一元論(原理主義)」を超え、多様な価値観を受け容れることを唱えているワケですが、人はなぜ「一元論」に陥ってしまうのか?という点についてのフォローが物足りなく感じます。
 

「知るということは根本的にはガンの告知だ」
(バカの壁 P.60)

 
 ガンを告知されたことによって「旧い自分」が死に、「新しい自分」に生まれ変わって世界が新鮮に見えるにしても、どう見えるかは人それぞれなんでしょうなw。生きる気力を失ってしまう人もいれば、残りの人生を有意義に生きようと考えるタフな人もいるワケです。
 
 であるならば、「ガンの告知」を受けても揺るがない精神力がない限り、「知る」という行為≒自殺行為は不安を増長させる危険性を孕み、真実を伝えること=良いことと単純には割り切れず、本人に「ガンの告知」をしない家族がいるのもありふれた現実です。
 
 「心の動揺(不安)」、「生活の変化」を嫌う「潜在意識」が、人を「一元論(原理主義)」に向かわせるのかも知れません。
 
 すなわち…「新しい時代」「新しい社会」「新しい世界」を渇望するのであれば、「死」を受け容れる覚悟が不可欠になるワケです。よね?
 
 どんなに時代が変わろうと、人は「社会」という集団の中で生活し、行動していくしかないワケですから。
 
でわっ!
 
 

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