進歩か、後退か 3

 
 イヤw、仕事が立て込んでるのと寄る年波か?ナカナカ続きが書けないワケですが、今回もアッサリ目にいきたいと思います。はい。
 
 で、「進歩か、後退か」という本題の前に、先日の中川財務相(おっと、もう辞任?)のG7後のヘロヘロ記者会見の件について、遅まきながらワタシなりの見解を述べようかと。
 
 まず、記者会見の模様が世界中のニュースメディア(主に西側諸国?)に流れ…
 
「日本の恥をさらした」
 
…というような論調も見受けられましたが、逆にですよ?他の国の大臣が同じような失態を犯しそれをニュースで見た日本人が、その国を丸ごとひっくるめて失態をおかした大臣と同一レベルで批判、評価しますかね?
 

 
 ワタシ個人の感覚からすれば、かの酔っ払い?大臣に関して…
 
(しょwもない大臣だなw)
 
…と思うことは間違いありませんが(恥ずかしながら、父親もアル中の気があるもんで)、かの国(日本国)や国民まで「しょwもない」とは思わないです。はい。
 
 よしんば他国のメディアに批判されたとしても…
 
「フランス人が女好きで、中国人が博打好きなのと同じように、日本人は酒好きで困ったモンです。」
 
…とシラッと言い返すくらいの器量が無いと、国際社会(グローバル社会)じゃやって行けませんぜ?ダンナ。
 
 特に…
 
(チチョリーナを国会議員に選出したイタリア人には言われたくねw!)
 
…などと思っていたのですが…
 
チチョリーナって結構イイかも?
 
…と「Wiki」で彼女の経歴を知り、不覚にもそう思ってしまいましたw。
 

シュターッレル・イロナ – Wikipedia
 
シュターッレル・アンナ・イロナ(ハンガリー語: Staller Anna Ilona、イタリア語: Elena Anna Staller、1951年12月26日 – )は、ハンガリー、イタリアの女優、歌手、政治家。ハンガリー人は姓を先に表記するのでシュターッレルが姓。
 
世界的には、チチョリーナ(イタリア語: Cicciolina)の芸名で知られている。選挙という民主的なプロセスを経て国会議員に当選した世界初のハードコア・ポルノ女優。イタリア代議員議員などを歴任した。
 
 
政治活動歴
1979年、イタリア最初の環境政党「緑の党」(Lista del Sole)の目玉候補者として選挙出馬。1985年、自由主義政党「イタリア急進主義者」(Partito Radicale)に転じ、原子力エネルギー反対、イタリアのNATOからの脱退、人権と世界中の飢餓救済を訴え、キャンペーンを行う。1987年、20,000票あまりの支持を得て、ラツィオ(ローマ)からイタリア下院議員に当選。この選挙で彼女が得た得票は、イタリア急進主義者党首Marco Pannellaに次いで党内で二番目であった。しかし、任期を終えた後、再選され議席を維持することはなかった。1991年には、「愛の党」(Partito dell’Amore)を盟友モアナ・ポッツィと設立している。
 
1990年、湾岸戦争が不可避の状況になってくると、「中東の平和のためなら、イラクの独裁者サッダーム・フセインとセックスしてあげるわ。」とアピール。2002年10月、イラクが大量破壊兵器の査察を受け入れるよう国際的圧力が高まった際も、再びこの提案を持ちかけた。さらに、2006年4月には、オサマ・ビン・ラディンへも同様のオファーを提示している。
 
現在も精力的に政治活動中。原子力エネルギーからの脱却や、刑務所内で囚人がセックスする権利などセックスの自由が保障された社会の実現を訴えている。死刑を含む全ての暴力、および毛皮や生体実験のための動物の使用には強く反対している。ドラッグの解禁には賛成、あらゆる種類の検閲に反対、学校での性教育を促進し、AIDSに関する客観的で正確な情報を行き渡らせるべき、という立場で活動。また、大気汚染による被害から自然を保護するため、自動車への課税を提案した。
 
2002年1月には、生地ハンガリーでのキャンペーンを開始。ブダペストの工業地区のケーバーニャ (Kőbánya) の選挙区からハンガリー議会を目指したが、無所属候補が必要とする一定数の署名を集めることができなかった。同年、イタリアのモンツァの地方選挙に出馬。巨大施設のカジノ化を公約としたが、票を集めるにはいたらなかった。2004年には、同様の公約を掲げ、2006年のミラノ市長選への立候補を表明している。

 
 「進歩か、後退か」の続きは次回(近いうち)に書きますが、ポイント(ワタシの私見)だけ先に述べるに…
 
進歩の肝は「効率」にある。
 
…と思う次第です。ハイ。
 
 
でわっ!
 
 

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