私的アジア開放論

 「ネットゲリラ」さんのトコロにこんな記事がありましたw。
 

大東亜戦争の本当の勝者は日本
2010年8月15日
 
今日は終戦記念日という事でTVも五月蝿いんだが、ところで、あの戦争の勝者は誰なのかね? まぁ、一般的には「連合軍が勝って枢軸国が負けた」と言われているんだが、話はそれほど簡単じゃない。そもそも、あの戦争は「何のための戦争だったのか?」というところがハッキリとしてないわけで、もともと日本では「大東亜戦争」と呼び、その目的は「アジアの国々を白人の手から開放するため」だったわけだ。

ベトナムを占領していたフランス、インドネシアを占領していたオランダ、フィリピンを占領していたアメリカ、ビルマを占領していたイギリス、そうした植民地を開放するというのが大きな目的だったわけで、まぁ、何だかんだ言っても、その後の歴史の推移を見れば、日本軍があれだけ戦ったから、アジアの国々が終戦後、しっかりと独立した事はハッキリしているわけだ。インドネシアなんぞは、日本軍が白旗を揚げたあとでオランダ軍が戻ってくるんだが、敗残兵だった連中が個人的に居残ってまで戦って、独立した。唯一、日本が負けたのは、アジアの開放にはあまり関係ないアメリカ相手なんだが、フィリピンはいまだにアメリカの半植民地ですね。可哀そうなもんだが、「大東亜戦争」では日本軍が勝ったものの、「太平洋戦争」では負けたんだから仕方ないかw

毎年この季節になると、自虐史観で大騒ぎするんだが、そう考えてみると、日本という国も、なかなかのもんだ、という気分になる。アジアの人民のために、力尽きるまで闘い抜いたからこそ、白人はアジアから出て行かざるを得なかったし、日本は戦後、アジアであれだけ稼がせて頂いたという事です。

戦争には、「目的」というのがある。ただ、強い弱いを決める競技会ではない。日本は、「戦い」には負けたが、「目的」は達したわけで、なので、少なくとも大東亜戦争の本当の勝者は日本です。

 
 以前、叔父の話を少ししましたが、戦地からの帰還者の胸の内を現在のワタシタチが推し量ることは難しいと思います。

 それでも想像力を奮い立たせ「もし自分が同じ立場に置かれたら?」と考ると、戦中と戦後で180度変わってしまった日本の姿に…

自分は何の為に戦ったのか?

…という憤りが生じても不思議ではありません。

 イイカゲンな軍上層部および節操のない日本という国に…社会に…失望してしまった軍人も多かったのではないかと?ワタシの叔父もそうした一人だったのかも知れませんw。

 そうしたなかで「植民地化されたアジアの解放」という本来の?純粋な「大義」を抱き続けた一部の軍人たちが、日本軍だの、日本国だのという制約を離れ自発的にベトナムとかインドネシアとかの独立戦争に協力したのではないかと?

 ごく一部のサムライ魂を持った軍人たちの孤高の戦いを引き合いに出し、手柄を横取りするのように「日本がアジアを開放した」と美化するのは如何なものかと。

「戦争は愚かで悲惨な行為だから止めろ!」

…と訴え続けている旧日本軍の軍人さんたちのほうが、戦友の死を心から悼み、弔っているに違いないと思いますし、それが鬼籍に入った叔父の供養にもなると信じます。

 そんな事を考えたのは、バンコク出張の帰りに空港の出国カウンターがエライ混んでて、前回とは違い行列がヘビのトグロのように一列に並ばされていたせいで、列に並ぶ人たちの様子が自然と目に入ってきたからです。

 列に並ぶ人達は国籍も性別も年齢もバラバラでしたが、それぞれに恋人同士、友達同士、家族同士で楽しそうに語り合い…

日本人と何ら変わらない

…ワケです。視野を広げればおそらく世界中同じような状況にあるハズなのに何故?利害関係のない一般市民がWW2のような大戦争に巻き込まれたのか?お互いを憎しみあったのか?その必要があったのか?などと列に並びながらボンヤリと考えていたワケです。

 昨今アメリカによる日本の実効支配の実態が明らかにされつつあるようですが、間違ってもそれは「アメリカ市民」が望んでいる事では無く、ごく一部のアメリカ軍の関係者や「安保マフィア」と揶揄されるグループが、日本への影響力や利権を失うまいと居直っているに過ぎません。

 悪事を企む連中はその正体を隠す為に、「愛国心」とか「伝統文化」とかを隠れ蓑にして大衆に取り入ろうとしますが、ジッサイ問題として「今を生きる」のに先に挙げた「価値観」はそんなに重要でしょうか?「愛国心」が無いと…「伝統文化」が無いと…「今」を生きられないのか?

 違うでしょ?平和であれば…他人と(他の国と)共存できれば…足りなくなった味噌や醤油を融通しあうことができますし、それが本来の庶民の暮らしのように思うワケです。

 してみれば?庶民が庶民らしい暮らしをまっとうできる社会こそが望まれる未来の姿であり、ソレには人間(人間性)の在りかたを再確認する必要があるように思うワケです。
 
 
 
 
でわっ!
 
 

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