英雄の危険性について

 英雄といえば誰を思い起こすでしょうか?日本人なら戦国武将の織田信長とか、豊臣秀吉とか、徳川家康とか…。海外に目を向ければアレキサンダー大王とか、ナポレオンとか、ジンギスカンとか…。

 これらの英雄や英雄的な人たちに共通しているものは何か?というと、ワタシ的には「力」のように思うワケです。

 英雄と呼ばれる人たちはその「力」によって偉業を成したが故に英雄と賞賛され、もしその「力」の使い方が違っていたらトンデモない「独裁者」になっていた可能性もあるワケです。

 ヒトラーは英雄か?となると、或る一時期において間違いなく「ドイツの国民的英雄」でしたが、現在ヒトラーを英雄と崇めるのはごく一部の少数派にすぎません。ヒトラーおよびナチス党の犯した戦争犯罪(ユダ人虐殺)は世界中の人びとに知られています。しかしドイツ国民がヒトラーを英雄に祭り上げたことは揺るぎない事実です。

 現在の小沢氏の国民的人気?をワタシが揶揄していると感じるかも知れませんが、その通りです。断っておきますがワタシは反小沢という立ち居地ではありません。もしワタシが民主党の議員であったら間違いなく小沢氏を支持します。それは菅氏と小沢氏の「政策」の違いから導き出される結論であって、そこに個人的感情を持ち込むつもりはありませんし、国会議員が優先すべきは税金を納めているすべての国民に奉仕するという「無私の精神」です。

そんな仕事、誰がやるかっ!?

…と大抵の人は嫌がりますが、みんなが嫌がる仕事を進んでやってくれる奇特な人たちだからこそ、国会議員にはイロイロな優遇措置が与えられていると言えます。

 終わることのない地域紛争や内戦で多くの人が傷つき命をおとしていますが、それは感情の暴走による暴力の行使が引き起こすものであり、損得勘定だけで簡単に人を殺せるものではありません。二度の世界大戦を経験したワタシたちは…

「激情と暴力」からは何ら有益なものは生まれない

…というコトを十分に理解しているハズですし、それが「理性」というものです。

 「正しいこと」は「正しい」と、「間違ったこと」は「間違っている」と、誰憚ることなく公言することができるのが「理性」に立脚した社会というもので、前回…

「正しさ」が自発的でないと簡単に過ちを犯す。

…と書きましたが、自発的な正義というか?持論(信念)をシッカリ持っていれば感情に溺れることもありません。つまりは…

「小沢コール」が起きたから何だ?

…という話で、その雰囲気に飲まれて「ノリ」で大声を張り上げた人も多かったんじゃないの?
 

【民主党代表選】わき起こる「小沢コール」に冷ややかな視線も
産経 2010年9月5日
 
14日投開票の民主党代表選を前に5日、大阪市のJR大阪駅前で行われた菅直人首相と小沢一郎前幹事長の街頭演説会。

猛暑にもかかわらず、駅前は約3千人(主催者発表)の聴衆で埋め尽くされた。

2人はともに経済政策や官僚主導からの脱却を訴え、汗をぬぐいながら耳を傾けた聴衆からは賛否さまざまな声が上がった。

盛んにわき起こる「小沢コール」に冷ややかな視線を送る人もいた。

午後3時の開始前には会場から離れた歩道橋の上まで聴衆があふれた。

異様な熱気の中、選挙カーの上にスーツ姿の小沢氏と白いワイシャツ姿の菅氏が登場すると、選挙カー前で小沢コールがわき起こった

先にマイクを手にしたのはシャツを腕まくりした菅氏。

経済成長による雇用創出を訴え、「クリーンでオープンな政党をしっかり作る」と声をからすと、聴衆から拍手が上がった。

大阪市淀川区の主婦(44)は「クリーンなイメージの菅さんに政治の無駄をなくしてほしい」と話した。

続いて小沢氏がマイクを握り、「口だけの政治主導では、霞が関の役人になめられる。私のすべての政治生命をかけたい」と声を張り上げると、菅氏を上回る大きな拍手に包まれた。

大阪府貝塚市の無職男性(70)は「いろいろ問題は指摘されるけど、この政治の混乱をなんとかしてくれるのは小沢さんしかいない」と話した。

しかし別の男性は、繰り返される小沢コールに「きっと支持者に動員をかけたんでしょう」としらけた表情だった。

一方で代表選そのものに批判的な人も。買い物の途中で足を止めた男性会社員(33)は

「どちらも具体的に何を変えてくれるのかが伝わってこない。ただの権力闘争としか思えない」と話した。

 
 話を戻すと、マスコミの偏向報道には疑問を感じますし、22歳の小娘をつるし上げるようなバッシングには不快感を覚えますが、感情的になったら過去と同じ過ちを繰り返すだけだと思うワケで、ネット上で個人(パーソナリティ)を攻撃したり、口汚く罵り合っていては逆に相手(体制側)の思うツボ(誘導)に嵌まるだけでしょ?

 国政は国民が主権者なワケで、英雄という「偶像」を祭り上げてしまうと「面の力」である「国民の力」が英雄という「一点」に収斂し…

ひとりの英雄を倒せば国民はおとなしくなる(親亀理論)。

…という体制側に都合のイイ状況をつくりだしてしまうワケで、ゆっきーが辞任したことにネット上の主だった論客が落胆しているのを目の当りにして…

いつまで同じ事を繰り返すワケ?

…と老婆心(老爺心?)ながら気を揉んでいる次第です。はい。

 もうね?何度も言っているのでアレですが、これからの時代は「英雄」に頼るのではなく、国民一人一人が立ち上がらなければ…

庶民が庶民の暮らしまっとう出来る社会

…なんて永久に実現できないんじゃないか?と思うワケです。

 英雄が必要とされたのは「弱肉強食」の時代が長く続いたからであって、いまの時代は違うワケでしょ?曲がりなりにも日本は民主主義国です。それに争うことの空しさを多くの人が感じているハズ。

 となると?いまの時代に「英雄」を求める人たちって、また「弱肉強食の時代」に日本を…そして世界を引き戻したいワケ?という話。
 
 
 
 

でわっ!
 
 

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