鹿男 PART3

 『常陸風土記』によると鹿島の地は「神郡」と呼ばれ、神職(祭祀者)が居住する中臣氏の管轄地だったとのコト。そして中臣鎌足=藤原鎌足が頭角を現すワケですが、であれば前回の疑問…

「藤原不比等が鹿島から鹿を勧請した理由」

…の答えは明快で…

自分の故郷の氏神を潅頂した

…というだけの話。

 また、『常陸風土記』には天地草昧以前に八百万の神々が高天原に集まり、諸祖神に命じられて武甕槌命(たけみかづちのみこと)が天降ったと記されていますが、そうなると八切止夫氏がいう四姓(源・平・藤・橘)の藤=唐

「白村江の戦い」に勝ち日本に進駐した唐の郭務悰(カクムソウ)将軍が、名を藤原(唐源)鎌足と改名して日本を支配した

…という説とは相容れませんw。
 
白村江の戦い – Wikipedia
 
 「白村江の戦い」があったのは663年で、『常陸風土記』が成立したのは713年。したがって『常陸風土記』の内容を書き換えるのは可能であったにしても、藤原不比等が藤原鎌足=郭務悰(カクムソウ)の息子だとすると、鹿島から氏神を勧請する理由が失われますw。
 
常陸国風土記 – Wikipedia
 
 八切氏にはアレですが、「常陸風土記」の記述=中臣鎌足は常陸出身としたほうが矛盾はありませんw。

 ただ、中臣氏には二系統あるようで、ひとつは神八井耳命(カンヤイミミノミコト)を祖とする多臣系中臣氏。もうひとつは天児屋根命(アメノコヤネノミコト)を祖とする中臣部・卜部の系統で、藤原(中臣)鎌足は後者とのコト。
 

【中臣氏の系譜】

…代表的古代豪族の一つである中臣氏(なかとみうじ)は、高天原王朝系の天児屋命(アメノコヤネノミコト)を祖とする。これによれば天津神系と云うことになる。元々は「卜部(占部)姓」で途中から中臣姓になったのだとも云われている。天児屋(アメノコヤネ)の命は、記紀神話上、天の岩屋戸の前で祝詞を奏上する神 、また天孫降臨に際し、五伴緒(いつとものお)の一人として布刀玉命、天宇受売命らと天降ったと記されている神である。

 「中臣」とは、天津神と皇孫との間をとりもつ「仲執り持つ」神祇奉斎の一族とされた。中執臣とも云われた。神八井耳命(カンヤイミミノミコト)を祖とする多臣系中臣氏(神と人との中を取り持つ忌人として朝廷の祭祀の役職をなす)との説もある。…

 
 多臣系中臣氏に着目すると、多=大・太・意富・於保とは「オボ」=国津系(先住渡来民族)と考えられていて、かつ「鹿」は「オボ(スキタイ)」のシンボルなので中臣氏と鹿は切り離せないことになりますが…

藤原(中臣)鎌足は天児屋根命系

…だとすると「鹿」が…orz。
 
中臣氏 – Wikipedia
 
 今回はこれにて。
 
 
 
 
でわっ!
 
 

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