選択と行動

 前回の話の続きになりますが、ワタシたちの人生は「運命」と「自由意志」の狭間をウロウロしているワケで、身近なところで例を挙げると「選挙」も「運命」のひとつです。

 何故?選挙が「運命」なのかというと、ぶっちゃけワタシたち庶民は自分の仕事や日々の生活の糧を得るコトが優先課題で、「政治」なんて面倒臭い事に関わっている暇は無いワケです…よね?

 しかし生活の場である「社会」はワタシたちの「共通財産」といえ、その「財産」…例えば「教育」であったり、「医療」であったり、「道路」とかいった「社会的財産」を管理する人間がどうしても必要になります。

 で、「どうしても必要になる」ということは「自由意志」ではなく、「必然」=「運命」と解釈できるからです。

 個人の「自由意志」を貫くことは「社会」の安定を揺るがすことにも繋がり、「社会」の安定を望むのであれば「管理者」を置かなければなりません。ワタシたちにとって「選挙」は「社会」を維持するうえでの「運命」であると同時に、選挙においてどの立候補者を選ぶかは「自由意志」に委ねられるワケです。

 これをサンデル教授の例題に重ね合わせると、ワタシたちはブレーキの壊れた電車(社会)に乗り合わせ、進行方向には分岐点(選挙)があり、候補者(レール)は「自分に任せてくれれば社会を良くします(犠牲者を最小限に抑えます)」と街角で演説し、それを参考に立候補者=進行方向を選ぶようなもの。

 で、二番目の例題…「線路脇で見ている」と状態とは、他国の社会状況(電車)を傍観している立場に置き換えられます。

 自らが所属する社会に関わる問題は当事者として「運命」を受け容れるしかないワケですが、他国の社会状況に介入するか否かは「自由意志」ですよね?

 ま、昨今のグローバル化とやらで世界中の国々が貿易や金融で相互依存関係を深めていることを鑑みれば、他国の「運命」に無関心ではいられないのかも知れませんが…。

 ただし「社会」の内に存在する個人の「自由意志」も原則として尊重されるように、国際社会においても基本的に各国の「自由意志」を尊重し安易な介入を控えるようにしないと、立場が逆転した場合に他国の介入を招くことにもなります。

 それがフェアな国際関係というものでしょ?
 
カダフィ大佐、即時退陣を=米大統領が初めて要求
時事 2011年2月27日
 
 「選挙」という「運命」と、「投票」という「自由意志」の狭間でワタシたちは葛藤するワケですが、前方のレールの上には五人居るのか?それとも一人なのか?…つまり未来が見えないからワタシたちは悩むワケですよね?

未来を知ることは出来ない。

…ということは好い事なのか?それとも悪い事なのか?未来が判ればすべては上手くいくのか

 そもそも「運命」の定義について考えてみるに、「自然災害」や「事故」で亡くなると…

「運」が悪かった。

…などと一般的に言われますが、はやい話がそれがその人の「運命」だったと言っているワケでしょ?

 つまり「運命」に対して個人の「自由意志」は無力であるというコトは、「抗いようの無い強制力」=「運命」ということにもなります。そこでさらに「抗いようの無い強制力」について掘り下げてみるに…脳みそが疲れたんで続きはまた別な機会にしますw。
 
 
 
 
でわっ!
 
 

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