或る科学者の独白

 
 昨年の「東日本大地震」にて被災された方々にお見舞いを申し上げるとともに、災害にてお亡くなりになられた方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。
 


 
 「科学」を正しく用いていれば、ワタシたちは現在のような「不幸な世界の住人」となることも無かったハズなのに、どこでどう「ボタンの掛け違い」をしてしまったのか…。
 
 「無能な権力者」がどんなに虚勢を張ろうとも、それに加担する者がいなければワタシたちは何の問題も無く日々を送れていたワケです。
 
 で、「無能な権力者」に加担したのは誰か?「科学者」であり、「企業人」であり、「資本家」であり、「メディア」であり、メディアに煽られ欲望のままに人間の本質、人生の本質を見失い、考えることを止めた「ワタシたち」なのです。
 
 くしくも元旦の「朝まで生テレビ」で司会の田原氏が…
 
 
「企業は儲けちゃいけないのか?」
 
 
…とパネリストの一人に喰ってかかっていましたが、もうね?
 
 
この人…ヴァカ?
 
 
…としか思えませんでした。
 
 
醜いなあ…。
 
 
…と。
 
 企業にしろ、個人事業にしろ、やってる事は同じなワケでしょ?「商売をして生活の糧を得る。」に尽きるワケですよ。
 
 そこでですよ?商店街の魚屋さんが、「儲け優先だ!」とばかりに「汚染された魚」をお客=社会に提供したら、社会からスポイルされるのは当然ですよね?そんな「社会に害を及ぼす魚屋」は、消費者からも見放され営業停止に追い込まれて当然です。違いますか?
 
 それが「大企業」になると、何か違うんですかね?現在、東京電力をはじめとする権力…もとい、電力各社は、トンでもない迷惑を社会に掛けながら何故か?何のお咎めも受けません。零細ながらも商売を営む身としては…
 
 
ザケンナよ!
 
 
…といった心境ですなw。市場を独占しているが故に電力各社はやりたい放題。だったら…
 
 
(街角の定食屋で食中毒が発生したくらいで、新聞、テレビが毎日ガタガタ大騒ぎするんじゃねえやっ!)
 
 
…というのが、ま、ワタシのごくごく私的な心情なワケです。はい。
 
 田原氏がとても醜悪に見えたのは、ひとえに「儲け最優先」の思考に脳みそが凝り固まっているからで、そこから「安全」だとか、「企業責任」といった倫理観がスッポリ抜け落ちているからで、こうした「恥識人」が幅を利かせているのが、日本の言論界(笑)らしいですなw。
 
 
アwホwかw?
 
 
…と。
 
 木元孝子内閣府原子力委員に至っては、「ワタシの生活レベルが…」とか、「日本の生活レベルが…」とかホザいてましたが…
 
 
ヤツらはきっと宇宙人!
 
 
…なのだろうと確信する次第です。こうした「自己本位の知性」しか持ち合わせていない「恥識人」が先進国?に多いから、原発は言うに及ばず、後進国からの搾取や貿易摩擦、国家間の紛争が絶えないんだろうと納得しましたわ。
 
 木元女史は年齢的にビートルズ世代でしょから、僭越ながらジョン・レノンのメッセージを贈らせて頂きます。
 
 

 
 
 前置きが長くなりましたが、「或る科学者の独白」をお読み下さい。
 

「役に立つ研究」で崩壊した日本の学問・・・苦しむ国民
 
 
4号機の再爆発が懸念され(私はそれほどの危険は無いと思っています)、福島を中心としてセシウムが再飛散しているのに、これまで「原発は安全」と言って来た専門家からはほとんど情報が提供されません。
 
その基本的な理由は「お金だけの社会」にあるのですが、より直接的な原因は「役に立つ研究」、「国立研究所重視」の政策にありますが、それは1990年ごろ、日本社会が支持したものだったのです。
 
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それまでの日本の学問は大学が主体となっていて、簡単に言うと大学の教授に「均等」に研究費が配られ、先生方が「勝手」にそのお金を使っていました。ある学者は夜の10時まで懸命に研究し、ある学者は適当に、そしてある教授は海外に「学会に行く」といっては外国でワインを飲んで帰ってくるという具合でした。
 
そこで、東大教授、文部省、そして一部のマスコミなどが連合して「役に立つ研究に研究費を出す」という運動がおこりました。その当時、「こんなひどい大学教授もいる」というような本を読んだことがありますが、大学教授も100人いれば、2,3人は変な人(大学教授はもともとやや変ですが)がいますから、その人たちを取り上げればどんなことも言えるという感じでした。
 
かくして「役人が決める「役に立つ研究」」にお金が出るようになったのです。もちろん、役人は形式は整えますから、科研費(かけんひ)と呼ばれるものを含めて、さまざまな研究費の分類を作り、それに東大教授を中心とした「審査システム」を作り上げました。
 
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その結果、簡単に言うと、まず第一に普通の研究費は大学の先生が文部省や経産省、厚労省、環境省などの申請をだし、それを東大教授が審査するというシステムができ、東大教授にゴマをするか、またはその時の国の政策にあった研究を申請することになりました。
 
第二には、「大型研究」でこれは、「偉い先生」が文科省、経産省、NEDO、JSTなどの外郭団体と親しくなり、「地球温暖化研究」、「DNA研究」、「ナノテク研究」、「太陽電池研究」などとして数10億円から数100億円のお金を獲得し、それを隠語で「青虫」として「配下の教授」に配るシステムです。
 
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20世紀の初めに「共産主義」の国家が誕生したときでも、未来はバラ色でした。なにしろ、国民が団結して上下もなく、私欲もなく、理想郷を作るのですから、それまで圧政の下で呻吟していた人たちにとっては素晴らしいものに感じられたのです。
 
でも、ソ連(ロシア)では、すぐに権力闘争が起こり、スターリンが「大粛正」という名前の殺戮を行い、後をついだ権力者も高級車を6台も保有するということになったのです。「素晴らしいシステム」があっても「人間がそれに応じるだけの人格があるか」の両輪が必要なのです。
 
「役に立つ研究」も同じでした。理想は素晴らしいのですが、現実には神様がおられたら神様に「役に立つ研究」を決めていただくことができるのですが、神様がおられないので、その代わりを東大教授、高級官僚、政治家などがやることになり、その人たちは「私利私欲」をもとで動きますから(人間としては当然かも知れませんが)、結局「御用学者」と「ごますり学者」が幅をきかせるようになったのです。
 
それに加えて、学問が大型化するとともに「国立研究所」などの力が大きくなり、環境問題では「地球温暖化計算のためのスーパーコンピュータ」、「環境観測の大がかりなシステム」などを国立研究所が進め、その結果、「政府が温暖化と言えば温暖化」、「東海地震と言えば東海地震」というように、学問とは無縁の情報が社会に流れることになったのです。
 
本来、学問には「反政府」などは存在しないのですが、私も政府の政策に反する研究は申請が通りませんでした。その時に、ある高級官僚が「武田先生、実際におやりになる研究は別にして、申請だけは政府に合わせておけば良いのですよ」とアドバイスをしてくれました。つまり、「ウソつき先生」がお金を取ることができるということです。
 
この「役に立つ研究」の被害者は、第一に日本の子供たち、第二に真面目な研究者、そして第三に国民でした。
 
日本の学問的研究のレベルは、「役に立つ研究」によって大きく後退し、将来に役立つ研究はほとんどすべてカットされました。なにしろ「現在、役に立つと考えられる研究」にお金がでるのですから、「どうなるか判らない」という研究(もともと研究の8割はどうなるか判りません)にはお金が出ません。
 
なにしろ申請書に欄のある「何の役に立つか」と「社会への波及効果」を書かないとお金が出ないのです。研究ですから何の役に立つかが最初から判るものは、ややレベルの低いものですから、結果的には研究のレベルはさがりました。当然、真面目な研究者は淘汰されます。
 
国民は口八丁手八丁の世間的に受けの良い「御用学者」や「ごますり学者」の研究のために税金を払うことになり、審査の機関などの天下り組織の人の人件費も負担することになります。
 
さらに、今までは「均等」に分配していたのをいちいち審査するのですから、その事務量は膨大で、「役に立つ研究」というのをマスコミが騒ぎ始めた頃、役人は「これはよい、大幅に天下り先が増える」とほくそ笑んだでしょう。
 
そして、今回のような原発事故が起こると、御用学者は「国民を被曝させる」、「データを出さない」という政府の方針に従いますから、またここで国民が損害を受けることになります。
 
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冷たく言えば、「研究とはなにか」、「何が将来の子供たちの日本に大切か」をよく考えなかった国民側にあるとも言えるのですが、福島原発事故が起こっても4500億円の原子力開発予算のことが報道もされず、お金も出ないのは、「役に立つ研究」によって日本の学問の中枢がすっかり「御用学者」で固められた結果です。
 
一つ一つの原発に反対することも大切ですが、それより、その根源にある「役に立つ研究」を撲滅しないと、セシウムの変化も解説されないことでわかるように、日本の将来はきわめて危ないのです。
 
(平成24年1月21日)
 
武田邦彦

 
 武田教授のように、いたってフツーの社会通念を持ち合わせている科学者、知識人ばかりであったなら、日本も世界も、もうチョットはマシな今日を迎えていたかも知れません。
 
 しかし武田教授が過去の過失と向き合い、科学者の本分(未知の探求)に立ち戻られたように、その他の多くの科学者(特に東大学閥)も、政治・権力に加担するのを止めるならば、日本も世界も、これから幾らでもやり直しが出来ると信じる次第です。はい。
 
 そして今、この不条理な社会や世界に異議を唱える全ての有志たちと共有したいのは、ワタシたちの言動・行動は…
 
 
反社会的行為ではなく、新社会的行為なのだ!
 
 
…という「誇り」です。はい。
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 

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