日本とシリアの意外な繋がり

 ワタシの地元である多摩地区の西南、神奈川県相模原市に「秦野」という地があります。で、その地名からして…

「秦氏」が開拓した土地なのでは?

…という話w。
 

秦野エイト会
 
秦氏と秦野

インドから来た秦氏

秦野という地名からして、最初に住み着いたのは秦氏の一族と考えられる。

秦氏は、朝鮮半島から来たらしいが、朝鮮人かと言うと、 そうではないらしい。

秦氏は、遠くペルシャあたりから朝鮮半島を経由して日本に来たらしい。

朝鮮半島を経由して日本に来たと言うと例のシルクロード経由で陸路で来たように思われるが、 そうではなくインドを経由してヴェトナムあたりの海路で来たらしい。

秦氏は、インドを経由してヴェトナムあたりの海路で来た訳だから、 一部は朝鮮半島の南岸に辿り着き、一部は日本の九州か山陰海岸あたりに辿り着いたと思われる。

ペルシャは、昔はアッシリアと呼ばれており、当時、アッシリアにはイスラエルの10部族が 捕らえられており、現在のイラク北部あたりに強制的に移住させていたと言う。

秦氏は、アッシリアに捕らわれの身になっていたイスラエルの10部族の末裔ではないかと言うのである。

彼らの宗教は、景教と呼ばれるものであった。

以下のページも見て下され。
 
日本の歴史
 
日本の歴史-応神天皇と秦氏
 
日本の歴史-騎馬民族征服王朝説
 
日本の歴史-佐伯好郎博士
 
(後略)

 
 で、秦氏が古代イスラエル人の末裔であろうと?秦の始皇帝の臣民の末裔であろうと?「渡来人」であることには変りないワケで、「日本人はハイブリット(混血)民族である」と考えているワタシにとっては、ドwデもE話。

 秦氏は聖徳太子にも仕えたそうですが、秦氏がキリスト教ネストリウス派(景教)の信者であったとういう研究(A.G.Gordon)もあり、であれば?聖徳太子の別名…「厩戸の皇子」…も、イエス・キリストの誕生逸話に因んで秦氏が命名した…という可能性も考えられます。

 ちなみにキリスト教ネストリウス派は、431年のエフェソス公会議(第三全地公会)にて異端とされ、教主ネストリウスは故郷のシリアに監禁されてしまい、信者たちは「ローマ教会」の迫害から逃れるために、拠点の在ったアッシリア(現在のイラク北部)からさらに東方へと亡命し、ペルシャ、インドを経て、635年に唐の首都長安に入京し、彼の地での布教が許されます。

 その3年後に唐の援助を受けて長安の西に大秦寺(教会)を建立し、「景教」と呼ばれて信仰を集めますが、844年、第18代皇帝「武宗」の廃仏毀釈によって大秦寺は破壊され、「景教」も唐から姿を消しますが、1625年に農夫により大秦寺の石碑が発見されると、中国にネストリウス派キリスト教が伝わっていたことがヨーロッパに知られるようになります。

 碑文には漢字の他に「シリア文字」で刻まれた名前が見られ、廃仏毀釈で大秦寺が破壊されるまでの約200年間、ネストリウス派キリスト教の宣教師が唐で布教活動していたことが偲ばれます。

 ネストリウス派キリスト教が長安に滞在を許されたのは635年であり、聖徳太子が存在したとされる574年 – 622年よりも後の時代になることから、長安(唐)の教団とは別の教団…もしくは宣教師が60年以上前に日本に渡来していないと、聖徳太子(厩戸の皇子)の由来が成立しません。

 つまり、日本には唐よりも先にネストリウス派キリスト教が伝わったのか?という話になるワケですが、それが秦河勝の先祖ということですか?

 一方、秦氏を古代ユダヤの民と考える人もいますが、大秦寺の碑文に「シリア文字」が刻まれていた事実からすると、景教徒≠ユダヤ人となり矛盾します。

 聖徳太子に「厩戸の皇子」という、イエス・キリストに因むような名を誰かがつけたとしたら、ネストリウス派キリスト教徒以外には思い浮かびませんし、秦氏がそう命名したというのであれば…

秦氏はユダヤ人ではない

…という結論になります。

 普通、キリスト教とユダヤ教を分けて考えますが、イエス・キリストは…

「旧約聖書の預言を完成させるために来た。」

…と聖書の中で明言しているワケですから、旧約聖書(ユダヤ教)と新約聖書(キリスト教)は連続していると見做せます。

 日本に渡来した秦氏一族も当然ユダヤの風習や旧約聖書の世界観を持ち込むでしょうから、「祇園祭り」は「シオン祭り」だろう…と、強引に古代ユダヤ人と結びつける必要も無いように思うワケです。

 それよりも大秦寺の石碑に「シリア文字」が刻まれていたいた事実からすれば、「ローマの迫害」を逃れて東方に亡命したネストリウス派キリスト教徒の大部分は「古代シリア人」であった可能性の方が高いのでは?

 ということは?現代の日本人の中には秦氏の血を…つまり古代シリア人の「DNA」を受け継ぐ人も必ずやいるワケで、神奈川県の秦野が秦氏の縁の地であるのなら、お隣の多摩の人間にも秦氏の血が少しぐらいは入っているかも知れませんw。

 ひょっとしたらワタシにも?入っているかも知れませんし、それ故、欧米のシリアに対する不当な介入に腹が立つのかも?…などと思ったりもするワケでが、ま…

歴史は侮れませんw。

…というオチです。はい。
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 

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