心の深呼吸

 
 鈴木邦男さんという「右翼の重鎮」の方が書かれている、その名も…

鈴木邦男をぶっとばせ!

…というブロクがあるのですが、その最新記事が秀逸でした。

 記事に書かれているように「対立」を煽る連中が諸悪の根源なワケで、人間、「腹を割って話し合う」ことができれば、お互いの妥協点も不必要な争いをせずに見出せるものです。

 また、視点の違いから来る「イデオロギーのすれ違い」というのも、いうなれば「思考の欠落」から生じるものであり、意見の違う人とは意見を闘わせるのではなく、「思考の欠落」した部分を補完しあう関係になればイイのではないか?と。

 もちろん、双方の中間点に「正解」があるワケではなく、「正解」らしきものはあくまでも普遍的な「理」に則してしる必要があるワケですが、その「理」が理解できないこと…それが…

バカの壁

…によるものだと、養老孟司センセは喝破したワケです。


バカの壁 (新潮新書) [新書]
養老 孟司 (著)

 「話せばわかるなんて大うそ!」…と本のオビには書いてありますが、コレって出版社が本の内容を理解していないことからくる誤解としか思えません。

 養老センセの論旨は明確で…

同じ人間だろ?

…の一点に集約されます。

 「同じ人間」であることを忘れているから、そこに「バカの壁」ができてしまうワケで、自分の独善的な意見を押し通すために「バカの壁」を持ち出すのは、所謂インテリぶった連中のレトリックに過ぎません。

 つまり、頭の良し悪しとか?学歴の高低とか?「対立構造」の存在理由として「バカの壁」が語られ、ベストセラーになった割には多くの誤解を受けたままのなのではないか?と。

 で、ワタシの「バカの壁」の理解としては、「同じ人間だろ?」という部分の掘り下げが甘かったので、多くの人に誤解されたのだろうと思うワケです。

 しかし時が経ち、誰もが「同じ人間」であることをまざまざと知ることになるワケです、福島第一原子力発電所の事故によって…。

 大都市の人間と地方都市の区別無く放射性物質は降り注いで来ます。そのことで…つまり「同じ被害」を被ることで、「原発」と言う存在が大都市の人間にとっても「リアルな存在」として意識されるようになり、「共通の問題」として受けとめられるようになったワケですよね?

 それは「同じ人間」という立場に目覚めたことであり、即ち…

本来の人間の在り方とは?

…という、「自問」の始まりにもなったワケです。

 「自問」は人間が人間であることの証明であり、「自問」の繰り返しによって人間は「進歩」して来たのワケで、デカルトは17世紀に…

我思う…ゆえに我あり。

…と書き記しました。
 
 ま、ワタシはデカルトについて良く知らないんでアレですが、デカルトが言うところの「良識」にしても、人間存在に根差したものであることが前提とされ、西欧…特にキリスト教圏においての「良識」、「理性」が神から与えられたものであり、人間存在も「神の創造物」=「物」であるというのは、ワタシには馴染まない考えなワケです。

 人間存在が「神の創造物」である以上、人間存在について問い直すことは「神を疑う」ことにもなり、宗教的には「タブー」=「思考停止」に陥るワケです。 

 しかしワタシが思うに、先の原発事故が切欠となり「人間存在」の「再定義」が求められる時代に突入したのではなかろうか?と。

 「心理学」にしても「哲学」にしても何にしても、「思考」を司るのは「脳」であり、脳の機能を度外視して学問を語るのは不十分であることと、「脳」を含めた身体機能からすれば…

同じ人間だろ?

…という理屈になるワケです。

 そして、人間本来の身体機能(脳機能)に関する知識不足が「バカの壁」の土台にあり、したがって「バカの壁」を超える…もしくは取り払うためには…

人間回帰

…という「肉体の再確認作業」が必要になる…というのがワタシの持論なワケです。

 これは格別ムズカシイことではなく、教習所で車の運転を学ぶようなもので、アクセルとブレーキ、ハンドルのさばき方を学ぶように、「脳」の各部の働きを理解する必要があるということです。

 前にも書いているように、「大きなグループ」に所属して安心するのは「生存本能」によるものであり、所属するグループの「正当性」とか「倫理性」とは別の、「動物的な衝動」に基づくことを自覚することも「個人革命」のひとつなワケで、それが「新時代」に必要とされる…

新しい理性の礎

…になると思う次第です。はい。

 で、最近「ポピュリズム」という単語をよく目にしますが、「大衆迎合」と翻訳されてあまりイイ意味では語られませが、恥識…もとい、知識人曰く…

大衆迎合は愚かだ

…というネガティブな論調がほとんどですが、コレッて「大衆は愚かだ」という「上から目線」の論調なワケでしょ?しかし、「本当に愚かなのはドッチなの?」というコトが、件の原発事故によって問われているワケですよ、現在。

 インターネットのお陰で誰もが的確な情報を得られるようになったというのに、いまだに「情報の囲い込み」に血道をあげ、「権威付けられた知識」=「硬直した知識」を守っているだけでは、時代に取り残されるのは避けがたいでしょうし、そうした「時代遅れの知識人」が「大衆は愚かだ!」とかエラソーに言ったところで…

ナンボのもんじゃい! 

…といった感じで、ゼンゼン説得力がありません。

 視点を変えればインテリ、知識人がその「ステータス(威厳)」を維持するためには、大衆は愚かであった方が都合がイイのでしょうし、それ故のメディア操作であったり、世論操作が行われる可能性も否めないワケですが、所謂「洗脳」に引っ掛からないためにも…

人間は人間を知る必要がある。

…と、飽きもせず繰り返してきたワケです。はい。

カンタンなことでしょ?

 ところで選挙も中盤から終盤に差し掛かると「雑音」が増えてきますが、「雑音」に惑わされないためにも先ずは自分の心と向き合い、謂わば「心の深呼吸」をする余裕を持ちたいものです。はい。
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 

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