階級と闘争と個人革命

 チョッと前の記事で恐縮すが、「WIRED」の記事を転載します。
 

「戦いは人間の本質ではなかった」:研究結果
WIRED NEWS (US) 2013.7.25 THU

人間のなかにある好戦的な気質が、実は比較的新しいものだと示唆する新たな研究結果が発表された。ふたりの文化人類学者は、人間における集団による暴力は異常なことであり、暴力が人間の本質に関わるとは言いがたいとしている。

TEXT BY BRANDON KEIM
PHOTO BY DOUGLAS FRY
TRANSLATION BY WATARU NAKAMURA
 
 
人類は実に長い間、激しい暴力の歴史を積み重ねてきた。戦争が人間の本質に根ざすものと考えるのは容易いことだ。しかし、人間のなかにあるそんな好戦的な気質が、実は比較的新しいものであると示唆する新たな研究結果が発表された。

この研究は、有史以前の狩猟採集社会における人間の生活に関するもので、その結果によれば、当時から人間に暴力的な面はあったものの、人が人を殺すことは激しい怒りや個人同士の確執の結果として生じたものがほとんどで、集団同士の争いから生じたものではなかったという。

文化人類学者のダグラス・フライとパトリック・ソダーバーグは、この発見について「人間が自らと異なる集団の構成員を抹殺するために徒党を組む傾向がある」という考えを否定するものと述べている。両氏の論文は米国時間18日付のScience誌最新号に掲載されている。

「ほとんどの人が戦争は古代から存在し、人間の本質に関わるものと考えている」とフライ氏は話す。「そして、そんな認識が現代社会においても大きな影響力をもっている」(フライ氏)

フライ氏とソダーバーグ氏は、考古学の記録上で人間が金属器を利用し始めた1万年ほど前から、石器の利用の始まった250万年前までの期間を対象に研究を行った。人類学では、この時期に人間の気質が形成されたと考えられており、また現在の人間への進化過程におけるさまざまな気質的要素が入り交じった時期であったとされている。

チンパンジーの争いに関する研究や、有史以前の人間の暴力を示すさまざまな考古学的証拠に基づく視点では、集団間の暴力は常に存在しており、人間の本質を映し出すものとみなされてきた。

しかし、フライ氏を含む研究者らはこうした見方が、不当にネガティヴな「科学における一種の原罪(a sort of scientific version of original sin)」であると考えているという。彼らは、人間における集団による暴力は異常なことなのであって、暴力が人間の本質に関わるとは言いがたいとしている。フライ氏も2007年の著書「Beyond War: The Human Potential for Peace」のなかで、有史以前の戦争については考古学的証拠がしばしば誤って解釈されており、狩猟採集社会の暴力についても誇張されていると記している。

フライ氏によれば、ほとんどの狩猟採集社会において殺人はまれなものだったという。また考古学的な記録の上でも、集団間の暴力は、より巨大かつ複雑で階層化が進んだ比較的現代に近い時代まで、一般的なものではなかったという。

※この翻訳は抄訳です。

 
 つまり人間が持つ闘争本能は、本来あくまでも個人的に発動されるものであって、集団(社会)が複雑化(階層化)されるまでは、集団的暴力は非常に稀であったというレポート。

 で、人間の脳の構造からすると、「犬猫脳」の段階までは動物と同じように私的な利害のためだけに「暴力」を発動させていたという話。
 

 
 「犬猫脳」の上層に位置する「大脳新皮質」=「人間脳」が個人的な動機を越えた暴力を発動させているワケで、その一例がナチスなどによるホロコーストですw。

 「人種差別」はイデオロギー(知性)に基づくものであり、直接的な危害とは無関係に、「アーリア人」の方が「ユダヤ人」より優れているという「レッテル貼り」によって、多くの「ユダヤ人」を虐殺したワケです。

「同じ人間ダロ?」

…というのが「バカの壁」の究極のテーマなワケですが、「壁」は水平方向のみならず、垂直方向の壁=社会階層間の壁も存在します。
 

 
 イギリスには厳然たる「社会階級」が存在するとよく言われますが、階級化が進んだ社会ほど「集団的暴力」が生じやすいと「WIRED」の記事は示唆し、それを鑑みると「大英帝国」による「植民地政策」の本質もだいたい想像がつきます。

 イギリスに限らず欧州のほとんどの王国が「植民地政策」を行ったワケですが…

封建制=社会階級制が確立した国は暴力的になる

…というコトの左証と言えるのでは?

 「社会階級制度」を持つ国が暴力的になる理由としては、「階級」の「利権」を守るために強権的(暴力的)になるからであり、それが国内のみならず海外にも向けられたのが「植民地政策」の本質だという話しで、「利権」を守ってくれるなら「海賊」でさえ「貴族」の称号を与えるワケですw。
 
フランシス・ドレーク – Wikipedia
 
 幸いにして日本は戦後制定された『日本国憲法』で、「貴族」「皇族」の類はもとより、「天皇」にしてもたんなる「象徴」とされていますが、どこぞの皇族の御曹司だとか?殿様の子孫だとか?をTVによく姿を見かけるのは、「階級社会」を懐かしむ人たちが一定数存在することの表れなんでしょうなw。

 また、「社会的階級」の他に、「経済的階級」が生じている現状もあります。「経済的階級」とは…

利権の囲い込み

…であり、「より多くの利益」にありつこうとする人間の欲望が生み出したものであり、そうした欲望が暴力の発動を促し、「欲望」をコントロールできない「未熟な脳」の人ほど上昇志向が強い=経済的階級の上部を目指す傾向にあるというコト。

 「囲い込み」はあらゆる局面に見られます。「経済分野」、「情報分野」、「学問分野」、「文化分野」、「医療分野」、「安全保障分野」etc…と、数え上げたらキリがありません。一例としては、「電力業界」が頑なに「原子力発電」にこだわるのも利権の「囲い込み」によるものであり、政府、各省庁、官僚もその「囲い込み」に加担しているワケです。

 で、こうした「囲い込み」を…

村社会

…と呼んでいるワケですが、ジッサイ?「囲い込み」は世界中に存在しますw。

 こうした「囲い込み」が世界に「閉塞感」をもたらしていることに、近年、多くの人が気付き始めてはいるのですが、他人の「囲い込み」を非難するのであれば、先ず自らの「囲い込み」をオープンにしない限り、言葉に説得力が生まれないという話。

 キビシイようですが、「反原発」の運動をしている各団体、各人にしても、自らを省みずに電力会社に「囲い込み」=「原子力発電」を止めろと抗議したところで…

フェアじゃないでしょ?

…というコト。

 そうした「囲い込み」を自ら開放する勇気、「囲い込み」などしなくても共存できる「オープンな社会」こそが、「反原発運動」の目指すヴィジョンとして重要になり、同時に、日本を含めた「世界の潮流」にならない限り…

何も変わらない

…という話で、そうした状況をブレークスルーするには…

個人革命

…を避けては通れないというコトを、繰り返し述べている次第です。はい。
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 

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