高麗神社と小泉家

 小泉純一郎元首相の政治家としての原点…というかキッカケは、祖父の小泉又次郎元大臣にあると言えます。「イレズミ大臣」とも呼ばれた又次郎氏はその名のとおり背中にイレズミを背負っており、政界に入る前は「小泉組」という鳶職人一家の「親分」でした。
 
小泉又次郎 – Wikipedia
 
 「小泉組」は又次郎氏の父である小泉由兵衛氏が立ち上げ、幕臣小栗上野介忠順(おぐり・こうずけのすけ・ただまさ)らによって1865年(慶応元年)に設立された横須賀製鉄所で、過酷な労働環境で従事する荒くれ者を手配していたようです。因みに又次郎氏の生まれは慶応元年=明治元年の4年前で、まさに時代の激動期にこの世に生を受けたワケです。
 
小栗忠順 – Wikipedia
 
 由兵衛氏(曾じいちゃん)の「小泉組」が幕府の仕事を請け負った縁で政界との繋がりが生まれ、若き日の又次郎氏が家業=鳶職を嫌がり海軍に入りたがったというのも、幼少より海軍と馴れ親しんだのであれば無理からぬ話。
 
横須賀造船所 – Wikipedia
 
 しかし由兵衛氏はそれを認めず、長兄が早逝した事情もありますが、そもそも由兵衛氏が奉公したのは「幕府海軍」であり、小栗上野介忠順であり、恩義ある小栗上野介を捕縛して処刑した維新政府海軍への入隊など、「任侠」としては心情的に許せなかったのかも知れませんw。

 で、兄の死により又次郎氏は実家に戻って「小泉組」を継ぐワケですが、父の由兵衛氏の死により解放されたのか、突如「小泉組」を解散して「政界」に出馬するのは、若き日に接した板垣退助の演説に感銘を受けたからかも知れません。そして「小泉組」の解散に当たり組員を「稲川会」に預けたと考えられ、それが今日言われる「黒い繋がり」のはじまりではなかろうかと?
 
板垣退助 – Wikipedia
 
 いわゆる「ヤクザ者」と呼ばれる人たちは、八切止夫氏によれば時の支配システムからはじき出された(被差別化された)「四つ者」「八つ者」という人たちで、権力に従順ではないにしても「荒っぽい仕事」をさせるには適任であり、そのうちの一部は都市の治安維持の末端で働いていたワケですが、なかには清水の次郎長であったり、幡随院長兵衛であったり、浅草弾左衛門のように、後世に名を残す「八つ者」も現れます。
 
稲川会 – Wikipedia
 
清水次郎長 – Wikipedia
 
幡随院長兵衛 – Wikipedia
 
弾左衛門 – Wikipedia
 

八切止夫作品集 江戸侠客伝 14

(前略)

何故に書いたかといえば‥‥ 八切止夫

 これまで<清水港に枯葉が舞った>と、甲州やくざを扱った<任侠意外史>をかき、ついで本書を三部作として纏めたのは、本姓の上にヤがつくせいか幼い時に友達から、「ヤーコウ」とよばれたのが、一般にヤー公といわれたり、ヤァさまと呼ばれるのは普通ではないのに気づいたからである。山田、山崎と多いヤのつく姓だが、推理小説などよむと初めは怪しくなくとも、最後には決ってヤ印が真犯人になっている。新聞の三面記事をみても、弥とか矢と当て字は違っても、容疑者にされているのは決っている。そこで不思議になり、「何故でしょう‥‥」と今はなき加藤武雄先生に尋ねたことがある。すると先生は笑って、「ヤの屑がヤクザになる」と教えてくれた。

 言われて調べてみれば、山岡鉄舟と仲の良かった清水次郎長も、山本長五郎だし、祐天仙之助も山本。弾左衛門も矢野内記だし、山田浅右ら手代衆も、近藤勇と甲州攻めに参加した花川戸助六も柳田助之丞だし、吉原溜支配も谷村四郎兵衛と、みな言い合せたようにヤが姓の上につく。仏教が日本輸入されたとき防ごうとして戦ったヤの衆の砦が、ヤシロとのちにはよばれるが、官製保護の大社ではなく、村のはずれにある八幡さま。

 ヤワタとよぶのが本当らしく。ヤワタの薮知らずとよばれる竹の茂った処にある祠なみだが、ここで真竹で矢を作り弓をこしらえ、私共の祖先は戦ったらしい。後には騎馬民族と一緒になり彼らの白頭山崇拝に同化され、白山信徒ともなるが、本当はそれ以前の渡洋南方系のアラブ種でマレーシアかららしい。というのは、「ヤー」とか「ヤマァ」というのはアラブ語の海神。そのせいか山本権兵衛とか五十六といった名将はいたが陸軍にはいなかった。つまりヤのつく私の血が、今まで誤った解明しかされていなかったヤクザの歴史を、ここまで書かせたともいえよう。(強きをくじき弱きを助ける‥‥)といっても実際には誰も出来はしない。だから侠客とはアイドルであってそれでよいのだろう。私は八の歴史、ヤの過去を追ってみたかったのである。

 
 話がドンドン「本題」から逸れてアレですが、先の浅草弾左衛門が支配したという被差別民の中には、関東に移封された「高句麗渡来民」や「新羅渡来民」の末裔もいたと思われます。神奈川県大磯にある「高来神社」は高句麗渡来人の上陸の痕跡であり、のちに関東一円の高句麗渡来系人は埼玉県日高市高麗川に集められます。

 で、ここでやっと表題の「高麗神社と小泉家」に戻るワケです。
 
高来神社 – Wikipedia
 
高麗神社 HP
 


高麗神社の参道
「献木 小泉又次郎」

 
 詳細は端折って各自の検証に委ねるとして、ざっと「大筋」だけを述べると、現代においても日本国内で古代朝鮮=高句麗、新羅、百済の末裔が牽制し合っているというコト。それも、何も知らないワタシたち一般大衆を差し置いてです。

 構図としては、関西は「百済系」、関東は「高句麗」と「新羅」に大別されます。

 状況的に見ると高句麗系、新羅系の多くは日本社会に溶け込み、または同化しようとしているのに対し、百済系は未だに百済再興を悲願としているフシが感じられますw。

国が滅んだのは「高句麗」、「新羅」も同じなんですケドw!

 昨今盛り上がっている?「在日差別」ですが、ワタシには「百済系日本人」による韓国人=李氏朝鮮人=高麗人の排斥運動のようにも見えるワケです。つまり、半島出身者(朝鮮人)同志の「内ゲバ」みたいなもの?…と。
 
李氏朝鮮 – Wikipedia
 
 小泉純一郎氏が「朝鮮人」呼ばわりされるのも、鬼塚ナンタラ
いう在野の歴史研究家が、父親の純也氏が鹿児島の朝鮮人部落の出自だという説を広めたせいですが、ブッチャけ?九州全域朝鮮人部落だらけと言っても過言ではなく、加えて純也氏の実家が漁業を営んでいたとすると、「八の者」の利権である漁業に朝鮮人が入り込む余地があるとは考え難く、朝鮮人であったとしてもかなり古くに渡来して日本に帰化した一族と考えられます。
 
小泉純也 – Wikipedia
 
 で、横須賀の小泉家が大磯に上陸した高句麗渡来民の末裔だとしたら、 小泉純一郎氏が北朝鮮=旧高句麗に乗り込んで拉致被害者を連れ戻したのは歴史の因縁であり、金日正氏に…

「あなたの父親は朝鮮人だよ。」

…と言われたというのも、金日正氏が高句麗渡来民のことを持ち出してそうした言動に出たのかも知れません。そして「歴史を知らない日本人」はこうした言動に揺さぶられてオタオタするワケです。

 そ・こ・で…歴史の「真実」というか?「経緯」を明確にした上で…

過去の因縁を断ち切る

…というコトが、誤解によるイザコザであるとか、「理不尽な因習(ローカル・ルール)」であるとか、「無知」から生じる対立などを取り除くには不可欠であると話。

 そしてさらに、「人間回帰」によって…

普遍的な人間の尊厳

…を取り戻し、「差別」だとか「身分」だとかいうものがいかに非論理的であるかを誰もが認識しない限り、いつまでたっても同じ過ちを繰り返すだけ。

 話を今回の東京都知事選挙に振るならば、小泉元首相および細川元首相が過去の過ち…すなわち原子力行政を真摯に悔いているのであれば、以前から「脱原発」に取り組んでいる人たちに合流 し、その「知名度」であるとか「影響力」を活かしてサポートするのが…

スジだろ?

…と言っているワケです。ご立派な?「任侠」であられた祖父の又次郎氏も、同じ事を仰る気がしますw。
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 

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