「自分」とは何者なのか?

 「名詞」、「動詞」、「形容詞」…この世界は多くの「言葉」によって形作られています。人はあらゆる現象に言葉=概念(意味)を与えますが、それは「現実世界」を概念化することで脳内に取り込み「現実世界」のコピーを脳内に作成したうえで、「脳内世界」と「現実世界」の調整役として本当の自分の「アバター」=肉体を「現実世界」に再配置して…

自分という存在を確認する

…という「自己保存」の「本能」が働いているのだとワタシは考えます。

「本当の自分」は違う!

…と一度は誰もが思うことでしょうし、そう思いながら日々を過ごしている人も多いかも知れませんが…

「本当の自分」はどこにいるのか?

 おそらくほとんどの人は「自分の内側」に、他人の知らない「本当の自分」がいると感じているでしょうし、「本当の自分」とは「意識」に他ならないワケですから脳内に「本当の自分」がいるという話しになり、「現実世界」に存在する自分とは…

「本当の自分」のアバター

…だという理屈になりますw。

 人間が現実世界を「言葉」によって「バーチャル化」して認識世界=脳内に取り込みたがるのは、「現実世界」に存在する「本当の自分」の「アバター」が適切な行動を取るための指標にする目的があると解釈できるワケです。
 

ミリンダ王の問い – Wikipedia

…ミリンダ王は尊者ナーガセーナに近づき、挨拶して次のように言った。

「どのようにして尊師は世に知られているのですか。尊者は名を何といわれるのですか。」

「大王よ、私はナーガセーナとして世に知られ、修行の仲間たちは私にナーガセーナと呼びかけます。また父母はナーガセーナという名前をつけました。しかし、それは名称、呼称、通称であって、仮の名前にしかすぎません。そこには個人的実体は存在しません。」

そこでミリンダ王は言った。

ここに個人的実体は存在しない、こんなことを信ずることができるだろうか。もしナーガセーナという個人的実体が存在しないというなら、あなた方に布施した布や食物を用いるのは誰ですか。戒を守り、修行に励むのは誰ですか。あなたは修行の仲間たちが私にナーガセーナと呼びかけると、いわれましたが、そのナーガセーナというのは何ですか。髪がナーガセーナなのですか。」

「いいえ、そうではありません。大王よ。」

「それでは爪や歯や肉や骨がナーガセーナなのですか。」

「いいえ、そうでもありません。」

「それでは、認識作用がナーガセーナなのですか。」

「そうではありません、大王よ。」

「ナーガセーナというのは一体何なのですか。」

そこで、ナーガセーナはミリンダ王にこう反問して言った。

「あなたはここまで車で来られたそうですが、何が車であるか教えてください。かなえが車なのですか。」

「いいえ、そうではありません。」

「それでは、軸、輪、くびきが車なのですか。」

「いいえ、そうではありません。」

「あなたは車で来たというのに、車を指し示すことができなかった。」

というような問答の後、かなえによって、軸、輪、くびきなどによって車という仮の名が起こると同様に、髪や爪や感覚や認識作用などによってナーガセーナという仮の名が生じるのであり、ここに個人的実体は存在しないということが証明された。…

 
 「ミリンダ王」や「ナーガセーナ」に限らず…

すべての人は「アバター」として「現実世界」に存在している

…という話w。
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 

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