忌部氏の出自 2

 キリスト教カタリ派 のことを Wiki で調べていたら、なぜだか? バラモン教インドラ神に辿り着き、そこで驚いたのが、インドラ神の父親の名はディヤウスであるということと、インドラ神が雷神の属性であることで、ギリシャ神話とバラモン教の経典である『ヴェーダ』の関連性を無視することはできませんw。

 バラモン教は、インドに侵入してきたアーリア人の宗教観と、先住民族であるドラヴィダ人の宗教観が習合して、紀元前7世紀から前4世紀の間に体系化されたと考えられ、その時期(前6世紀~前5世紀の間)にバラモン教を学んだ 「ゴータマ・シッタルダ」 は、バラモン教の根幹であるウパニシャッド哲学仏教哲学 にまで発展させた…

知の巨人

…であったと言えます。はい。

 ちなみに「婆羅門」 は、 「バラモン」 と日本語読みされますが、「婆羅門」 の語源は 「ブラフマン」 ですから、正確には 「ブラフマン教」 と呼ぶのが正しいんでしょうが、それはアレとして、インドラがゼウスの息子だとしたら、侵入してきたアーリア人が持ち込んだのか?というワケで、Wikipediaによると…
 

ゼウス – Wikipedia
 
…元来はバルカン半島の北方から来てギリシア語をもたらしたインド・ヨーロッパ語族系征服者の信仰した天空神であったと考えられ、ヘーラーとの結婚や様々な地母神由来の女神や女性との交わりは、非インド・ヨーロッパ語族系先住民族との和合と融合を象徴するものと考えられる。また自分たちの系譜を神々の父までさかのぼりたいという、古代ギリシア人の願望としても説明されることがある。
 
 多くのインド・ヨーロッパ語族系言語を用いる民に共通して信仰された天空神に由来し、その祖形は、ローマ神話におけるユーピテルの原型であるデイオス・パテール、あるいは普通名詞 「神」 を表すデイオス、デウス、古層のインド神話の天空神ディヤウス、北欧神話のテュールらに垣間見ることができる。…

 
…というコトで、インド・ヨーロッパ語族系征服者=アーリア人の宗教観は、ギリシャにも及んでいたようです。

 アーリア人が征服した先住インド人=ドラヴィダ人は南方系の民族で、それ故、北方系の征服者(支配者)と被支配者の関係は身体的にも明確で、謂わば「土人」を支配するためのカースト制度は、現代にまで続く人種差別のはしりと言え、そうした観点からすると「仏教」 は…

「人種差別」 「身分制度」 からの解放運動であった

…とも言えますが、「早すぎた宗教」というか?現代でも通用する「先進的知性」であったが故に理解できる人=信徒が広まらず、また、一時期衰退した 「バラモン教」 が、4世紀頃によりインド化した 「ヒンドゥー教」 として再興したことで、インドにおける 「仏教」 は衰退したのではないかと?

 アーリア人の侵入の次にインドに侵入したのが、かのアレキサンダー大王で、紀元前4世紀のことになります。このときアレキサンダー大王軍を手引きしたインド人の若者が、後にマウリヤ朝を築いたチャンドラグプタ(サンドロクプトス)王

 バラモン教系の文献によると、チャンドラグプタ王は 「カースト」 の最下層である 「シュードラ」 の出身だそうで、おそらくチャンドラグプタ王はドラヴィダ人であり、アーリア人による支配体制を打倒するために、アレキサンダー大王の力を利用したのではないかと推測されます。

 マウリヤ朝が「仏教」を庇護した理由も、「バラモン教(アーリヤ人)」がつくりあげた「人種差別」や「身分制度」からの解放のためであり、マウリヤ朝の時代は、ドラヴィダ人が人権を取り戻した時代であったとも考えられ、ドラヴィダ人にとってアレキサンダー大王は英雄的な存在になるワケです。

 で、アラブ(イスラム)世界で「イスカンダル」 と呼ばれるアレキサンダー大王は…

頭に2本の角を持つ王

…として『コーラン』に登場します。

 アレキサンダー大王武勇伝はイスラム教が成立する1,000年も前の話なので、『コーラン』 の中にアレキサンダー大王が取り込まれたとしても不思議ではないワケですが、ナゼに?「頭に2本の角を持つ」 のか?

 ところで日本の古代史を多少カジったことがある人なら、「頭に角がある王」 といえば「牛頭天王」=「スサノオ」 を連想してしまうワケですが、ひょっとしたら…

「スサノオ」の原型は「アレキサンダー大王」?

…と、想像が膨らむワケですw。

 確かなことは、紀元前4世紀にアレキサンダー大王がインド(中国の目と鼻の先)まで遠征したコト。さらに遡ると、紀元前10世紀に現在のアフガニスタン北部からアーリア人がインドに南下して来たコト。そしてどうもアーリア人の宗教観(世界観)がギリシャ神話、ヒンドゥー教(婆羅門教)、ペルシャ二元論の「原型」になっているらしいというコト。

 古代世界の人の往来は現代人が考えるよりはるかに活発で、人の往来は物流のみに止まらず、「情報(物語)」の流通も活発に行われるワケですから「アレキサンダー大王伝説」が日本神話における「スサノオ」の「原型」になったとしても、驚くことでは無いのかも知れません。

 で、そうした「物語」の起源を丁寧に追跡することが、ひいては日本の古代史の解明の一助になるのではないか?と思う次第です。はい。

 最後に、いままでに何度か取り上げたことのある「忌部氏」ですが、「鹿の角」を「家宝」としていることからすると扶余族に属するように思えるワケですが、「忌部氏」と縁が深いとされる妙見信仰はペルシャ由来の「シリウス信仰」の変形であり、かつ、「忌部氏」の始祖である「天日鷲神」の姿は、ゾロアスター教の守護霊「プラヴァシ」の姿に重なっているように見えます。
 


天日鷲神=日鷲命図 (たてやまGENKIナビ)

 


「プラヴァシ」

 
 となると?「鹿」は忌部氏のシンボルであると同時にスキタイ(騎馬民族)のシンボルでもあることを鑑みると、ペルシャ文化を吸収したスキタイ族(契丹)の一部が「扶余族」を成し、日本に渡来して「忌部氏」になったという壮大なストーリーも浮かび上がるワケですw。

 ま、キリがないので今回はこの辺にて。
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 

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