「ケベス祭」考

 九州の大分県国東半島先端にある港町、国見町の岩倉八幡社で行われる「ケベス祭」は、奇祭として近年テレビ番組もたびたび取り上げられ文化庁のホームページにも載るほどですw。
 

岩倉社のケベス祭
 
 ケベス祭は櫛(くし)来(く)社(しゃ)(岩倉八幡社)の秋の例大祭の宵祭りとして10月14日の夜に行われる火祭りです。昔は旧暦9月14日に行われていたので地元では「九月祭」とも呼ばれていました。

 ケベス祭に奉仕する当場組(とうばぐみ)の人たちは,厳格に古来からの忌(心身を清浄に保ち神事に奉仕する)を守っています。10月9日から精進潔斎(神事の前に酒や肉食などを慎み心身を清める)の生活に入り,当場組以外の人とは一切の火を交えません。煙草や茶,その他の火を加えた食物等は,当場組以外の人とは同じものを食べません。学校の児童や生徒,そして会社員なども弁当と茶を持参します。

(中略)

 ケベスはワラヅト(藁苞)を先に結びつけた差又(さすまた)を肩に担い,手に持った扇子で棒を叩きながら,笛・太鼓に拍子を合わせながら行列と共に進み,庭火を廻ります。1廻りすると,ケベスは庭火に向かって突き進みます。白装束で火を守る当場組の男達が,突進して来るケベスを棒でさえぎり,ネンガクの列に押し戻します。2度目も同様に押し戻し,3度目にケベスが庭火を棒ではねます。しかし,再び当場組の男達によってネンガクの列に押し戻されます。

 これらの所作を3回繰り返して,9度目の突入時にケベスは庭火の中に飛び込んで火をはねます。これと同時に白装束の当場組の男たちは,火のついたシダ束(松明)を棒の先に刺して振り回し,参拝者たちに火の粉を浴びせます。境内の中を逃げ回る参拝者の歓声と悲鳴がどよめき,火祭りは最高潮に達します。その後ケベスは,西門・御供所前・拝殿前で差又の先につけたワラヅトを3度地面に叩きつけます。叩きつける音が大きいほど五穀豊穣になるとされています。すべての松明の火が消えたころ,宮司の叩く締めの太鼓の音を合図に火祭りは終わります。

(後略)

 
 祭りの由来については、火事で記録が消失してしまい不明らしく、「火を盗む」という祭事内容がギリシャ神話のプロメテウスの物語…神の火を盗む…に似ていることから、ギリシャから伝わった祭りなのではないか?と好事家の関心を集めているようで。
 

ケベス祭 – Wikipedia
 
岩倉社

ケベス祭が行われる岩倉社は正式名称を櫛来社という。元来は櫛来の氏神であり、寛平元年(889年)に宇佐神宮の分霊を勧請したと伝えられている。祭神は帯中津日子命(仲哀天皇)、息長帯日売命(神功皇后)、品陀和気命(応神天皇)、及び、奥津嶋姫命、市寸島比売命、多岐津比売命の宗像三女神の6柱である。

 


櫛来社のケベス祭

 
 岩倉社(櫛来社)に祭られているのは、宇佐神宮の祭神(応神天皇、神功皇后、宗像三女神)に加え、な・ぜ・か?筑紫カシヒ宮で住吉三神が神懸りした神功皇后に…

お前なんか死んでしまえ!

…と宣告されて死んでしまった仲哀天皇で、となると?岩倉社(櫛来社)の存在意義は仲哀天皇にあるのかも知れません。

 仲哀天皇が天照大神と住吉三神の怒りに触れた理由は新羅遠征をシブったからですw。
 

住吉三神 – Wikipedia
 
概 要

底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)の総称である。住吉大神ともいうが、この場合は住吉大社にともに祀られている息長帯姫命(神功皇后)を含めることがある。海の神、航海の神、また和歌の神とされる。

 
仲哀天皇 – Wikipedia
 
 Wikipediaの「住吉三神」の解説からは底筒男命、中筒男命、表筒男命の「神」としての属性(役割)がイマイチ見えてこないワケですが、「筒(ツツ)」=「土(ツチ)」でもあるらしく、「底土」、「中土」、「表土」となると、三神併せて…

鉱物資源

…に関係する神という解釈もでき、新羅遠征も「鉄資源」の確保の目的があったのではないかと?
 
住吉明神
「郷土史巡礼 阿智村の歴史」 – より
 
 岩倉八幡社がある国東半島にはかつて「秦王国」という渡来人の国?があり、周辺は「砂鉄」の産地であったとのコト。
 

古代史探訪 蹈鞴(たたら)製鉄 ②
 
(前略)

日本は火山列島ですから砂鉄が多いのです。日本海沿岸・静岡・房総半島・北海道など日本中で取れます。九州でも全県に砂鉄の浜が多く、例えば国東半島東部の富来から奈多にいたる海岸の砂浜あるいは海底の砂に含まれています

(後略)

 


岩倉社(櫛来社)の位置

 

伽耶は日本のルーツ 3
~秦氏の秦王国とは馬韓の東にあり、秦の役を避けて韓国に来たり~
 
(前略)

この「秦王国」とは何かについては多くの説があるが、大宝元(702)年に編集きれた正倉院文書の「豊前国戸籍」を見ると、仲浄郡(現行橋市)の村落の人口404人のうち、秦部姓と勝姓の者が377人もいる。勝も秦部の同族であり金属加工を業としているから、ここが「秦王国」であったと考えるのが最も自然であろう。

(後略)

 
 以上を総合的に判断すると「ケベス祭」は「製鉄」=「鍛冶」と密接な関係のある神事であると考えられ、夢を壊すようでアレですが「ギリシャから伝わった」という可能性は低いかと?

 この話にはまだ続きがあるのですが、なんせ海底ケーブル切断の影響でネットの接続状況が悪くストレスが溜まるばかりなので、後日あらためて続きを書きますw。
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 

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