新羅考

 
 その昔、朝鮮半島に 「馬韓」「辰韓」「弁辰」 の三種があったことは史書に書かれていますが、いくつかある史書のなかでワタシが気になったのは、「後漢書」 の 「弁辰」 に関する記述に見られる…
 
 
「弁辰人は背が高く…髪が美しく…」
 
 
…という一節で、フツーに女性の黒髪が美しいのであればこういう書き方(弁辰人云々)はしないように思うワケです。
 
 つまり、弁辰人のほとんどが 「黒髪」 が美しいというのは奇異に思え、視点を変えて…
 
 
もし黒髪でなかったら?
 
 
…という仮説に立ち、「みな背が高く」 という身体的特徴を重ね合わせると、「非アジア系」 の人種像が浮かび上がってくるワケです。すなわち 「美しい髪」 とは…
 
 
「金髪」 のことを意味しているのではないのか?
 
 
…と。
 
 で、「弁辰」 は 「辰韓」 の領域内に雑居していると 「後漢書」 の記述にはあり、さらに、「三国志・魏書」 の 「弁辰伝」 に記された弁辰種の国のひとつ、「斯盧(シロ・シラ)国」 が後に 「新羅(シラ)国」 へと発展したという通説にしたがえば、弁辰人=白人種=斯盧=新羅ということになるのか?となると?弁辰人は何処から来たのか?が非常に気になります。
 
 じつは多くの人が既に指摘している事ですが、「新羅」 には 「ローマ」 との文化的類似性が見られ、もし新羅人(旧斯盧人)がギリシャ・ローマ系の人種であれば、先の 「髪が美しい」=「金髪」 という仮説も信憑性を帯びてきますw。
 
 

由水常雄の仕事
 
 
今年の著作
 
改訂増補「ローマ文化王国、新羅」
 
 新羅の4-6世紀前半古墳からは、どの古墳からも夥しい量のローマ系遺物の出土品が発掘されている。中国系の遺物は稀にしか出土していない。中国、朝鮮、日本の古代史料にも、この時期の新羅は中国と没交渉であったことが記録されている。新羅古墳出土の金銀製品やガラス器、土器、武器などの類型品はステップ、ルート上の遺跡や南ロシヤのローマ文化を受け入れていた地域の古墳から無数に出土している。また、新羅の古墳の築造方法は、北方騎馬民族のそれと酷似している。とりわけ、多くの古墳から出土している金冠や、金銅冠の形式が、古代ギリシャ・ローマに始まり、現代のヨーロッパの王冠にまで受け継がれている樹木冠であることは、きわめて重要である。こうした出土遺物や記録資料、技術や生活習慣などの全面的なローマ文化の導入、統治形態や、戦闘術を検証して、古代新羅がローマ文化をもった王国であったことを、実証した内容である。
 
 故谷川徹三先生が、私の講演-新羅のローマ文化-(柿伝サロン)を激賞して下さり、立花隆氏が 「週刊文春」 の書評欄で、「びっくりした。古代の新羅王国(6世紀以前)が、古代ロ-マ文明を直接に伝えられていた東アジアでは珍しい特別の国だったというのだ。このウソみたいな説が、圧倒的な史料の山によって、見事に立証されていく…これまでの東洋史、古代朝鮮史の通説が次々に覆されていく…」 と、きわめて高く評価してくださった。私のライフ・ワークの1冊です。
 
写真:『ローマ文化王国、新羅』より新羅出土の黄金剱 (新潮社刊)

 
 
 


ローマ文化王国‐新羅
単行本 – 2001/7
由水 常雄 (著)

 
 
 なんか…新羅(斯盧)=ローマ(白人)系という可能性が高くなってきた気がするワケですが、結論を急がずもう少し検証を重ねたいと思いますw。
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 

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