理由ある反抗

 異色の右翼?と言ってイイのかアレですが、右翼団体「一水会」の顧問でもある鈴木邦男氏のブログ…
 
鈴木邦男をぶっとばせ!
 
…は、定番の巡回先のひとつなワケですが、直近の「カミュ」を取り上げた記事から多くの示唆を受けた次第です。はい。
 

アルベール・カミュ – Wikipedia

アルベール・カミュ(Albert Camus、フランス語: [albɛʁ kamy] ( 聞く)、1913年11月7日 – 1960年1月4日)は、フランスの小説家、劇作家、哲学者。フランス領アルジェリア出身。アルジェ大学卒業後ジャーナリストとして活動、第二次世界大戦中に刊行された小説『異邦人』、エッセイ『シーシュポスの神話』などで注目される。また『カリギュラ』 『誤解』などを上演し、劇作家としても活動した。戦後に発表した小説 『ペスト』 はベストセラーとなったが、エッセイ 『反抗的人間(フランス語版、英語版)』 はその思想をめぐって毀誉褒貶を受けた。1957年、史上2番目の若さでノーベル文学賞を受賞している。1960年、交通事故により急死した。

カミュの著作は 「不条理」 という概念によって特徴付けられている。カミュの言う不条理とは、明晰な理性を保ったまま世界に対峙するときに現れる不合理性のことであり、そのような不条理な運命を目をそむけず見つめ続ける態度が 「反抗」 と呼ばれる。そして…

人間性を脅かすものに対する反抗の態度が人々の間で連帯を生む

…とされる。しかしプロレタリア革命を含め、あらゆる政治的暴力を忌避しようとするカミュの姿勢は盟友サルトルとの間で論争(カミュ=サルトル論争)を引き起こし、戦後文壇においてその立場を孤立させていく原因ともなった。
 
タレントのセイン・カミュは従孫(兄の孫)にあたる。

 
 過去何度か言及したサルトルとカミュとの間で、「革命」を巡る論争があったとは知りませんでしたw。なんせカミュを読んだのも高校時代の現代国語の教師から、「夏休みの宿題」の課題として「異邦人」を読むように言われたのが最初で、それがなければ今でもカミュなんて知らずにいたに違いありませんw。

 で、先の「革命論争」に話を戻すと、サルトルは「流血」も辞さないのに対し、カミュは「無血」を主張するワケです。

 ワタシが期待する…と言ってはナンですが、「ウーマンレボリューション」にこの論争を当て嵌めて考えてみるに、女性による社会変革は「流血」を必要とするのか?すなわち「暴力」による革命を選ぶのか?となると、答えは「NO」でしょ?

 さらに言えば、「暴力」や「武力」が革命に不可欠なものだとしたら、それを持たない「弱者」には永遠に革命の機会は訪れないワケで、したがって…

正しく、力のある指導者

…が「弱者」のために革命を遂行すればイイという話になり、その文脈上に「フランス革命」「ロシア革命」はあるのでしょうが、こうした革命の後に待っていたものは…

指導者による「粛清」と「弾圧」

…だったワケで、「支配層」が入れ替わる事と「弱者」が救済される事は…

別問題

…だという話になるワケですw。
 

 
 となると、サルトルの「流血革命論」は如何なものか?とワタシには思え、「弱者」が自らを救済するには、「武力」に頼らない革命を実現する他はないという結論になるワケです。

 そこで「弱者」にも可能な「革命手段」として、カミュは「反抗」を唱えているワケでしょ?たぶん…。

 ワタシも「英雄」による社会変革を否定してきた立場なので、カミュの言わんとすることには賛成です。で、「反抗」にもイロイロあるだろう?というのがワタシの考えであり、大きく「感情的」なものと「理性的」なものに分けられ、当然のことながら?「弱者」が目指すのは「理性的な反抗」

 夜空の花火のような「儚い反抗」ではなく、石をも穿つ水滴のような「絶え間ない反抗」こそが社会を根底から変革するのであって、そうした持続性を維持するには「反抗の大義」の明確化=ひとりひとりの「知的向上」が求められるようになるワケで、それが…

個人革命
 
…であるという話。
 

 
 そして、現代社会の「虚飾」を剥ぎ取った先に見えてくる地平線への指標が…

人間回帰

…なワケで、難しい話じゃないでしょ?

 話は「ウーマンレボリューション」に戻りますが、「女性」の方が人間の本質に近いというのがワタシの見解であり、であるならば、「人間回帰」の原動力にもなるワケです。そして、力が弱い女性に「流血革命」や「暴力革命」の実行は不可能であり、そもそも女性は暴力的な社会変革を生理的に受け付けません。

 となれば「ウーマンレボリューション」は畢竟、「反抗」 という形態を取る以外にはなく、そこで…「感情的な反抗」であるか?「理性的な反抗」であるか?…という話になり、「感情的な反抗」は夜空の花火のようなものだと言いたいワケですw。

 今回の「女の平和」にしても、「怒り」を前面に出すのは「感情的反抗」であることを自ら公言するようなもので…

所詮女は感情的な生き物で愚かだ

…という男の論調に 「矮小化」 されるだけです。

チガウでしょ?

 女性の多くが感じている危機感は「人間の本能」に根差したものであり、それは「人間回帰」にも密接に関わっているワケで、「人間の尊厳」が冒涜されようとしていることに対する「危機」を自覚することにより、「理性的な反抗」に昇華されるワケです。はい。

 結論めいたことを言うと、継続的な「反抗」に必要なのは「力による武装」よりも「知性による武装」であり、またそうでなければ…

「弱者」のための社会変革

…は永遠に成し得ないというコト。おそらく?カミュもそれが言いたかったのではないかと?
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 

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