「革命」ではなく、「前進」を!

 きのうまで降り続いた冷たい雨もあがり、今日は朝から気持ちのいい秋の日差しに包まれていますw。

 早朝の「強行採決」に肩を落としている人も多いかもしれませんが、ま、それはソレとして、「自然の恵み」には素直に感謝し、久々の晴天を享受しようではあwりませんかw。洗濯物も溜まってることだしw。

 大自然の営みに比べたら人間の思惑なんてちっぽけなもの…というか?無関心であり、原発があるからといって地震噴火を止めてくれるワケもありませんし、川の近くに人が住んでいるからといって、洪水を起こすような大雨を降らせないように配慮してくれるワケでもありません。

大自然はその非情さ故に美しい

…とも言えるし、ジッサイ?さまざまな食糧(自然の恵み)を提供してくれるワケですから、一方的に恨むのはお門違いであり、人間のほうが自然に調和する生き方を模索するのがスジというものです。よね?
 

 
 それはさて措き、先日の朝日新聞朝刊のコラム、「天声人語」が秀逸だったので転載します。
 

天声人語
朝日 2015年9月18日朝刊

「人々はだんだん賢くなってきている」と聞いても半信半疑だった。4年前、デジタル革命の最先端を行くマサチューセッツ工科大メディアラボの所長になった伊藤穣一さんにインタビューした時のことだ。

伊藤さんによれば、人々はネットでつながりを深め、質の高い議論を交わし始めている。その相互作用で独創的な新しいものが誕生する。これを「創発」という。民主主義にも応用できる。つながりが実際の行動に発展すれば新しい民主主義を生み、世の中が変わる、と。

政治が迷走する日本でも生まれるのか。伊藤さんは予言するように言った。

「国民がやむにやまれず立ち上がるような事態が発生する」

確かにその半年ほど前の原発事故で人々は立ち上がりつつあった。今、安保法案に反対する動きが勢いをます。

カウンターデモクラシーという言葉がある。伝統的な代表制や政党政治に時に対抗し、時に補完する民主主義。それは選挙とは別の回路で多様な民意を反映させようとする。デモや集会が典型だ。伊藤さんの発想とも通じるところがある。

おととい、憲法学者の長谷部恭男さんが都内のシンポジウムでカウンターデモクラシーに触れ、「新たな民主主義が生まれている」と指摘した。国会で安保法案は違憲と断じ、政権与党に衝撃を与えた早大教授は、国会前や各地の光景に希望を見る。

古めかしい議事堂の中で無法がまかり通る。

やむにやまれず立ち上がる人々は続くだろう。

民意のもうひとつの回路に向けて。

 
 これと同じようなことを以前、「HUFF」でも記事にしていましたわw。
 

自灯明的生き方のススメ ― 仏教は「ブーム」なんかになりえない
ハフィントンポスト 小出遥子:文筆家
投稿日: 2014年10月20日 16時38分 JST 更新: 2014年12月19日 19時12分 JST
 

 
「仏教ブーム」なる、少しばかり奇妙な言葉を耳にするようになって久しい。

確かに、書店にはお坊さんの書いた本や、仏教の解説本などがズラリと平積みされているし、雑誌などでも、お寺や仏像を特集したものがやたらと目に入ってくる。お寺での坐禅体験や、精進料理教室なども大人気だと言う。さらにこの秋には、爆笑問題が司会を務め、毎週、お坊さん数名をメインゲストに招いて、仏教にまつわるあれこれを語ってもらうという「ぶっちゃけ寺」なるテレビ番組もスタートした。(テレビ朝日にて毎週月曜深夜0時15分より放送中)

いずれも、少し前には想像することもできなかったような事態ではある。

しかし、これらの動きに「ブーム」という言葉をあてがうことには、私は、若干の疑問を感じるのだ。

近年乱用される「ブーム」という言葉には、「一過性のもの」というニュアンスが加えられているように思う。ほんの短い間だけもてはやして、飽きたら見向きもしなくなる…。最近の「○○ブーム」のほとんどが、そのような性格を持っているように見受けられる。

これらはすべて、ブームの対象を、「自分」というものと切り離して見ているからこそできる所業だ。いわゆる「流行語」も、「流行ファッション」も、「流行アイドル」も、すべて自分の「外側」のものだからこそ、もてはやしたり、飽きたり、見向きもしなくなったりができるのだ。

しかし、「仏教」というものを、それら一過性のブームと同等に扱うのはどうだろうか。仏教の性格上、そんなことはできないようになっていると思うのだが。

そもそも、どうしていま、仏教にまつわるあれやこれやに関心を寄せる人々が増えているのか、ということを考えてみたい。

自身の話で恐縮だが…。実は私も、10年ほど前から、仏像というものに興味を持ったことをきっかけに、趣味として各地のお寺を巡っている。そのうちにお坊さんのお話や、お経の意味や、仏の教えそのものにも興味を持つようになり、一般的な解説書を買って読むようになった。それにしたがって、そういった趣味を持つ友人も周囲に増えていった。友人たちが共通して口にするのは、「お寺に行ったり、仏像を拝観したりしていると、心が落ち着く」ということであった。みな、仏教に「心の安らぎ」を求めているのだ。

なるほど、昨日まで信じていたものが、目の前で次々と崩壊を見せていくこの不安定な時代、お寺という「非日常」の空間に拠りどころを求める人が増えているというのは、ものすごくわかりやすい話ではある。

確かに、お寺に行って、お坊さんの説法や、荘厳な響きを持つお経にじっくりと耳を傾けている間、また、仏像と心静かに対峙している間は、日常の雑事から離れて、すっかり穏やかでいられることだろう。自分自身を振り返ってもそれはうなずける。

しかし。その効果は、そのままでは決して持続しないのだ。ひとたびがやがやとした日常に戻ってみれば、お寺で味わった心の安らぎなど、あっという間に雲散霧消してしまう。

仏教を自分の「外側」に置いたままで楽しむような「ブーム」的な関わり方では、どうしたって限界があるということだ。最終的に、仏の教えを自分のものとし、そこを「日常」として生きていくことによって、自身の「内側」に変化をもたらしていかないことには、真の安らぎの存在に気づくことはできないのだ。

お寺や仏像に興味を持ち、そこに「心の安らぎ」を求めてきた人々は、遅かれ早かれ、その事実にぶち当たることになる。そこでようやく、仏教との関わり方を、自ら意志を持って、少しずつ変化させはじめるのだ。

この「変化」がミソとなる。

ところで、仏教は「自灯明(じとうみょう)法灯明(ほうとうみょう)」を説く宗教だ。お釈迦さまの生前最後の教えとされるこの言葉は、現代語に訳せば、「よく整えられた自らを拠りどころとし、正しい教えを拠りどころとすること」ということになる。(広辞苑より)

この「自灯明」こそが、仏教というものの最大の特色だ。

つまり、仏教は「外側」の何かを信じていく宗教ではなく、自らの「内側」の仏性に目覚めていく宗教ということができるだろう。自分の内側に「仏」を見出し、そこを最大の拠りどころとして生きていく。その方法を説いたものが仏教なのだ。

仏教がひとりひとりの「内側」の変化を求め、それを促していく性格を持つものである以上、それが一過性のブームなどで終わるはずはないのだ。

現代の日本で起こっていることは、「仏教ブーム」などではなく、「-仏-としての自己への目覚め」、その萌芽、そのものなのではないだろうか。

外側に「仏」(価値)を求めるのではなく、正しい教えによって整えられた自分自身を「仏」という名のともしびとして、力強く歩んで行こうとしている人々が増えている。

なにも「仏教徒」になる必要はない。ただ、ひとりひとりが、一過性の満足なんかではない、揺らぐことのない本当の価値を自身の「内側」に見出し、そこを骨子として、あたらしい世界を創り上げていく―― そんな自灯明的な生き方は、これからの時代、大いに求められているように感じるのだ。

変化はすでに始まっている。

 
 ワタシ思うに、「天声人語」でいわれる「創発」と、仏教でいわれる「自灯明」とは、ほぼ同じ意味と考えられるんじゃないか?と。

 仏教の最終境地=「悟り」をひらく…という境地は、自ら獲得する境地であって、他人に強制されるものではありません。もちろん?その過程において師、他人、外部からの影響はあるにしても、最終的に自分が「納得」しない限り「悟り」なんてひらけないワケですから、これはもう…

個人革命

…そのものだと言えますw。

 で、「悟り」とは、確固たる知識を身に付けた「揺ぎ無い境地」であり、それはインターネットを介した情報の共有でも起こりうるという話で、これが「創発」ということになるワケです。
 

 
 そうした「確固たる知識」は暗闇を照らす「灯り」であり、「悟り」の境地とはそうした「灯り」を自分が持っている=「自灯明」だということ。そして各自が「自灯明」によって進むことが…

人間回帰

…なのだという話です。はい。
 

 
 話が散漫になりましたが、要は?「革命」すらやがては過ぎ去る「色即是空」であり、「前進」する意思こそが「本質」であり…

空即是色

…というコトで、「前進」を続ける限りヘゲモニーは拡大し続け、必ず「シーソー」の傾きは変わるということです。
 

 
 以前、「全ての主義をすてろ!」と書きましたが、「主義」=「外部」は「自灯明」とは言えないからであり(自分自身で「腑に落ちている」なら話は別ですが)、「主義」に縛られていては「自灯明」的な生き方はできないだろうというコト…。

 公衆の運動に必要なのは「前進する意思」であり、これを失わない限り公衆の「ヘゲモニー」は拡大し続けるワケですから、ま、「強行採決」ぐらいで肩を落としている場合じゃないという話で、そんな暇があったら更なる前進に向けて…

英気を養っておけ!

…と、グラムシなら言うかも知れませんw。
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 

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