「正気」と「狂気」の境界線

 京都の嵯峨野に「化野(あだしの)念仏寺」という、8,000体にもおよぶ石仏・石塔で境内が埋め尽くされた、有名な浄土宗のお寺があります。念仏寺のHPによると、これらの石仏は明治時代中期に地元の人が付近一帯を掘り起こして「念仏寺」に集めたものだそうで、なぜ?これほどの石仏が散乱していたかというと、付近一帯が「死体」の捨て場所=「墓場」だったからだそうです。
 
あだし野念仏寺 – HP
 

 
 「化野(あだしの)」の「化(あだし)」の字は、「人」という字を上下反転してふたつ並べ、人の「死に様」を表意する字だそうですから、「墓場」=「化野」とはストレートな地名ですw。
 


漢字辞典-OK辞典⇒⇒⇒「化」という漢字

 
 場所的にも京の都のはずれで、「いかにも」というロケーション。で、「念仏寺」には、日本でも三箇所しかない「仏舎利」を納めた仏舎利塔(ストゥーパ)のひとつがあるそうで、それも最近(1969年)になって「仏舎利」を譲り受けたという稀有なお寺ですw。
 


(『Stitch』ある日の黄昏帰り道)

 


西遊旅行社 – サンチーとビーマベトカの見どころ

 


(小次郎の京散歩)

 
 平安時代から「死体捨て場」=「屍林(屍陀林)」とされていたそうで、「念仏寺」のHPによれば開祖?は「空海」で、後に「法然」により浄土宗に属すようになったとか。つまり、「平安仏教」から「鎌倉仏教」に衣替えしたということなんでしょう。
 
法然 – Wikipedia
 
 で、「空海」がなぜ「屍林」に関わったかというと、「屍林」と「密教」は深い関係?にあるからで、仏教の荼枳尼天とは、仏教世界観の「天」=「神々の世界」に住まう別格の存在であり、なおかつ「屍林」の守護神であって、「密教」はそうした神々の力を「真言(マントラ)」によって得ようとする、謂わば「呪術」の様なものだからです。ザックリ言うと。
 
荼枳尼天 – Wikipedia
 
 鎌倉時代には禅宗が隆盛になるワケですが、平安時代の「呪術仏教」から純粋な?仏教への回帰が起こったということかも知れません。その流れの中で「念仏」という仏教の「簡易解釈」が生まれ、民衆にも受け容れられようになったと?

 ま、それはさて措き、荼枳尼天が別格の神であることは「屍林」=「墓場」に独特な宗教が存在していたことの表れであり、いうなれば「死体愛好仏教」の教団があったワケで、その流れは現在まで続いています。
 
宮本神酒男のスピリチュアルな冒険 – 八大屍林
 
 上記のHPによれば、「カーパーリカ」と呼ばれる「屍林」の修行僧には元仏教徒も多いとか?そもそも仏教は、人間が死ねば屍はただの肉の塊=「抜け殻」に過ぎないという教義なので、「屍体」に拘るというのもオカシナ話ですが、そんな教えくらいで「死に対する恐怖」が払拭されるワケもなく、なまじ知識を得たが故に余計に「恐怖」が募るというのはありがちな話。

 そうした「ストレス」が極限に達すると「逆転現象」を起こすことは、心理学でも「ストックホルム症候群」として報告されています。
 
ストックホルム症候群 – Wikipedia
 
 つまり、「死」に対しての極限の恐怖が「愛」へと反転し、自分の身を日常的に「死」の傍らに置くことで、「死の恐怖」に「無感覚」になることを自ら選らんだのが、「カーパーリカ」=「屍林の修行僧」ということであって、「正気」を自ら捨てて「狂気」に身を委ねることを選んだ人たちだということ。

 人間は、「向上」することも「堕落」することもできるワケですが、「堕落」のほうが楽…というか?真実に近いのは事実です。人間も「獣(けもの)」の一種であり、獣以下には落ちようがないワケですからw。

 もし、人間が獣以下に落ちるとしたら、それは「人間ゆえ」なんでしょうなw。

 なんてことを考えながら、苦しい時代苦しい生活のなかで、それでも「狂気」に身を委ねることなく…

ギリギリで踏ん張っている人たち

…が多いからこそ、この世界はまだ破滅せずに済んでいるんだろうと思った次第です。はい。

 で、ギリギリで踏ん張る足場となるのが、ワタシにとっては「日本国憲法」であるという話。チャン、チャン。
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 

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