彼岸花

 今日は「お彼岸」なので「お墓参り」に行ってきました。午前中に出かけたのですが、朝から何組もの家族連れがお墓参りに来ていて、墓場の駐車場はほぼ満車状態…といっても、それほど広い駐車場ではありませんが。

 庭先に咲いていた白と赤の「彼岸花」をお墓に手向けたのですが、「彼岸花」って誰が名前をつけたんですかね?
 

ヒガンバナ – Wikipedia

名前
彼岸花の名は秋の彼岸ごろから開花することに由来する。別の説には、これを食べた後は「彼岸(死)」しかない、というものもある。別名の曼珠沙華は、法華経などの仏典に由来する。また、「天上の花」という意味も持っており、相反するものがある(仏教の経典より)。ただし、仏教でいう曼珠沙華は「白くやわらかな花」であり、ヒガンバナの外観とは似ても似つかぬものである(近縁種ナツズイセンの花は白い)。『万葉集』にみえる「いちしの花」を彼岸花とする説もある(「路のべの壱師の花の灼然く人皆知りぬ我が恋妻は」、11・2480)。また、毒を抜いて非常食とすることもあるので悲願の花という解釈もある(ただし、食用は一般的には危険である)。

異名が多く、死人花(しびとばな)地獄花(じごくばな)幽霊花(ゆうれいばな)、剃刀花(かみそりばな)、狐花(きつねばな)、捨子花(すてごばな)、はっかけばばあと呼んで、日本では不吉であると忌み嫌われることもあるが、反対に「赤い花・天上の花」の意味で、めでたい兆しとされることもある。日本での別名・方言は千以上が知られている。

 
 
 弥生時代に?日本に稲作が伝わった際に、稲を食い荒らす害獣を駆除するために、球根に「毒」を持つ「彼岸花」が田んぼの周りに植えられたそうで、古くから日本人には馴染みの花でもあります。

 中国では「彼岸花」のことを、花弁の形から「龙爪(龍爪)花」と呼んだり、なぜか?「蟑螂(ゴキブリ)花」とも呼ばれているようで、日本ほど「死」のイメージとは結びついていないようです。日本で「死」のイメージが色濃いのには何か理由があるのでしょうが、ま、それは別な機会に。
 

 よくよく見ると「彼岸花」は奇妙な花で、茎だけがスーっと伸びて花をつけます。大抵の花は茎や根元に葉がついているものですが、そのせいか?「彼岸花」を摘むときに…

「首」から切り落としているような感じ

…を受けるのは、ワタシだけですかね?

 ま、それはアレとして、母方の実家の家紋は「笹竜胆」で、よく言われる「源氏」の家紋であり、かつ北方騎馬民族系だということ。
 

 
 で、実家の家紋は「違い鷹の羽」で、元を辿れば熊本の「阿蘇氏」「菊池氏」に繋がる、南方海洋民族系。
 

【家紋Wold】 鷹羽紋

鷹は古来から武人の象徴とされていた。

肥後菊池氏は阿蘇神社の神紋である鷹の羽を家紋としたようだ。

  

 
 つまりワタシには、「北方系」と「南方系」の血が入り混じっているということですw。

 こと左様に、日本人は「ハイブリット民族」であることを何度か書きましたし、かつ、「先祖」の足跡=歴史を詳らかにすることで、「差別」の非合理性を明らかにし、ひいては平等な「人権」をすべての日本人が「享受」する社会を実現しようではないか!という話。
 

【Electronic Journal】 義経の痕跡残るウラジオストック近郊(EJ1644号)
2005年07月29日

 これに関連する情報として、大正14年2月1日付の朝日新聞に、こんな話が出ているのです。シベリア出兵当時、ニコラエフスクの近くでタタール人の芝居を見たところ、その巻狩の場面で役者が笹竜胆(ささりんどう)の紋をつけた日本流の鎧兜であらわれたというのです。わけを尋ねたところ、昔から伝わっているもので、誰が作ったかについてはわからないという返事だったといわれます。

 笹竜胆といえば、源氏の紋章です。それを蒙古武人が着けていたことになるのです。この笹竜胆の紋章は、ナホトカの一般住居にもつけられており、これも義経ゆかりのものではないかと考えられるのです。

 歴史学者たちは、こうした数々の証拠をどのように考えているのでしょうか。…[義経14]
 

 
≪画像および関連情報≫
・笹竜胆/ささりんどう
民家の建物の壁に笹竜胆/400年以上になる古い建物
向って左はモンゴルの笹竜胆/右は源氏の紋章/笹竜胆

 
 ま、「お彼岸」ということで、それっぽい?記事になりましたが、「安保法制」「難民問題」とかで世の中が騒がしかろうと、そんなことはお構い無しに…

「地球」は今日も平常運行

…というワケで、世の中の出来事に振り回され過ぎると大自然のリズムを忘れがちになり、そうした「全体観の欠如」が人間の理性をも微妙に狂わせるような気がして、「安保法制」への反対運動はもちろん大切なのですが、同時に一歩進んで?「平和」な世の中をどう生きるかを想像したとき、ワタシとしては…

自然と調和する生き方

…を推し進めることが「再生産可能な社会」の再構築には「重要」なように思うワケです。
 

 
 だから、「目先」のことだけでなく、今、この瞬間も自然の調和の中に自分が生かされていることを自覚する、「平常心」のようなもを失わない為にも、日常生活をもっと「生の実感」に引き寄せる為にも…

四季折々の行事を慈しみましょう

…という話。
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 

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