「擬似コミュニティー」としてのハロウィン

 イロイロな人がハロウィンについて論じてますが、たまたま女子高生とハロウィンが話題になったとき、ワタシが「ハロウィーン」と上りイントネーションで口にしたのに対して、彼女たちは「ハロウィン」と下りイントネーションで発音していていたので…

無理して若ぶるのやめよ…orz

…と思った次第です。はい。
 

【HUFF】 「踊らな損々…」となった日本のハロウィーンを思う
投稿日: 2015年11月01日 11時50分 JST 更新: 2015年11月01日 11時50分 JST

2015年の秋はいつもと違い、ハロウィンが盛り上がっている。その経済効果もバレンタインを抜いたとも言われている。メディアも完全にハロウィンにジャックされている。秋に収穫祭を行う農耕民族日本人のDNAがここに来て一気に呼び覚まされたとでもいうのか、それとも山積みになっている国会・政治から国民の意識を逸らすための陰謀なのか。

いずれにしてもハロウィンを通して見えるこの国は面白い。日本人は、違う文化の受け入れに対して、柔軟なのか、得意中の得意というか、お家芸というか、節操がないというか、…この場合、はたしてどの言葉が適切なのかももはや解らない。

「えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ…」筆者の頭の中で何故か、徳島の阿波踊りの歌が再生される。「…踊る阿呆(あほう)に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々…」という言葉こそ聞こえないが、老若男女が一緒になって「踊らな損々」と言わんばかりにハロウィンを舞っている。

自分がもちあわせていない他の文化を自文化にする過程について聞いたことがある。まず新しい文化を観察するのだという。次はその文化の真似をし、最後に自文化にするそうである。

他文化を自文化にする過程が必ずしもスムーズにいくわけでもない。失敗も起こる。その過程を上手に描くのはおそらく落語である。上手な人の真似をしようとして失敗することが笑いを生む。賢い人がうどん屋を相手に上手く銭を誤魔化したように自分もやろうとして失敗するアホめを描いたのは「時うどん(時そば)」である。

筆者は「おしぼり」をはじめて見た時は、てっきり春巻きだと思い、口に運んだことを懐かしく思い出す。かつて天皇陛下も海外での晩餐会においてフィンガーボールをスープと間違われたと聞いたことがある。

ハロウィンを象徴するジャック オーランタンも今年になって一気に増えた。カボチャに顔を彫る時期が早まり、ハロウィンの31日をまたずして萎れ(しおれ)てしまっているカボチャも少なくない。来年からはギリギリまでカボチャを切らず、それまでは顔の形のステッカーを貼って対応しようと反省している者が私の周りだけでも数人はいる。

我が家の子どもの場合は「トリック オートリート」とお菓子を強請う掛け声も途中からは勢い余ってか「トリック オートリート」が「トリック オー トリートメン」という新しい言葉にすり替わっている。それに対応するこっちはと言うと「ハッピー ハロウィン」と言うべきところが、口からでてくるのは「ハッピーバレンタイン」でなんとも恥ずかしい。日本語覚えたての頃、タクシーを降りたく「ここで降ろして」言っているつもりが「ここで殺して」と叫んでいた。落語のアホめと自分自身が重なる。異文化に触れた時は、誰しもがアホめを経験する。考えれば、失敗しながら、新しい文化を取り入れて自分のものにする過程こそが面白いのかも知れない。

それにしても、日本は他文化を受け入れるときに「骨抜きにする」とはよく言ったものである。子どもの祭りであるハロウィンは日本では大人の仮装大会と化している。日本において、ハロウィンも、バレンタインも、クリスマスも…その文化に元来宿っている精神論などを知る者はおらず、とくに興味があるわけでもなさそうである。

シルクロードの終着点としての日本は世界からいろんな文化を受け入れてきたが、全てがハロウィンのようだったかとも想像したくもなる。仏教一つとっても日本の現状は原型と比べて跡形もなく随分と変化を遂げている。輪廻転生を説いた仏教だが、日本では年に一度、お盆になれば先祖にだって再会できる。原始仏教を信じる者にとって日本の仏教はどこか羨ましくも思える。

日本のハロウィン文化の受け入れる姿勢を見て何か言えることはないか。日本人にとってお家芸なのか、節操のなさなのかのいずれであっても、違う文化を自文化にするたくましさは誰の目から見ても賞賛されることは間違いない 。提案があるならば、せっかくだから精神論まで取り入れてはどうかということが一つである。さらには、違う文化を日本文化に同化することなく、違う文化のまま日本社会で存在するように出来ないのか、現状出来ていない理由などと合わせて考えても良い。ハロウィンのような無形文化の受け入れと有形の異文化の人間を受け入れるとでは大きな差があることにも気づくに違いない。最後になるが、新しい文化が増えると反比例して古き良き日本の文化を忘れさるようなことがあっては言わずしてこんなもったいないことはない。

Also on HuffPost:

 
 アレ?「原初仏教」で「輪廻転生」なんて唱えてたっけ?

 ま、それはさて措きハロウィンについてのザックリとしたワタシの所感を述べると、早い話がハロウィンて…

欧米の“お盆”でしょ?

…というのがあって、プラス、若者が「欧米のお盆」に自発的に参加するモチベーションはどこからくるのか?という疑問があります。

 「固いことは抜き」というのもアリですが、「雰囲気」にただ流されるというのもアレなので、簡単ではありますが若干の考察をしてみるに、「お盆」というのが「先祖霊」を迎える「コミュニティー(自治体)」の行事であることと照らし合わせると、ハロウィンは実体の無い自治体のコミュニティー行事であると言えます。10月31日に突如出現する「幻の自治体」が、ハロウィンの主催団体だというコト。

 で、この「幻の自治体」とは何なのか?と考えてみるに、要は「コスプレ」を楽しみたい人たちであり、「ディープ」なコスプレイヤーとは別に、「ライト」なコスプレをしてみたいと思っている人は潜在的に多いということなんでしょう。たぶん。

 おそらくコスプレをしてみたいという欲求は、日常=現実社会からの一時離脱の欲求でもあり、つまり、現実社会に対しての閉塞感の高まりが、ハロウィン=コスプレの盛り上がりと大きく関係しているのではないか?と。

 こうした観点からすると、ハロウィンの盛り上がりが顕著になるのは安倍(歪)内閣誕生以降であり、したがって…という話になるワケです。

 安倍(歪)内閣による「TPP」だの、「原発推進政策」だの、「特定秘密保護法」だの、「安全保障関連法」だの、「辺野古新基地建設」だの、「大学人文科の縮小」だの、その他諸々の…

国民を苦しめる政治

…が生み出した日本国内の「閉塞感」が、若者をハロウィンに向かわせるモチベーションになっているのでは?

 なおかつハロウィンが「コスプレ祭り」であり、謂わば「個人」が前面に出ない「匿名性」を前提とした「お祭り」であることで、主催者=自治体の介在がなくても、「お祭り」そのものが「擬似自治体」として成立しているのではないか?

 若者の自治体への参加を促しているワタシではありますが、都会に出てきた若者や、地元自治体の閉塞的な状況に嫌気がさしている若者にしても、何かしらのコミュニティーに参加したいという欲求はあり、そうした漠然とした欲求がハロウィンという「擬似コミュニティー」に反映されているように思う次第です。はい。

 で、おそらく問題?なのは、現状に対しての「閉塞感」が状況の打開の方向に向かわずに、ハロウィンのお祭りで「ガス抜き」されてしまうことで、今回は一部にハロウィンに合わせての抗議行動もあったようですが、「擬似コミュニティー」とはいえ「潜在的不満」を抱えた人が集まっているのであれば、例えば?SEALDsなどが不満を取りまとめる役割を果たすことも可能であったのに…

もったいないなw…。

…というのがワタシの感想です。
 
【重要】ハロウィンデモンストレーション in くにたち 詳細決定!(日本語&英語)
2012年10月21日日曜日
 
市民団体が仮装して安保法反対集会「ママの会」や「MIDDLEs」が企画
2015年10月31日 20時51分 共同通信
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 

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