「単于」の語源

 「単于」とは中国北部を制圧していた遊牧民族(匈奴)の頭領の称号で、この称号が文献に現れるのは紀元前200年頃から。というコトは何らかの理由があって「単于」という称号を名乗るようになったのではないかと。
 

単于 – Wikipedia

単于(呉音:ぜんう、漢音:せんう、拼音:Chányú)とは、匈奴を初めとした北アジア遊牧国家の初期の君主号である。また、単于の妻のことを閼氏(えんし、あつし)といい、特定の姻族または漢の公主がこれになった。

 
 Wikipediaによると『康熙字典』には「単(tan)」は漢代には「žen」或いは「šen」という発音であったらしいことと、「于」が「Yu」或いは「Uu」であるなら…

単于=Zen-Yu(ぜんゆ)

…というのが当時の発音に近いかも知れません。

 そこで白鳥庫吉氏らの説に従い「単于」を自称したのは冒頓単于からだとすると、ナカナカおもしろい符合が…。
 

冒頓単于 – Wikipedia

冒頓 単于(ぼくとつ ぜんう、拼音:Mòdú Chányú、注音:ㄇㄛˋ ㄉㄨˊ ㄔㄢˊ ㄩˊ、生年不詳 – 紀元前174年)は、秦末~前漢前期にかけての匈奴の単于(在位:紀元前209年 – 紀元前174年)。「冒頓」は名であり、「単于」とは匈奴の言葉で君主を指し、漢語で言うところの王・皇帝に相当する。また「冒頓」とはテュルク語やモンゴル語の「勇者」を意味する「バガトル」の漢字音写、との説がある。
 
出生

冒頓は頭曼単于の子として生まれた。当初は、父の後継者に立てられていた。しかし父の後妻が男子を産み、頭曼の関心がこの異母弟に向けられると、冒頓は邪魔者扱いされ、緊張関係にある隣接勢力の月氏の元に和平のための人質として送られる。間もなく、頭曼は月氏が無礼であるとの理由で、戦争を仕掛ける。嫡子を差し出したことの油断を突くことと、冒頓が月氏の手で殺害されるのを見越してである。しかし、この危機を悟った冒頓は、間一髪のところで月氏の駿馬を盗み脱出に成功し、父のもとに逃亡する。

 
 「冒頓」が人質に差し出された「月氏」は「匈奴」に攻められ紀元前200年頃にバクトリアに移住します。したがってそれ以前に「冒頓」は「月氏」のもとから逃げ出したというコト。

 そこで「仮説」ですが、「冒頓」は逃げ帰らず…というか脱出することが出来ずに「月氏」と供にバクトリアに向かったとしたら?

 「冒頓」は逃げ戻って「内部クーデター」を起こしたのではなく、「月氏」の後ろ盾を得て父である「頭曼」を倒した後に新しい頭領に収まったとすると、「冒頓」は「バクトリア」の当て字であり、「単于」はバクトリアに伝わっていたギリシャ神話の最高神

Zeus=ゼウス

…の当て字とも解釈できます。「ぜ-うす」=「ぜん-う」だというコト。

 そうなると「単于」の妻となる「閼氏」「閼(アツ、ア、エン)」とは、ゼウスの妻である「ヘラ(Hera)」が、「ヘラ」⇒「エラ」⇒「エン」と転訛したのではないかと?
 
グレコ・バクトリア王国 – Wikipedia
 
 グレコ・バクトリア王国は後に「月氏」に乗っ取られてクシャーナ朝になるワケですが、クシャーナ朝の繁栄を支えたのは東西貿易であり、それには遊牧民族の協力が不可欠です。「匈奴」が日常茶飯事のように商隊(キャラバン)を襲うようでは物流路が確保できません。したがって「匈奴」と友好的な関係を築く必要があります。

 その点、もし「冒頓」が「月氏」の後ろ盾を得て「匈奴」の頭領に納まったのであれば、クシャーナ朝は「匈奴」と友好関係を保てるワケですし「匈奴」も貿易に携わっていたかも知れません。

 「匈奴」というと北方の蛮族というのが中国の文献の常識?ですが、「冒頓」がギリシャ文化に感化され「匈奴」の文化にも影響を及ぼしたと「仮定」すると「別な姿」が見えてきます。

 ところで以前、「九州王朝説」を唱えたのは古田武彦氏が最初のように書きましたが、それ以前に白鳥庫吉氏がいたんですねw。

不勉強でしたw。
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 

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