天武天皇の「武」は、武則天の「武」

 「突拍子もない」と自分でも思うワケですが、後世、初代神武天皇から第44代元正天皇までの漢風諡号(おくりな)を一括撰進した淡海三船が、諡号に込めた意図を読み解く作業は日本史を再構成する上で有意義だと思うワケです。

 「武」系の天皇…神武、天武、文武、聖武、桓武…は「アラブ」系なのか?と以前に書きましたが、桓武天皇は、淡海三船没後なので除外します。
 
淡海三船 – Wikipedia
 
 で、「アラブ」系かはアレとして、神武、天武、文武、聖武の各天皇は、淡海三船からしたら「同系列」であり、したがって「武」の一字を諡号に充てたと考えるのが妥当。ただし神武天皇は別格で、おそらく皇室の正統性をアピールするために取り込んだ可能性も考えられます。

 で、天武、文武、聖武の三代に関しては、系図からすれば血が繋がっていますが、Wikipediaによると、淡海三船は第39代弘文天皇と、第42代文武天皇の諡号は撰進しなかったとのコト。つまり弘文天皇と文武天皇は後世に創作された可能性があるワケです。

 ワタシとしては「後世に創作された」ように思え、その理由は文武天皇(父)と聖武天皇(息子)で…

秦王国に対しての政策に変化が見られる

…というコト。

 聖武天皇が行基を派遣して全国に国分寺を建立したのは…

秦王国を解体し、秦一族?を分散させて力を削ぐため

…というのがワタシの推測ですが、その秦氏が後世勢力を盛り返し、秦王国(豊国)の名誉回復のために…

文武天皇=倭根子豊祖父天皇

…を歴史に書き加えたのではないかと?同じく弘文天皇も何らかの意図があって創作されたのでは?
 
弘文天皇 – Wikipedia
 
 こうした一連の作為の根底には「白村江の戦い」があるように思え、弘文天皇は「倭国」の敗戦処理の混乱の中で自害したことになっていますし、クーデター(壬申の乱)を起こした天武天皇は…

日本

…という国号を制定します。
 

日本 – Wikipedia

…これまでに発見されている「日本」国号が記された最古の実物史料は、開元22年(734年、日本:天平6年)銘の井真成墓誌である。但し2011年7月、祢軍という名の百済人武将の墓誌に「日本」の文字が見つかったという論文が中国で発表された。墓誌は678年制作と考えられており、もしこれが事実であるならば日本という国号の成立は従来説から、さらに遡ることになる。…

 
 「白村江の戦い」が663年にあり、先の祢軍という百済の武将も参戦し、墓誌には…

日本と百済の残党が「扶桑」に立て篭もり云々

…と刻まれています。
 


『大唐故右威衛将軍上柱国祢公墓誌銘并序』

 
 ま、「白村江の戦い」以降に「日本」という国号に替わったには違いなく、弘文天皇の時代には既に「日本」であったという可能性も考えられるワケですが、敗戦直後の日本の覇権は「倭」から「日本」に移っていたコトが祢軍の墓誌からは読み取れ、どうも?「日本」は「唐」の侵略を受けたらしいというコト。

 それ故に敗戦後も遣唐使が頻繁に行き来して唐の政治システムや文化を広めたワケで、GHQの占領政策にソックリですw。

 となると、さしずめ天武天皇はマッカーサーのような存在で、「一人の大臣も置かず、直接に政務をみた」というWikipediaの記述も…

納得w。

 で、天武天皇の後ろ盾となっていた「唐」の実力者は誰かというと…
 
武則天 – Wikipedia
 
…なのでは?という話。

 おそらく武則天の一族=「武」氏が敗戦後の日本に上陸し、GHQのように振舞っていたのではないかと?

 そうした事実を淡海三船は唐の僧、道璿から聞き及んでいたので、天武天皇の諡号に「武」の一字を充てた…と。
 

道 璿 – Wikipedia

道璿(どうせん、702年(長安2年) – 760年5月7日(天平宝字4年4月18日))は、中国唐代の僧。
 
概 略

洛陽大福先寺に住して定賓(じょうひん)に戒律を、北宗系の禅で第7祖とされる普寂に禅と華厳教学を学んだ。

入唐した僧栄叡・普照の要請により、鑑真に先だち戒律を将来するために日本に招かれ、736年(開元24年、天平8年)インド出身の僧菩提僊那・ベトナム出身の僧仏哲とともに来日する。

渡来後の道璿は、北宗禅を広めるため、大安寺に「禅院」を設置し、戒律では『梵網経疏』を撰した。また、天台宗にも精通していた。

後に、吉野の比蘇山寺に入り、修禅に精励し、山岳修験者にも少なからぬ影響を与えたとされる。
 
影 響

弟子には行表(722年 – 797年)らが出た。なお、行表は、最澄の師である。最澄の「四種相承」(天台・密教・禅宗・大乗戒)の思想は、道璿が伝えた玉泉天台(荊州玉泉寺の天台)の影響とされる。

 
 もうね?「日本書紀」ですら中国人の手で書かれた…とまでは言いませんが、そう考えられるフシはありますw。
 


日本書紀の謎を解く
述作者は誰か (中公新書) 新書 – 1999/10
森 博達 (著)

内容(「BOOK」データベースより)

720年に完成した日本書紀全三十巻は、わが国最初の正史である。その記述に用いられた漢字の音韻や語法を分析した結果、渡来中国人が著わしたα群日本人が書き継いだβ群の混在が浮き彫りになり、各巻の性格や成立順序が明らかとなってきた。記述内容の虚実が厳密に判別できることで、書紀研究は新たな局面を迎えたといえる。本書は、これまでわからなかった述作者を具体的に推定するなど、書紀成立の真相に迫る論考である。

 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 

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