「六曜」に関する疑問

 前回、「六曜(六輝)」明治の改暦以降に一般化したことと、それに関して僧侶の介在が推測されることを書きました。そこで僧侶の介在を仮定すると、その意図は?という話で、考えられる可能性として…

明治新政府による仏教弾圧

…への、ささやかな抵抗運動が考えられます。
 
廃仏毀釈 – Wikipedia
 
 幕末の維新志士たちの思想の源泉となった、「水戸学」に始まる神道尊重の精神が、維新政府にも引き継がれたということであり、そうした観点から観ると…

維新戦争は宗教戦でもあった

…という様相が浮かび上がります。

 で、それを裏付けるものとして、「天皇」という称号は、第63代冷泉天皇から第118代後桃園天皇まで用いられず、代わりに「院号」を用い、したがって「冷泉天皇」ではなく、「冷泉院」が正しく、それが江戸時代末期の「後桃園院」まで約900年間続き、「光格天皇」から「天皇」の称号が復活するのは、第6代水戸藩主徳川治保による「水戸学」の奨励と機を同じくします。

 また、当時ロシアの船が頻繁に水戸藩の沖合いに姿を表すようになり、「外交」というものを意識するようになったことも、「国学」=ナショナリズムを燃え上がらせる要因になったと考えられ、「尊王攘夷」が維新の旗印になるのも当然の流れであったのかも知れません。

 そして同時に、皇室と一体であった仏教勢力にも影響を及ぼし、皇室と仏教を分離し、「院」から「天皇」に格上げ?することと、徳川幕府を倒すことで日本の権力体制を一本化し、「外敵」に対して磐石の態勢を築こうとする意図が汲み取れます。

 こうした意図があったが故に、明治期に入っても「仏教勢力」の反発を封じるために、「神仏判然令(1868年)」であるとか、「大教宣布の詔(1870年)」とかを発布したのではないか?
 

大教院 – Wikipedia

大教院(だいきょういん)は、日本の明治時代初年に設置された、国民に対して尊皇愛国思想の教化(大教宣布)をするための機関である。三条の教憲(敬神愛国、天理人道を明らかにする、皇上の奉載)を掲げ、それを国民強化運動の柱とした。

明治5年(1872年)3月、神祇省が廃され、教部省が設けられた。

4月、三条の教則(三條教憲という)が発布され、教導職14級の制を設けて、神官を教導職に補し、日本各地で三条の教則を元に説教をおこなわせ、やがて僧侶をも教導職に合同させた。

5月、仏教各宗は連合で政府に建白、許可を得て、9月、東京紀尾井坂の紀州邸を「大教院」にあてた

明治6年2月、東京芝増上寺にこれを移し、全国に中、小教院をもうけ、祭神に造化三神、天照大神を奉斎し、宣教をはじめた。

しかし、三条の教則を説くにさいして、人材の欠乏が痛感されたため、大教院と小教院に考究課を置いて、神官・僧侶を収容せしめ、皇道国学を論じ、人材の登用につとめた。

しかし、もともと性質のことなる両者の提携であるから常に互いに反撃しあい、神道側のなかでも軋轢を生じ、事態の紛糾をまねき、また外部からも教部省と大教院の方針に対する非難もあり、ついに明治8年(1875年)4月、神仏合同布教禁止の令が発せられ、5月、大教院は解散、閉鎖された。

その後も組織は残り、神道諸団体の育成を担う神道事務局として活動を行った。

 
 こうした状況の下、「仏教」の存在感を示すために「六曜」を仏教風にアレンジし、かつ、明治の改暦に混乱した人々が、「ささやかな抵抗」として「六曜」を受け容れたというのが真相の様な気がします。
 
太陰太陽暦と歴史表記、乱暴な明治改暦
 
 いずれにせよ、そこに「部落差別」の要因は見当たらないワケで、何度でも繰り返しますが…

是は是、非は非

…という「分別を弁える」には、自分の頭で考えて「知識」を自分のものとするしかなく、「情報」が氾濫する現代社会でいうと…

メディアリテラシー

…を身に付けるということですかね?

 で、こうした「分別」がないと、こういうことになってしまうワケです。
 

九電、免震棟新設を撤回 川内原発 再稼働の前提ほご
東京新聞 2015年12月26日 夕刊


福島第一原発事故時に対応拠点としての役割を果たした免震重要棟=2011年4月(東京電力提供)

 九州電力は八月に再稼働した川内(せんだい)原発(鹿児島県)をめぐり、事故が起きた際に対策所を置くとしていた免震重要棟の新設計画を撤回した。川内原発の免震棟は原子力規制委員会の審査でも設置が前提とされていたが、対策所の広さが三分の一以下の暫定施設を使い続けるとしている。

 九電は「方針変更は総合的に判断した。費用面も全く無関係ではない」としている。規制委幹部は「一度設置すると約束したものをやめるのならば説明が必要だ」として、九電に経緯や機能の説明を求める方針だ。

 九電が当初示していた計画では、川内原発の免震棟は地上三階建てで、延べ床面積約六千六百平方メートル、二階部分に広さ約六百二十平方メートルの対策所を置くことになっていた。

 しかし建設に時間がかかるため、再稼働を急ぐ九電は免震棟ができるまでの措置として平屋建ての暫定施設を新設。施設内の対策所は約百七十平方メートルしかない。

 九電は免震棟の新設を撤回する代わりに、暫定施設の近くに地上二階地下二階建ての「耐震支援棟」を設置し、医務室や宿泊室などを置くとしている。

 ただ広さや収容人数などが未定な上、事故時に建物間を移動することになり作業員が無用な被ばくをする恐れも生じる。規制委幹部は「免震棟と比べて安全性が落ちるのであれば認められない」との姿勢を示している。
 
◆ 「再稼働すればどうにでも」疑念浮かぶ

 原子力規制委員会の新規制基準作成に携わった勝田忠広明治大准教授(原子力政策)の話 安全対策の内容を再稼働後に変更するのは重大で、このタイミングの方針転換は「再稼働してしまえばどうにでもなる」という姿勢の表れではないかとの疑念が浮かぶ。九州電力は規制委の審査会合のような透明性がある場で説明する必要がある。最近、テロ対策施設の設置期限を緩和するなど、規制委の電力側への配慮も目立つ。ここで規制委が厳しくチェックしなければ、福島第一原発事故以前のように、なし崩し的に規制が機能しなくなるかもしれない。

<免震重要棟> 2007年の新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発の事務棟が使えなくなった教訓から東京電力が所有する原発に設置し、福島第一原発事故では対応拠点として極めて重要な役割を果たした。免震装置で地震の揺れを大幅に低減する構造で、自家発電機や通信設備、被ばく対策設備のほか、休憩施設や物資置き場も備える。原発の新規制基準では義務付けられていないが、ほとんどの原発で設置が進んでいる。

 
 「是は是、非は非」論でいくと、最低でも「免震重要棟」が完成してからの再稼動が「大人の分別」というものですが、残念ながら、県知事をトップとする鹿児島県民にはそれがなかったということが、これで明らかになってしまったワケです。

で、福井県民は?

…という話。
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 

広告