「迷信」と「差別」

 歴史を詳らかにすることで「いれなき差別」や過去の「因習」を無効化し、すべての人が等しく権利(人権)を享受する公平な社会を築くことが、「日本国憲法」にも則た…

新生日本人の目指す方向

…だというのがワタシの持論であり、歴史学の意義だと思っています。そしてそれは「本来の人間性を取り戻す」という…

人間回帰

…とも軌を一つにするもの。

 差別を受けている当事者も、差別というものが知性の欠如による愚かしい行為だということをシッカリと理解する必要があります。

 「正しい知識」を身に付けることで「知性の輝き」は言動や行動に表れるようになり、「粗野」な人よりも「知的」な人の方が一般的には好まれることからしても、「粗野」な人と争うよりは「知性の輝き」を身に付けることで…

ヘゲモニー戦を制する=協力者(同調者)を増やす

…という方策のほうが有益だというコト。
 

大安、仏滅…六曜「差別につながる」 カレンダー配布中止、大分
産経 2015.12.25 20:52


カレンダーに表記があると、便利な「六曜」だが…

 大分県や佐伯市などは25日、カレンダーや冊子に大安や仏滅といった「六曜」を記載していたとして、配布中止などの対応を取ったと明らかにした。県人権・同和対策課は「科学的根拠のない迷信を信じることが差別につながる場合がある」と説明する。
 
7万部近く作ったが…「大安」もダメ!?

 六曜は古代中国で生み出されたとされ、日の吉凶に関する習わし。平成17(2005)年にも人権団体からの指摘で、大津市の職員互助会の職員手帳が問題になった例がある。

 大分県や6市町村などでつくる団体が、世界農業遺産に認定された「国東半島宇佐地域」の写真を使い作製したカレンダーに記載があることに気付いた。約1900部を配った関係機関には使わないよう求め、今後配布しない。

 佐伯市は28年から10年分の日記スペースがある冊子を5万冊作製。以前人権担当をしていた職員が21日に気づき、配るのをやめた

 杵築市はカレンダー1万2千部を25日に市内の全世帯に配布する予定だったが、六曜を削除して作り直すことを決め、臼杵市役所に事務局を置く「市農業者年金協議会」は会員らに配ったカレンダー約230部の回収を始めた。

 
 国会図書館のアーカイブで「江戸時代の暦」を確認したところ「大安」だの「仏滅」だのといった記入は見られません。「十干 ・ 十二支」が一般的であったようで、曜日も「七曜」を使っていますw。
 
日本の暦(こよみ)
国会図書館ギャラリー
 
 六曜(六輝)が使われだしたのは明治の改暦以後らしいので「迷信」としては最近のものと言えます。また「七曜」と「六曜」では取り扱う単位がビミョwに違い、「七曜」が「日」を扱うのに対して「六曜」は「時間帯」を扱うようで、「先勝」とか「先負」は一日のうちの時間帯のことであり、「六」という数字は一日(24時間)の四分の一にあたる数字。
 

「Topaz Garden」
 
七つの曜日

「曜日」の起源は、紀元前1830~710年に初めてメソポタミアの統一国家となった古バビロニアにあるといわれています。古代のバビロニアで占星術師が週のそれぞれの日に、太陽と月、そして惑星の神の名をあてはめていったことが始まりです。 メソポタミアでは、一日を24時間に分けるということもすでに考案されていたそうです。そして、メソポタミアでの宇宙論の秩序にしたがって、1日のそれぞれ1時間ずつが惑星の神々に支配されると考えたということです。

(中略)

古代メソポタミアで、どのようにして1日を24に分割することが考え出されたのかは分かっていませんが、黄道12宮の概念はすでにあったので、12という数値と何らかの関連があるのではないかとも考えられています。

ちなみに古代メソポタミアでは6を基本単位とした数の体系が使用されており、現代でも使用する、角度を測る時に使う360という数値もすでにあったそうです。時間が60進法なのもこのあたりに由来があるのでしょう。それにしても、中国でも十干十二支からなる六十干支が考案されたし、東と西で60という共通の数値が別々に使われはじめたというのは不思議でなりません。

(中略)

バビロニア ローマ アングロサクソン 現 在
太陽 シャマシュ ソル サン Sun – Day
シン ルナ ムーン Mon – Day
火星 ネルガル マルス ティウ Thues – Day
水星 ナブ メルクリウス ウォドン Wednes – Day
木星 マルドゥク ユピテル トール Thurs – Day
金星 イシュタル ウェヌス フレイア Fri – Day
土星 ニヌルタ サトゥルヌス サターン Satur -Day

(後略)

 

歴史と暦
行政歴史研究会
 
8.六曜

 六曜は本来、七曜(日月火水木金土)と同様にもともとは、日を数えるための符号です。

 六曜は「六耀星(りくようせい)」の略で、一般には、「六輝」とも呼ばれていますが、もともとは「六つの輝かしいもの」「六つの星」という意味で、正式には「六曜六輝」という名称です。

 この六輝は中国の三国時代に時刻の吉凶占いとして用いられたのが始まりで、『事林広記』ではこれを六壬時課と呼んで時刻の吉凶を占うために使用していました。日の占いに用いられるようになったのは清の時代で、小六壬(しょうりくじん)と呼ばれていましたが、現在の中国では、廃れています。

 日本へ入ってきたのは室町時代初期で、「泰安(たいあん)」「留連(りゅうれん)」「速喜(そっき)」「赤口(しやつく)」「将吉(しょうきち)」「空亡(くうぼう)」と呼び、名も順序もやや違っていました。それが寛政・享和の噴には「泰安(たいあん)」「流連(りゅうれん)」「則吉(そっきち)」「赤口(しゃっく)」「周吉(しゆうきち)」「虚亡(きょもう)」となりますが、江戸時代の公認暦には載せられていませんでした。幕末期の『安政雑書万暦大成』では仏滅が物滅となっている以外は現行の六曜と同じとなり、しかも日の吉凶を示す解釈がなされる状況になっています。その後さらに「先勝」「友引」「先負」「仏滅」「大安」「赤口」という現行のものに改まったものです。

 これが日の吉凶にあてられるようになるのはまったく日本的なものです。また、公的なものではなくて、江戸時代に民間で広まった解釈のようですが、必ず釈迦入滅の涅槃会の日が仏滅となり、釈迦誕生の潅仏会(花祭)の日が大安となるという六曜順序の決め方から仏教僧侶が関与したとの説もあります。

(後略)

 
 「仏滅」だの「大安」だのは後から勝手にコジハル…もとい、こじつけたにしても、なぜ明治になって「六曜」が普及するようになったのか?という疑問が残りますw。

 いずれにせよ「六曜」は「迷信」…それも明治という最近になって作られた「迷信」のようですから、それに一喜一憂するのも…

ナンだかなw?

…という話。
 

 この国民は特に迷信的でも無ければ宗教的でも無い。彼等は朝夕、食膳・食後・あるいは時々祈ることも無い。一ヵ月に一度寺院に参詣する者は信心深いと言わざるを得ぬ。

フランソア・カロン:著 『日本大王国志』 (p.150) – より

 
 「迷信」とは別に「ゲン(縁起)を担ぐ」というのはごく日常的に見られ、特にスポーツ選手などの勝負事に臨む人は自分なりの「縁起担ぎ」があるようで、そうした…

心のよりどころ

…のようなものまで「迷信」=「差別」の温床になると一括りにするは…

人の心が分からない

…と反感を買うだけで「差別」の撲滅に繋がるとは思えませんw。

 「差別」は「支配」の一形態でありすべての人は「支配」から解放されて当然なワケですが、解放を勝ち取るにしても…

強引(乱暴)なやりかた

…では禍根を残すことが多々あるので、ヘゲモニーを獲得する方法=合意に基づく方法をオススメする次第。
 
八鹿高校事件 – Wikipedia
 
 上記の事件などは「部落解放史」における負の面…「行き過ぎ」と言えますが、くり返し書いているように…

「是」は「是」、「否」は「否」

…という分別を弁えた知性が「差別」や「偏見」を払拭するには不可欠で、「新生日本」を築く「新生日本人」に求められる資質だというコト。

 八鹿高校での「行き過ぎ」た解放運動を教訓に、「差別云々…」ではなく…

人としての在り方

…を忘れないためにも事件を風化させてはならないと思う次第。
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 

広告