渾沌とした世界の中で

 シリアでは戦乱が続き、欧州では戦乱を逃れた人たちが迫害を受け、世界経済は不安定で、日本でも安倍(歪)政権による暴政が続いています。

 真実は雑音によって掻き消され、誰が本当のことを言っているのか、見極めるのはますます困難になり、めまぐるしく移り変わる日々の前に呆然と立ちすくみのみ。

 やがて考えることにも疲れて、家畜のように現状に従うだけの無気力な人間の群れが地上に蔓延したとき、「彼ら」は高らかに宣言するのでしょう。

新世界秩序が確立された!

…と。

 ワタシも精神的に強い方とは言い難いので、時には全てを投げ出してしまいたいこともあります。そんな時思い出すのが、ヴェルレーヌと袂を分かち、イエメンの商港アデンで商人に身をやつしていた天才詩人ランボーが妹に送った手紙に書かれた…

奴隷の身分というも長持ちするものだ

…という一節で、「全くその通りだ」と実感します。

 人間も獣の一種であり、本能は獣と何ら変わりません。したがって「食う」「寝る」が保障される奴隷の身分は、獣としての人間にとっては快適であり、「奴隷の身分というのも長持ちするものだ」…というランボーの言葉は的を得ていると言えます。

 「凡庸な悪」=日常生活にありふれた悪について言及したハンナ・アーレントは、強制収容所でユダヤ人を「事務的」にガス室に送り込んだアイヒマンも、「ナチス」に従順であった「奴隷」に過ぎず、そうした従順さは誰もが内に秘めているということに着目します。

 つまり最も危険なのは…

人間が自らの人間性を放棄してしまうこと

…だと。

 同じ事を「戦争責任者の問題」で伊丹万作氏も述べています。

戦争責任者の問題

 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。

 ハンナ・アーレントと伊丹万作は「同じこと」を指摘しているワケで、伊丹氏は「奴隷根性」と、ストレートに表現しています。

ハンナ・アーレント – Wikipedia

 アイヒマンも一般人も同じ「奴隷」であり、「奴隷」と「奴隷長」の立場の違いはあれ、より大きな「支配構造」に従順であるに過ぎず、「人間性」を自ら放棄し、「奴隷」の立場に甘んじてしまえば、やがて全体主義=ファシズム=世界統一政府が台頭することを許し、そうなってしまってからでは遅いというコト。

日本国憲法

第十二条
 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。

「人間性」を手放して「奴隷」の身分に甘んじるな!

…ということを「日本国憲法」は言っているのであり、渾沌とした世界、そして日本の現状に心が折れそうな自分自身に…

どう生きたいのか?

…ということを改めて問いかける、今日この頃。
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 

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