銅鏡100枚!

 魏から倭の卑弥呼に、100枚の銅鏡が贈られたことが『魏志倭人伝』に書かれています。で、一般的に、銅鏡は「儀式」などに用いられ「権威」の象徴でもあるとされていますが、そうであれば数は少ないほうが「希少価値」があり、権威の象徴足るのではないかと?

 そうなると100枚もの銅鏡を贈る理由はひとつで…

みんなで分け合った

…ことくらいしか思い浮かびませんw。

 つまり前回書いたように、中国からの「難民集団」でこの銅鏡を分け合い、お互いの「身分証明」のように使ったのではないかと?

 また、三角縁神獣鏡は分け合った銅鏡を「オリジナル」とし、その「コピー」を日本で作ったと考えれば数の多さも納得できます。日本に移住した中国難民のコミュニティーが拡散するに連れ、「身分証明」も沢山必要になるワケですからw。

 中国でも三角縁神獣鏡が出土したそうですが、確か?一枚だけであり、上記の仮説に従えば…

里帰りした難民が持ち帰った

…とも考えられます。

 さらに、古墳に副葬された銅鏡は割られたものが多いそうですが、銅鏡が既述のように魏の影響力を示す証拠であるなら、後世における支配層の入れ替わりの際に、前王朝の残滓として破壊されることは十分ありえますw。
 

国内最多81面の銅鏡の副葬判明 奈良・桜井茶臼山古墳
2010年1月7日20時57分 朝日新聞

 大和政権初期の大王墓の可能性がある奈良県桜井市の大型前方後円墳、桜井茶臼山古墳(3世紀末~4世紀初め、国史跡、全長200メートル)で、国内最多の13種、81面の銅鏡が副葬されていたことがわかった。県立橿原考古学研究所(同県橿原市)が7日発表した。完全な形はなく、出土した約380点の破片から判断した。

 これまで最多は、平原(ひらばる)遺跡1号墓(福岡県糸島市)の40面だった。

 全国に約40基ある全長200メートル以上の前方後円墳は、大半が陵墓(皇族の墓)か陵墓参考地で立ち入りが禁じられている。この規模の古墳の発掘は極めて珍しく、大王墓級の副葬品のレベルを示す貴重な成果だ。

 また、邪馬台国の女王・卑弥呼が、中国・三国時代の魏から贈られたとの説がある三角縁(さんかくぶち)神獣鏡1面の破片は、過去に群馬県で出土し、魏の年号「正始(せいし)元年」(240年)が入っていた鏡と一致し、同じ銅鏡であることも判明した。卑弥呼の使者が魏から帰国した年にあたる。魏の年号入り銅鏡が大和地方で見つかるのは初めて。九州、畿内の2説がある邪馬台国の所在地論争にも影響を与えそうだ。

 橿考研が昨年、60年ぶりに再調査を実施。石室内外の土をふるいにかけ、鏡の破片331点を見つけた。前回調査時などに確認した破片53点を含む計384点について、過去に他の古墳から出土した銅鏡の模様や彫り方を基に分析し、計81面とわかった。

 内訳は、三角縁神獣鏡が26面、中国産が10種以上41面、国産が2種14面だった。

 三角縁神獣鏡については専門家の間で、中国産か国産かで議論が分かれている。このほか、種類不明の破片が約180点あり、鏡の数はさらに増える可能性がある。鏡のほか、国内最長のガラス製管玉(長さ8.2センチ、直径7.7ミリ)や勾玉(まが・たま)形の石製飾りなども見つかった。

 魏の年号入りの三角縁神獣鏡は、出土した銅鏡の破片(一辺14ミリ程度)の一つに「是」の文字が入っていたことから判明した。「正始元年」の年号が入った三角縁神獣鏡はこれまで、蟹沢古墳(群馬県高崎市)▽森尾古墳(兵庫県豊岡市)▽竹島御家老屋敷古墳(山口県周南市)で出土している。

 このうち蟹沢古墳の銅鏡と比較した結果、同様に「是」の文字があり、字体も一致したことから、同じ鋳型で作られた鏡と判断した。

 鏡の破片などは13~31日、橿考研付属博物館(橿原市、近鉄畝傍御陵前駅から徒歩5分)で展示する。月曜と19日は休館。問い合わせは同館(0744・24・1185)へ。

(渡義人)

 

桜井茶臼山古墳出土の銅鏡 貴重な鏡、なぜバラバラに
2010.1.7 23:27 MSN産経ニュース

 桜井茶臼山古墳から見つかった鏡片は、いずれも指先ほどの大きさ。

 橿原考古学研究所は「盗掘の際に割れた」とみるが、「はじめから破片を副葬したのでは」との意見もある。鏡をめぐる“バラバラの怪”に専門家も首をかしげる。

 研究所の担当者は「石室には当初、鏡がびっしりと置かれていたはずだ。盗掘者が足を踏み入れた途端に踏みつぶした可能性は十分ある」とする。

 しかし、研究所の前所長の樋口隆康・京都大(考古学)は「いくら盗掘で荒らされても、これほど粉々に壊されるはずがない。最初から破片を納めたのでは」と指摘。

 「被葬者は生前、破損した鏡を集めてリサイクルし、新しい国産鏡を作り出す役割を担っていた」と推測、その象徴として破片を埋葬したと考える。

 一方、福永伸哉教授は「中国から譲り受けた一級の鏡をバラバラに割ることは考えられない。当初はすべて完全な形だった」とみる。

 古墳は鎌倉時代のほか第二次大戦中か終戦直後にも盗掘に遭っている。

 「盗掘は鏡ではなく、銅の素材を入手するのが目的だったのでは。粉々に壊されているのは盗掘品として足がつかないようにしたのかもしれない」と想像する。

 
 ところで、銅鏡の中には「景初4年」のものが存在するそうですが、ジッサイには「景初3年」の翌年は「正始元年」に改元され…

「景初4年」という年号は存在しませんw!

 なおかつ当該の銅鏡の銘文には不可思議な「暗号」が埋め込まれています。
 


「陳」「壽」「兮」

 
 「陳」「壽」「兮」の三文字が反転していますが、「陳」「壽」とはいわずと知れた『魏志倭人伝』の編者であり、その名が「裏返し」になっているというコトは…

魏志倭人伝はフィクション

…であることを示唆しているように思えてなりません。少なくとも『魏志倭人伝』において初めて登場する「邪馬台国」は「陳壽」の創作であり、そのことを存在しない年号+反転した名前で告白?告発?しているのではないかと?
 


福知山市広峯15号墳出土三角縁神獣鏡(景初4年銘)

 
 突拍子も無い思いつきかも知れませんが、「邪馬台国」とは中国からの難民集団を意味する「仮想国」であると仮定すると、「邪馬台国」の位置が不明であることや、銅鏡が割られて副葬されていること、100枚以上の「三角縁神獣鏡」が出土していること、そして「景初4年」の年号が銘された銅鏡の存在が、「一本の線」で繋がりますw。

 で、「兮」の字ですが、オンラインの中国語辞書によると肯定を強調する接尾語であり、それが反転しているということは「嘘」ということになり、陳壽が編纂した『魏志倭人伝』を鵜呑みにするのではなく、疑ってかかる(検証する)必要があるかも知れませんw。

 ま、自分の「仮説」にのめり込むのを避けるために、暫く頭を冷やすことにします。
 


日本史の誕生
岡田 英弘 (著)

 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 
追記:

<宮内庁>陵墓調査で方針転換 地元教委と協力
毎日新聞 3月28日(月)20時12分配信

 歴代の天皇や皇族の陵墓の保全管理に伴う調査について宮内庁は28日、単独で実施してきた前例を転換し、新年度から陵墓のある自治体の教育委員会や考古学研究者に協力を要請する方針を示した。調査の成果は地元教委と共同で発表し、幅広く国民に伝える

 同庁は、歴代の天皇や皇后、皇太后などを埋葬した場所を「陵」、それ以外の皇族は「墓」として管理し、総数は898基に上る。研究者も含め一般の人が陵墓の前で参拝することは可能だが、立ち入りはこれまで原則認めていなかった。同庁書陵部は陵墓である墳丘の崩壊などを防ぐ目的で調査を行い、例外的に研究者を現場に入れて見せることはあったが、調査への参加は認めていなかった。

 今回の方針転換は、陵墓周辺の古墳などで調査実績のある地元教委や研究者の知見を得て調査レベルを向上させ、保全管理に生かすのが狙い。調査成果はこれまで同庁の報告書に掲載されてきたが、幅広く国民の目に留まることはなかった。今後は地元教委と共同で発表し、埴輪(はにわ)などの出土品も一般公開する方針。【高島博之】

 
 ま、歴史の解明が捗ることは確かですが、反面、「地元贔屓の歴史観」が横行する危険性も孕んでいるので、各自治体には歴史に私情を挟まず、大きな流れを読み取ることのできる人材の確保が求められますw。
 
 

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