理不尽を受け止める

 現代ビジネスの文学コラムで村上龍(敬称略)が中上健次(敬称略)の短編集『水の女』を評論していて、本は読んでいないのですがその評論について思うトコロを書きます。

「こんな小説は書けない」と村上龍を打ちのめした傑作短編集
2016年05月01日(日) 村上龍


『水の女』 中上健次 (著)
(講談社文芸文庫)

 で、村上龍は『水の女』に違和感を感じ、それを「もう存在しない世界」と解釈しつつ、それでもなお…

「時代に関係なく自律している」

…と評しています。

違和感の正体は、中上健次が描き出した世界はもう存在しないということだった。ただし、だから作品として価値が薄れるということではもちろんないし、また、消滅した世界だから後世に残すという新しい価値が生まれるというわけでもない。

『水の女』は、時代に関係なく「自律」して存在している。性行為の描写は独特で、冷酷な印象もあるし、優しさも感じる。登場人物たちの行為は「エッチ」ではないし、「セックス」とも違う気がする。

 そしてその自律性を…

「冷酷さと優しさが溶け合って、精神の「闇」が魅惑的に浮かび上がってくる」

…と表現しているワケですが、そうした筆力が自分には欠けていることを自覚し…

「こんな小説は書けない」

…と。

 ならば中上健二と村上龍の作家としての「資質」の違いは何か?となると…

中上健次は部落出身者であった

…ということに尽きるのではないか?

中上健次 – Wikipedia

 謂れ無き「差別」を日常的に受けていた「被差別部落」の人間と、「差別する側」との人間では、精神構造が大きく違って当然であり、本来であればマイナス側に働くであろう生い立ちを、プラス側に昇華させたのが中上文学の真髄と言え、それはつまり「人間の普遍性」に到達する…

人間回帰

…でもあったと言えます。 

 繰り返しますが、『水の女』を読んでいないので村上龍の評論の「感想」というコトで話を進めると、「冷酷さと優しさが溶け合う」という状況は日常的に見られるもので、その最たるものが…

自然災害

…であり、どんなに美しい自然もひとたび牙を剥けば、多くの人の命を無造作に奪うものです。今回の「熊本地震」のように…。

 だからといって自然災害を恨んでも詮無き事。風光明媚な観光地の多くは過去の大災害の痕跡であり、阿蘇山のカルデラにしても大噴火の跡が…

観光資源

…として、地元の人に恩恵をもたらしているワケですよね?

 「観光資源」というプラス面ばかりに気を取られますが、「観光資源」をもたらしてくれた「火山噴火」を切り離すことはできず、したがって…

「冷酷さと優しさが溶け合う」

…という理不尽な状況の中で生きていくのが日本人の「宿命」であり、それを…

受け止めなければならない

…というコト。

 

九州宿泊キャンセル52万超 熊本地震影響、GWに痛手
47トピックス 2016/5/2 19:56

 熊本地震の影響で、九州各県の宿泊施設が計52万泊を超える予約をキャンセルされたことが2日、分かった。熊本、大分両県でそれぞれ約15万泊と多く、被害が少ない他県も外国人客や修学旅行などの取り消しが広がっている。書き入れ時のゴールデンウイーク(GW)が直撃され、訪日客の増加で好調だった九州の観光業界に大きな痛手となった。

 最初の揺れがあった4月14日以降の取り消しに関し、各県や観光業界団体の集計を積み上げた。調査結果が非公表の鹿児島県については、主要な観光地を抱える鹿児島、指宿、霧島各市と屋久島町の回答を合計。福岡県は調査していない。

サクラ・ナショナリズム

 中上健次に話を戻すと、「部落差別」という「冷酷さ」が作家としての資質を育んだワケですから、そこには「優しさ」も同時に存在していたという話で、人は往々にして…

自分に都合のイイ事ばかり

…を追い求めるものですが、例えば?「自然」を人間が完全に支配してしまったらそれはもう「人工」であり、人間の恣意的な操作が加わったものを…

美しい

…と感じることができるのか?となると、ワタシにはそうは感じられない気がしますw。

 人間の恣意的な操作が加わるということは、「誰かの好み」に作り変えられるワケであって、万人の好みではないというコト。

 「自然」の造形にしても万人の好みではありませんが、「人の手」を離れているということは、少なくとも「誰かの好み」ではなく万人に公平であることは確かであり、その中から「自分の好み」を選ぶ自由は確保されます。よね?

 したがって「自然の恵み」を享受するということは、同時に「自然の猛威」をも享受しなければならないことは明白であり、すなわち…

理不尽を受け止める

…という覚悟?心構え?が求められるというのがスジ

人間が、人間である限り!

 今回の熊本地震の被災者の方には「心が折れた」という方も多いようですが、ワタシたちは常に自然の「冷酷さ」と背中合わせで暮らしており、それは「日本」に暮らす全ての人に言えるコト。

 そして災害に見舞われた時に助け合うという行為は、人間と他の動物との絶対的な違いであり…

人間に生まれてヨカッタw!

…という話であって、「心が折れた」などと落ち込んでいるよりも、「理不尽」を受け止め前に進むのが「人間の本来の在り方」だと思うワケです。キツイようですが…。

 で、再び中上健次に話を戻すと、村上龍が評論でいう「精神の闇」とは、「冷酷さ」と「優しさ」が混在する「不条理」に対する戸惑い(精神の空白)とも言え、一方、「精神」がどうあろうと「肉体」は生きるために「本能的」に活動しているワケで、「生」に対する本能の衝動は決して否定されるものではなく、むしろ肯定的に捉えることで文学作品となり、また、その他の芸術作品として普遍的な光を放つのだろう…と思った次第です。

 最後に、「自然の理不尽」とは別に「人工の理不尽」と言えるのが「原発」であり、受け止めなくてイイものまで受け止める必要は無いワケで…

自然災害だけで十分ですw!

…という話。

被災地の不安軽減のため川内原発の稼働停止を パルシステムが安倍首相に
農協新聞 2016.04.25

 生協のパルシステムは4月22日に、安倍首相と田中原子力規制委員会委員長に、稼働中の川内原発の即時停止と全原発の再稼働中止を求める意見書を提出した。

 


川内原発を止めてください。

 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 

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