「記憶の穴」より…拝啓

 「邪馬台国は存在しなかった」というワタシの持論からすると、日本の歴史は…というか?世界の歴史は過去何度も書き換えられていて、まるで『1984年』のようなワケですが、それでも時には「記憶の穴」のほころびから「確かな証拠」が転がり出ることもありますw。
 

消された? 弁慶の謎 清水寺参詣曼荼羅、赤外線撮影で修整跡
京都新聞 2016年05月28日 19時05分

 清水寺(京都市東山区)が所蔵する「清水寺参詣曼荼羅(まんだら)」(府指定文化財)で、五条橋に弁慶を描いた可能性があることが26日までに、デジタル保存作業などから分かった。現存する清水寺参詣曼荼羅は2作あるが、個人所蔵の方にだけ弁慶と牛若丸が登場する。寺所蔵の曼荼羅にも弁慶が描かれていたとすれば、消された理由は何か。研究者らが想像を巡らせている。

 曼荼羅は、五条橋(現松原橋)から清水寺門前までの参道や寺内の様子を描く。作者は不明だが、応仁の乱で寺が焼失した後の16世紀、絵解きを通し、清水寺信仰を広めたと言われる。

 文化財の保存と継承を目的に、屏風(びょうぶ)絵などのデジタル保存に取り組む凸版印刷(東京都)と清水寺が協力し、曼荼羅を高解像度で記録。赤外線撮影によって目で確認できない背景部分の画像を取得したところ、左下の隅に描かれた五条橋の一部に紙を貼り直し、修整した形跡が見つかった。

 同時代の作とされる個人蔵の曼荼羅には五条橋に弁慶と牛若丸が描かれ、親しみやすい工夫を加えたと考えられる。赤外線撮影で弁慶が見つかった部分は、個人所蔵の曼荼羅に描かれた弁慶の位置と重なる。また、橋の欄干には弁慶が持つ長刀のような形も見える。

 画像を確認した下坂守・元奈良大教授(日本中世史)は、「もし描かれていたのであれば、戦国時代にはすでに弁慶と牛若丸の伝説が広く定着していたとみられ、面白い」と話す。京都国立博物館の大原嘉豊・保存修理指導室長(仏教絵画)は「こういった絵画は手本があり、さまざまな絵師が模写していた可能性がある」と指摘。清水寺所蔵の曼荼羅に牛若丸が描かれた形跡がない点に注目し、「絵師が伝説を知らずに牛若丸を描き忘れた。後年になって弁慶だけがいるのはおかしいということで修整を加えたのかもしれない」と推察する。
 


【拡 大】

 
 牛若丸と弁慶の逸話をおさらいすると、牛若丸=源義経は鎌倉幕府を開いた源頼朝の腹違いの弟。「源平の戦い」で活躍しますが兄の頼朝に疎まれ、従者の弁慶と共に奥州に逃れ最後を迎えるワケですが、一説には大陸に渡り、あのモンゴル帝国を築いた「ジンギスカン」になったというものがありますw。
 
義経の痕跡残るウラジオストック近郊(EJ1644号)
Elestronic Journal 2005年07月29日
 
 それはアレとして、頼朝と義経が不仲であったのも当然。頼朝の母は藤原南家の血筋で義経の母は朝廷の雑仕女なワケですから、頼朝に肉親の情が湧くと考える方に無理があります。しかも「源氏」の権威を笠に着た?義経の勝手な振る舞いは、武家の棟梁としての頼朝の目に余るものがあり、かつ、頼朝の地位を脅かしかねないものと映ったハズ。

 つまり義経は頼朝にとって「平家」に換わる新たな対抗勢力となり、義経を葬り去らない限り鎌倉幕府は安泰ではなかったという話で、そうした義経をなぜ弁慶=僧兵がバックアップしたのか?
 


僧兵 – Wikipedia

 
 平たく言うと僧兵とは寺が管理する荘園を自衛するための「兵隊」であり、乱世において寺社はこうした兵力を背景に「小さな独立国」を形成し…

独自経済圏

…を営んでいたワケですが、世の中が安定し「中央」によって統治されるようになると権益が失われることになります。

 権益を守りたい寺社=荘園主の思惑と義経の上昇志向?が噛み合い、それを危険視した頼朝によって討伐された…というのがワタシの見立て。

 さらに言えば「寺」とは聖武天皇によって全国各地に設置された「国づくり」=殖民の出先機関であり、その目的は…

律令制を徹底する=日本の中華化

…に他なりません。

 「邪馬台国は存在しなかった」という持論からすると、「国家」という概念の無い縄文人=先住日本人にしてみれば弥生人=大陸からの移民が新しく持ち込んだ概念は…

侵略以外のなにものでもない!

…というワケで、各地に建てられた寺および自給自足するための荘園は自分たちの「縄張り」を荒らすものであり、快く思わない先住民が少なからずいたであろうコトは想像に難く有りません。

 で、そうした危機感から寺が僧兵を常駐させるのは当然の成り行きと言え、さらに乱世に乗じて「独立国」のように振舞う荘園も現れるようになり、そうした勢力が義経を担いで権益を守ろうとしたのではないかと?

 また、寺は寺で派閥があり、記事から察すると清水寺は本来「自立派」であったのが義経の失脚により「体制派」に鞍替えし、過去の痕跡である絵(曼荼羅)から…

弁慶を消した

…のではないかと?

 ま、最終的に言いたいのは、『1984年』に書かれているような「歴史の書き換え」は大昔から繰り返されているというコトですw。

「記憶の穴」より…拝啓!
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 

広告