平城京とフレディ・マーキュリー

 オジサンには親しみ深い英国のロックバンド「クイーン」は、当初英国では「小便桶」とまで揶揄されるほど人気が無かったグループでしたが、何故か?日本ではバカ受けしてその人気が再評価に繋がり世界的名声を得たという経緯があります。この辺の経緯は湯川れい子サンあたりが詳しいのではないかと?
 

 
 高校生のときに同級生の女の子からイキナリ「聞け!」と渡されたのがセカンドアルバムで、いまではいい思い出ですw。

 音楽的なことを言うと、ブライアン・メイのギターの音色は「金属的」すぎて、当時のハードックの「まったり」としたサウンドとは異質でイマイチ耳に馴染まず、あとでピック代わりに5ペンス硬貨だかを使っていると聞き…

だからかw。

…と納得。

 にしても、ヴォーカルのフレディマーキュリーのタイツ姿には硬派のロックファンとしては許しがたいものがあり、「マカロニほうれん荘」でパロディにされる「色物」くらいに思っていたワケですが、当のフレディ・マーキューリー(故人)は大変興味深い経歴の持ち主で、ナンと…

ゾロアスター教徒

…だったというコトですw。
 
フレディ・マーキュリー – Wikipedia
 
フレディの死後もうわさされる、クイーンの楽曲に隠された宗教的メッセージ
[ビバリーヒルズ宗教白書] 2011.12.19
 


後藤熊男

 
 で、ゾロアスター教徒はインドで「パールシー」と呼ばれているワケですが、奈良市の平城宮跡で出土した木簡に書かれていた「破斯(ハシ)」の名前は、単にペルシャを表しているのではなく、ゾロアスター教徒(パーシー)を意味しているのではないかと?
 

平城京にペルシャ人の役人がいたことが判明。「破斯清通」ってどんな人?
The Huffington Post | 執筆者:吉川慧
投稿日: 2016年10月05日 17時34分 JST 更新: 2016年10月05日 17時46分 JST
 

 
――765年ということは、ペルシャ地域がイスラーム勢力(アッバース朝)の支配下にあった時期ですね。「シルクロード」を通り、日本にやってきたということでしょうか。

そうなりますね。この時代の人はペルシャから中国を経由し、それから日本にやってきたのではないでしょうか。

 

ゾロアスター教 – Wikipedia
 
ゾロアスター教徒のインド移住

サーサーン朝の滅亡を機にイランのゾロアスター教徒のなかにはインド西海岸のグジャラート地方に退避する集団があった。Qissa-i Sanjanの伝承では、ホラーサーンのサンジャーンから、4つあるいは5つの船に乗ってグジャラート州南部のサンジャーンにたどり着き、現地を支配していたヒンドゥー教徒の王ジャーディ・ラーナーの保護を得て、周辺地域に定住することになったといわれる。グジャラートのサンジャーンに5年間定住した神官団は、使者を陸路イラン高原のホラーサーンに派遣し、同地のアータシュ・バフラーム級聖火をサンジャーンに移転させたといわれている。

インドに移住したゾロアスター教徒は、現地でパールシー(「ペルシア人」の意)と呼ばれる集団となって信仰を守り、以後、1000年後まで続く宗教共同体を築いた。かれらはイランでは多く農業を営んでいたといわれるが、移住を契機に商工業に進出するとともに、土地の風習を採り入れてインド化していった。

 
 651年にサーサーン朝が滅び、イスラム化を拒否する一団がインドに移住してゾロアスター教を守り続けるワケですが、さらにその一部が日本に渡来して…
 
阿波忌部氏
 
…の始祖になったというストーリーも考えられます。
 
忌部氏の出自 2
2014年10月4日
 
 そういえば四国の徳島かどこかでペルシャ由来のガラス玉が出土したニュースがありましたなw。
 

モザイク玉はペルシャ産か 香川で出土、分析で判明
共同通信 更新日:2015/07/02


香川県まんのう町の安造田東3号墳から出土したモザイク玉=2014年2月(同町教育委員会提供)

香川県まんのう町の安造田東3号墳(7世紀初頭)で1990年に出土した装飾品のガラス玉「モザイク玉」が、ササン朝ペルシャ(226~651年)で制作された可能性が高いことが30日までに、奈良文化財研究所(奈良市)の調査で分かった。

分析をした研究所の田村朋美研究員は「小さなモザイク玉に秘められた、ユーラシア大陸の東西を結ぶ壮大な交易活動を示すことができた」と話している。

モザイク玉は最大径1・45センチ。青と白の線を交互に巡らした表面に赤い斑点が交じり、ひもを通す穴が開いている。古墳時代のガラス玉でも国内に類例がない精緻な作りとして知られている。

 
 そのほかにも…
 

奈良・古墳出土のガラス椀、ペルシャの高級品の可能性
日経 2014/7/25付

 奈良県橿原市の新沢千塚(にいざわせんづか)古墳群の126号墳(5世紀後半)で出土した円形の切り子ガラス碗(わん、重要文化財)がササン朝ペルシャ(226~651年)の遺跡で発見されたガラスのうち、5~7世紀に流通した高級品とほぼ同じ化学組成であることが分かった。東京理科大の阿部善也助教(分析化学)らが蛍光エックス線分析で明らかにした。

 ガラスの化学組成は原料や採取地を反映し、不純物として含まれる微量元素が指標となる。新沢千塚のガラス碗はデザインなどからササン朝ペルシャ製とされ、その特徴である植物灰を含むことも分かっていたが、微量元素を詳細に分析し、不純物の少ない高級品の部類に入ることが判明。

 阿部助教は「同じ原料を得られる、限られた地域で生産された可能性が高い」とみている。

 古代ガラスは産地が分からないものが多く、阿部助教らは製品を破壊せずに微量元素を検出する蛍光エックス線分析法で、内外にあるササン朝ガラスとされる42点について約20の元素組成を調査。126号墳のガラス片は植物灰由来のマグネシウムを豊富に含む一方、不純物であるジルコニウムなどが少なく、透明度が高いことが分かった。

 ガラス工芸史に詳しい林原美術館(岡山市)の谷一尚館長は「ペルシャから新沢千塚に運ばれるまで、あまり年代が隔たっておらず、当時の交易を考えるうえでも興味深い」と話している。

 126号墳のガラス碗は淡い緑黄色で厚さ約1~1.5ミリ。円形の切り子文様があり、1963年の発掘で青いガラス皿とセットで出土した。〔共同〕

 
…というコトで奈良時代にペルシャ人(パーシー)が日本に渡来し、文化、技術を伝えたことは確定的であり、ソレに加え「パーシー」が単にペルシャ人を指すのか?それともインド系ゾロアスター教徒を指すのか?という話になるワケですが、インド系ゾロアスター教徒であったとすると阿波忌部氏の始祖となった可能性が高く、なおかつそれが「日本神話」のなかに垣間見られるのであれば「日猶同祖論」どころか…

「日波同祖論」もしくは「日印同祖論」

…とかが大々的に唱えられてもオカシくないワケです。ひょっとしたら?「四国」は本来「ペルシャ国」=「波斯(破斯)国」と呼ばれていたのを縮めて…

「斯国」=「四国」

…と呼ぶようになったのかも知れませんw。
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 

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