忌部氏の出自 4

 ワタシの推測では、阿波忌部氏のルーツは日本に渡来したササン朝ペルシャのゾロアスター教徒で、四国の剣山の山中に散在するという石組みの祭壇の遺跡もゾロアスター教由来と考えられますが、理解に苦しんだのは、阿波忌部氏の一団が房総半島の安房に移住した際に携えていたという「鹿の角」の存在です。

 「鹿」は「夫余(扶余)」のシンボルであり、したがって阿波忌部氏は夫余の出自という可能性が高いワケですが、ゾロアスター教(ペルシャ)と夫余(満州)とを繋ぐ糸口が見えませんでした。
 


2世紀頃の東夷諸国と夫余の位置

 
 「鹿」にずっとこだわり続け、「鹿男あおによし」や「忌部氏の出自」のシリーズを書き連ねつつ「尻切れトンボ」になっていたワケですが、ここにきて一気に疑問が解消されそうです。というのも…

「鹿」はゾロアスター教における「勝利の神」

…であるらしいからですw。
 
ペルシャの神々とゾロアスター教
「神々の故郷とその神話・伝承を求めて」 – 岐阜大学名誉教授:小澤克彦 
 
 上記によると「鹿」はゾロアスター教の主神アフラ・マズタの従神である勝利の神ウルスラグナの第9形態であり、しかもササン朝ペルシャではウルスラグナの名を冠した王までいたほど重要視されていたとのコト。つ・ま・り…

ゾロアスター教=鹿

…と一本の糸で繋がることになり、そうなると「夫余」そのものがゾロアスター教徒の集団か?という話にもなるワケですが、それはアレとしてこの事実を下敷きにするともうひとつの疑問だった…

藤原不比等が鹿を茨城の鹿島から奈良の春日大社に勧請した理由

…も見えてきます。

 つい先日のニュースによると、奈良の都ではペルシャ人の役人が働いていたことが、発掘された木簡に書かれた名前より判明したそうです。
 
平城京にペルシャ人の役人がいたことが判明。「破斯清通」ってどんな人?
The Huffington Post | 執筆者:吉川慧
投稿日: 2016年10月05日 17時34分 JST 更新: 2016年10月05日 17時46分 JST
 
 これは役人に登用さえれるほどペルシャ人が有力な存在であったことを意味し、奈良の都は国際色豊かな都であったと考えられるワケです。

 また、ペルシャ人が奈良の都でそれなりの勢力を持てば、民族のアイデンティティーを誇示する寺院を建立するのは自然の流れであり、それが「春日大社」であったという話。

 ちなみに奈良のマスコットの「せんとくん」は、どストライクで「ゾロアスター教」と「仏教」が習合した姿というコトになり、着ている衣服や腕輪にはどこか異国情緒が漂い、どちらかというと南方の民族の装束に見えますw。
 


せんとくん

 
 で、優れた技術者でもあるペルシャ人を取り込むために藤原不比等は鹿島から「鹿」を勧請したのか?

 もしくはペルシャ人自身が勧請したのかは定かではありませんが、いずれにせよ奈良よりも有力なペルシャ人コミュニティーが茨城の鹿島に存在していたことになります。

 時系列がハッキリしないのアレですが、阿波忌部氏の一部が移住先に房総半島を選んだのも、東国にもペルシャ人コミュニティーが既にあったからと考えれば、「あらたえ」を織る大麻の種が群馬から支給される理由も見えてきます。

 これらを勘案すると古代日本の成立過程でペルシャ人は大きな役割を果たし、「平家」はペルシャ人だったという説を受け入れるなら、ペルシャ系日本人は壇ノ浦で「平家」が滅亡するまで勢力を持ち続けたのではないかと?
 

 
 そしてペルシャ系日本人の故郷とも言えるのが「夫余」の地=満州であるコトは、「満州国」を建国した勢力と何か関係があるのか?という話にもなるワケですが、現代にまで続く長wい話になるのでまた別の機会に。

 ワタシなりの結論(現状での)としては、阿波忌部氏の祖はササン朝ペルシャから渡来したゾロアスター教徒であり、奈良時代頃にはペルシャ系日本人が勢力を持ち、中央で活躍すると同時に日本各地にコミュニティーを築いていたらしいというコトで、まだまだ検証すべき点は多いのですが、ひとまず「忌部氏の出自」シリーズはこれで締めることにしますw。
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 

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