「邪馬台国」は存在しなかった 6

 ずいぶん間が空きましたが大荒れだったアメリカ大統領選挙も一段落したので、久々に「邪馬台国」について続きを書きます。

 そこでザックリおさらいすると…

邪馬台国は、中国大陸の混乱を逃れて日本に渡来した難民による、亡命政権の連合体だった。

…というのがワタシの推論であり、異端の歴史作家八切止夫氏も、『古代史入門』という著書の中で…
 
耶馬台国群は中国の出先機関である
 
…と書いていますが、これを裏付ける?のが鎌倉時代に書かれた『延暦寺護国縁起』に引用されている『野馬台詩』です。
 
野馬台詩 – Wikipedia
 


蜘蛛の預言①~『野馬台詩』と『吉備大臣入唐絵巻』~
「不況対策!個人でも有効な方法」 – より

 

右半分

東海姫氏國
東海にある姫氏の国は

百世代天工
百世を天子に代って工治する

右司爲輔翼
右司(武官)を輔翼と為し

衡主建元功
合議制により元功を建てた

初興治法事
初めに治法の事を興し

終成祭祖宗
終に祖宗を祭るを成す

本枝周天壤
本枝は天子の地に周り

君臣定始終
(天子の)君臣が始まりから終りまで定める

谷填田孫走
田で埋められた谷を子孫が走り

魚膾生羽翔
魚の膾(なます=スライス)に羽が生えて空を翔ぶ

後干戈動
葛の後に戦乱があり

中微子孫昌
中興して子孫は隆昌する

 

左半分

白龍游失水
白龍は油断して水を失い

窘急寄故城
ひっぱくして異邦人の城に身を寄せる

黄鷄代人食
(そこでは)黄鶏が人に代わりて禄を食み

黑鼠喰牛腸
黒鼠が牛腸を喰らう

丹水流盡後
丹水の流れが尽きた後

天命在三公
天命は三公に在り

百王流畢竭
百王の血流はことごとく尽き

猿犬稱英雄
猿や犬が英雄を称す

星流飛野外
野外に星が流れ飛び

鐘鼓喧國中
(戦の)鐘鼓は国中に喧しく

靑丘與赤土
青丘と赤土は

茫茫遂爲空
捨て置かれて遂に空と為されん

 
 Wikipediaと、先のブログの管理人の「えふ」氏訳を引用しつつ、ワタシの独自解釈を加えてたものですが、なにより確かなことは、「東海にある姫氏の国」のことを「野馬台」=「邪馬台」として詩に詠んでいるコトです。そして右半分は「邪馬台国」の由縁について、左半分は「邪馬台国」の衰退と消滅についてです。

 『野馬台詩』(以後は『詩』)は、僧でありかつ預言者でもあったという宝誌(418年-514年)によって書かれたそうですが、「邪馬台国」が初見される『魏誌倭人伝』が書かれたのは宝誌が生きた時代より前であり、当然その記録が残っているワケですから、少なくとも右半分は予言でも何でもなく、『詩』を予言書のように取り上げるのはお門違いだと言えます。
 
宝誌 – Wikipedia
 
 で、『詩』を中国(唐)から持ち帰ったのは吉備真備だということで、17年間を唐で過ごし40歳(735年)の時に帰国して聖武天皇に重用され、日本の中華化(唐化)に尽力します。
 
奈良の魔法使い~日本を救った遣唐使・吉備真備(きびのまきび)
歴史秘話ヒスとリア 第40回 5月19日
 
 『詩』の内容に話を戻すと、「姫」は殷王朝を滅ぼした周王朝の国姓であり、したがって邪馬台国は周の血を受け継いでいるというコトになります。そしてそれは中国側の文献に…

「邪馬台国」の使者はみなが大夫(貴族)を自称し、男子は呉の太伯と同じように刺青を入れる。

…と書かれてコトにも整合します。

 呉の太伯とは、弟に皇位を譲り呉に移り住んだ周王朝の皇子で、当然「姫」姓であり、その子孫が倭人の国にいるらしいと「魏志倭人伝」は含みを持たせているワケです。
 
『三国志』 魏 書(巻三十)
 
 そして大陸にいる天子を君主に戴き、その君臣がトロイカ体制により「邪馬台国連邦」を形成していたことが『詩』の右半分からは読み取れ、大陸の混乱を逃れて日本に渡って来た難民は耕作地(水田)を広げるワケですが、”魚の膾(なます=スライス)に羽が生えて空を翔ぶ”が意味不明であるコトと、その次の「葛」が葛城氏のコトだとすると、葛城氏の後に起きた戦乱とは葛城氏を排除する動きがあったことを意味し、その実行者として有力なのが雄略天皇です。
 
葛城氏 – Wikipedia
 
 そして「邪馬台国」は中興し、子孫は栄えたという結びで右半分は終わっているコトから、雄略天皇は「邪馬台国」側の人間…すなわち中国側の人間と見做され、そのことが後年雄略天皇に対する「大悪天皇」「有徳天皇」といった極端な評価の違いの原因でもあるのでは?
 
雄略天皇 – Wikipedia
 
 つまり、「邪馬台国」の関係者にとっては「有徳天皇」であり、葛城氏の関係者にとっては「大悪天皇」であるという話w。

 今回はこれにて。
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 

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