本当の善意

 今日の午後、地元のボランティア集会に顔を出してきました。集会に集まった顔ぶれを見渡すと老人ばかり(ワタシもですが)。

 で、参加総数50人ほどが5~6人のグループに振り分けられ、前半は講師の話を聞き、後半は各グループ内でボランティアに関する疑問を三つ取りまとめ、それに対して福祉の専門家が答えるという進行だったのですが、主催者が参加者に自己紹介を促したトコロでひと悶着。

 短い時間の間に各グループで疑問点をまとめるという課題をこなさなければならないのに、自己紹介に無駄な時間を費やす暇はないという意見が上がり、それにはワタシも…

ごもっとも

…と。

 集まった人たちは各自が個人なり、グループなりで既に活動しており、いうなれば実戦の最前線に立っているようなもの。いまさら「自己紹介」で仲良し子よしもないワケで、それよりも自らが抱える問題を如何に解決するかのヒントを求めて会議に参加しており、会議主催者と参加者との間に意識のズレがあったのは否めません。

(会議の)レベルが低い

…とまで言われてましたが、ワタシも同感ですw。

 国の福祉事業はボランティアの存在無くしては成り立たないのが現状です。それは皆さんも認めるトコロ。つまり「善意の市民」が…

行政の尻拭いをしている

…という話。

 然るにそうした「善意の市民」を国は都合のイイように利用するだけで、いわばタダ働き要員としか見ていないのではないか?そうした意識の現われが先の会議における「自己紹介」のように、「本質」とは関係ない「形式」にこだわる姿勢に現われていたように思った次第です。

 各自治体にはボランティアを取りまとめる組織=社会福祉協議会(社共)が存在しますが、社共が国から予算(資金)を受けている都合上、その業務内容も国の顔色を伺い役人的になるワケです。
 
社会福祉協議会 – Wikipedia
 
 つまり国に対して「仕事をしている振り」を見せなければならず、先の「自己紹介」も、おそらく官製の会議フォーマットなのではないかと?

 熊本地震が発生してずいぶん経つというのに、いまだに生活必需品が不足しているという記事を目にしましたが、こうした不手際=被災者軽視も、つまるトコロは…

「被災者」よりも「書類」を優先する

…というお役所体質によるものとしか思えませんw。
 

生活物資が半年届かず 被災者申請、3割は未発注 熊本市
西日本新聞 2017年02月25日 06時00分

 熊本地震で自宅が半壊以上の被害を受けた被災者に生活必需品を支給する制度で、熊本市が申請を受けた1万2567件のうち、約3割は配送が未発注になっていることが分かった。市が配送を委託した量販店の対応が遅れているためで、申請から品物が届くまでに約半年かかっている。

 災害救助法に基づく支援制度で、被災者は寝具や紙おむつ、調理器具など24品から上限額内で希望する品物が選べる。熊本市は市内11の量販店と協定を結び、被災者が申請した品物の手配や配送を委託したが、多い月は約3千件の申請があり、次第に対応が遅れるようになったという。健康福祉政策課は「量販店は本業があり、人手も限られているため」と説明する。

 市によると、量販店に発注したのは8875件(15日時点)で、現在は昨年8月中旬ごろまでに申請を受けた品物を送っている。市は市外の店にも協力を要請しており、5月ごろまでに全ての申請者に届け終えたい考えだ。

=2017/02/25付 西日本新聞朝刊=

 
 こうした事態は福島でも発生しており、倉庫の中に救援物資が山積みで放置されていたコトもありました。また災害に限らず福祉にしても、援助が必要な人に手が届かない状況は全国の自治体が抱える問題です。ま、ありていに言えば…

国は「善意」を喰いものにしている

…というコト。そしてそれに便乗する「悪質」な民間福祉事業者(有償事業者)が存在することも事実です。

 「善意」=「感情」が絡む問題なので白黒つけるのは難しいのですが、ひとつ言わせてもらうなら、日本を現在のような状況にしたのはワタシを含めた前の世代の責任であり…

定年退職して暇ができたら社会貢献しようでは遅い!

…という話。アドラー心理学流に言うなら、サラリーマンをしていたときは企業利益を優先し、組織内で「承認欲求」を満たしていたものが、定年退職して組織を離れたので今度はボランティアで「承認欲求」を満たそうというワケ?それって自分の「承認欲求」を満たしたいだけでしょ?「本当の善意」なワケ?え?キツイようですがw。

 少子高齢化が進み、生産人口はドンドン減少しています。生産人口の減少=税の減収にも関わらず、軍事に回す予算は増えるのに福祉予算は削られています。今後福祉対象者は確実に増えるというのに、国や自治体のやっていることは矛盾しています。というか?まったくデタラメです。「森友学園」「豊洲新市場」のようにw。

 行政のデタラメをボランティアに尻拭いさせていることに、ボランティアに関わるすべての人はもっと「怒り」を感じるべきだと思うワケで、「絆(きずな)」だなんて美辞にごまかされ本質を見失ってはいけませんw。

 アドラー心理学では「社会貢献」が重要だそうですが、「課題の分離」=「責任の分離」という過程をパスして「共同体感覚」にのめり込むと、誰も責任を取らない共同体になってしまうワケで、それは支配層にとっては都合がイイという話。責任逃れができますからw。

 ま、簡単にまとめると…

「善意」を喰いものにするヤツらに騙されるな!

…というコトで、そうしたヤツらに騙されないためには…

知力勝負だw!

…となるワケです…はい。
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 
追記:

<東京・多摩市長が怒り>税の付け替えでしかない「ふるさと納税」はおかしい
メディアゴン 2017年02月26日 07:30

山口道宏[ジャーナリスト]

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「自治体への寄付を増やそう」ということで、豪華返礼品を巡って問題となっている「ふるさと納税」。

「ふるさと納税」とは他の自治体に寄付すると居住地の税が軽減するというもの。寄付の先は郷土であったり、お気に入りの地であったりと、美談も伴う「ヒット施策」かに見えた。

そんな中、東京・多摩市の阿部裕行市長が怒っている。同市では「ふるさと納税」のために、2017年度の市民税収が2016年度より1億2000万円が減少する見込みと発表した。また、新聞でも東京23区は2017年度に少なくとも208億円の税収減が見込まれる(2017.2.18毎日新聞)というから、事態は深刻だ。
 
【参考】<天下りのニーズ>なぜ官僚の天下りはなくならないのか?
 
そもそも税の公平性、公正性から見たならどうか。

「ふるさと納税」は、首都圏の自治体行政への妨害となっている。税制の在り方、自治体施政への影響をみれば、阿部市長の指摘はもっともで、施政を担う首長としては、当たり前ながら勇気ある発言といえる。

「ふるさと納税」とは、所詮、自治体A→自治体Bへの税の付け替えに過ぎないのだ。

国策の結果で地域格差、経済格差を生んでおきながら、国は本来的な公的責任を負わず、寄付という「大衆の善意」を利用して仕掛ける「寄付のすすめ」。拡大する一方の格差それ自体を埋めるには本末転倒だ。格差の是正というより糠に釘、である。 

責任逃れで得しているのは国ばかり。寄付を受ける側も返礼品に頭をかかえている。総務省は返礼品に商品券を用意したある自治体を批判するが、肉や魚や野菜やチケット類とどう違うというのか?

なにより税収減の影響は行政サービスにつながる。阿部市長につづき「この制度はおかしいぞ」と声を上げる首長はいるのか。

 
 「まとも」な人間が増えなきゃ、この国は良くなりませんw。
 
 

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