サウジアラビア国王来日

 大名行列を組んで各国を歴訪しているサウジアラビア国王が来日しましたが、天皇陛下に謁見した際の写真が凄いことになってますw。
 

天皇陛下、サウジ国王と昼食
ロイター 2017年 03月 14日 16:44 JST
 

 
 天皇陛下は14日、来日しているサウジアラビアのサルマン国王を、住まいの皇居・御所に招き、昼食を共にして懇談された。

 御所の車寄せで出迎えた陛下は、笑顔で歩み寄り、国王と握手を交わした。国王は「第二の故郷の日本に来られてうれしいです」と話した。

 サウジ国王の来日は46年ぶり。12日に日本に着いたサルマン国王は13日、安倍晋三首相と会談し、日本企業の進出を促す経済特区をサウジに創設することを柱にした「日・サウジ・ビジョン2030」を公表した。15日まで滞在する。

【共同通信】

 
 ワタシの主観に過ぎないのかも知れませんが、サルマン国王が天皇陛下の面前で恐縮しまくっているように見え、まるで悪さをした子供みたいですw。

 もとよりアラブ圏の各首長はなぜか天皇陛下を特別敬っているワケですが、それにしても…

ここまでとわ!
 

アラブの王室が「天皇陛下」に注ぐ「尊敬の念」
新潮社 フォーサイト 10/17(月) 15:39配信

 前回この欄で、訪日したサウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン副皇太子に対する安倍晋三首相の厚遇について書いた(2016年9月14日「親日『サウジ副皇太子』へ安倍首相『異例の厚遇』」)。実はムハンマド副皇太子に絡んでもう1つ触れておきたいことがある。それはアラブの王室の日本の皇室に対する深い尊敬の念である。
 
■ 世界が称賛した写真

 副皇太子は8月31日から9月3日まで日本に滞在し、9月1日、天皇陛下は皇居・御所で副皇太子と会見した。

 会見で天皇陛下が「東日本大震災の際にお見舞いをいただいたことに感謝します」と述べると、副皇太子は「それは我々の義務です。日本は極めて重要なパートナーなので、困っているときにはそばに寄り添うのが真の友人です」と語った。
 

 
 会見は御所の一室で行われたが、この時の写真がフェイスブックやツイッターなどを通じて世界で大きな反響を呼んだ。何の飾り気もない部屋で、装飾といえば草花を活けた花瓶が1つあるだけ。障子から明かりが差し込む凛とした気品ある空間の中で、天皇と副皇太子が向かい合い、言葉を交わしている。

 フェイスブックの声――。

「この写真を見ると嬉しく感じる。サウジアラビアの副皇太子が、シルクやジュエリーなどの派手な装飾に頼らずとも、とても穏やかな気持ちで対談されていることが分かるからだ」「本当に素晴らしい場所だ。うるさくないシンプルな作りで、大事な部分1点にまとめられている。日本らしいよ!」(サウジアラビア)

「日本の天皇陛下と最高のミニマリズムの形」(カタール)

「これこそが真のミニマリズムだ!」(マレーシア)

「金も装飾もなく、衝撃的な1枚だ。この謙虚さが美しいのだろう」(米国)

「写真は最低限のものしか置かれていないにもかかわらず、部屋から美しさや気品があふれています」(モロッコ)

 ミニマリズムとは、華美を排したシンプルさに真の美しさを見出す考え方のこと。両陛下の私邸の御所もそうだが、皇居・宮殿も、そこに足を踏み入れた外国の賓客の多くが、そのたたずまいに感嘆する。装飾を排し、趣味のいい花瓶がただ1つ、広い空間に置かれているだけ。これでもかと装飾を重ねていく欧米やアラブのインテリアとは対極の、引き算の美に日本の精神性を見る賓客は多い。
 
■ 「日本は例外である」

 副皇太子も御所の雰囲気に触れ、皇室に対する尊敬の念をさらに深めたのではないだろうか。外務省と宮内庁の関係者によると、天皇との会見でのムハンマド副皇太子の言葉使いと立ち居振る舞いからも、皇室に対する尊敬の念を感じたという。ただこれは1人、副皇太子にとどまるものではない。

 2009年までの3年間、駐サウジ大使を務めた中村滋氏は、「サウジの王族は日本の皇室に尊敬と強い関心を寄せている」と指摘する。アブドラ国王(在位2005年8月~2015年1月)が日本からの要人を謁見する際、中村大使は必ず陪席したが、国王の最初の発言は決まって「天皇陛下はお元気でおられるか」との質問で始まったという。同国王は皇太子時代の1998年10月来日し、天皇から宮中午餐会のもてなしを受けている。この時、日本の皇室や天皇陛下によほどいい印象を抱いたのだろう。

 また長年、駐米大使を務めたバンダル・ビン・スルタン王子は帰国後、国家安全保障会議の事務総長という重責ポストに就いた。面会が極めて難しいことで知られていたが、中村大使とは2度私邸で会い、イランとの水面下の交渉などを明かしてくれたという。この時、同事務総長は、「自分は通常、外国の大使には会わないが日本は例外である。日本の皇室を尊敬しているからだ」と述べたという。同王子の立場になれば日本の皇族と一緒になる機会は少なくなかっただろうし、2004年にはブルネイ皇太子の結婚式で皇太子浩宮と隣同士の席になり、歓談している。
 
■ 「国家元首の鑑」

 実はサウジだけでなく、アラブの王室が日本の皇室を尊敬していることは、アラブに通じた人の共通認識になっている。1970年代の石油危機のとき、大協石油(当時、いまのコスモ石油)の中山善郎社長が、アラブ諸国から石油の安定供給を受けるには「皇室外交があれば最高」「菊の御紋の威光はアラブの王様に絶大」と語ったことは知られている。

 元駐クウェート大使の小溝泰義氏(現・広島平和文化センター理事長)は大使時代の2012年3月、サバハ首長の国賓での日本訪問に同行した。天皇陛下は心臓の冠動脈バイパス手術を受けたばかりで、静養中だった。同首長は内々に「体調が万全でなければお会いできなくていい」「皇太子が名代を務められれば十分」と日本側に伝えていた。

 しかし天皇陛下は宮中晩餐会こそ皇太子を名代に立てたが、歓迎式典の後の会見と、お別れのあいさつのため迎賓館に足を運んだ時の2回、病後にもかかわらず会われた。お別れの時、同首長は30分も前から迎賓館の控えの間で天皇の来訪を待っていたという。

 同首長は小溝大使に、「天皇陛下はまれに見る名君」「体調が十分でないにもかかわらず、その態度と振る舞いは国家元首の鑑」と繰り返し語ったという。それだけ天皇陛下は強い印象を与えた。
 
■ 精神性の高さ

 アラブの王室の皇室に対するこの尊敬の念はどこから来ているのか。さきの中村氏は3点を挙げる。

 第1は、日本の皇室が万世一系の、世界でも珍しい長い歴史と伝統を保持していること。第2に、皇室が日本国民の幅広い尊敬と支持を集めていて、「自分たちもこうありたい」という願望。第3に、華美や贅から一線を画した精神性の高さ。

 欧州やアジアの王室と皇室の交流はよく語られるが、アラブの王室が皇室に注ぐ視線と尊敬の念はもっと知られていい

毎日新聞客員編集委員・西川恵

Foresight(フォーサイト)|国際情報サイト
http://www.fsight.jp/

 
 天皇家のルーツはアラブにあると、かの八切止夫氏が属するスメル学会(バビロニア学会)は、1974年に「天皇アラブ渡来説」を上梓しましたが、それ以外にも民間の考古学者の吉田信啓氏は、交流のあったオランダの歴史学者レイノード・ヨンゲ博士から興味深い手紙を受け取っています。
 

「ところで、珍敷塚をはじめとする福岡県の古墳もチブサン古墳などに代表される熊本県のものも、また前記した奈良県の高松塚古墳など日本の装飾古墳は4~7世紀の築造と考古学ではとらえられている。しかし、ヨンゲ博士は2006年6月21日のメールで、私にこう告げて来た。『ヨーロッパなどよりずっと古いもので、少なくとも一部は紀元前1000年、場合によっては紀元前5000年に達しよう』と。

 これは驚くべきことだ。仮に紀元前5000年のものなら、エジプト文明は紀元前3000年~前2000年の間にその最隆盛期に達したから、日本の装飾古墳の絵柄のほうがより古いことになるからだ。以下に、ヨンゲ博士が送って来たメールの大意を示そう。

日本の考古学は、特に戦後のGHQの指導下で編年が行われたせいで、年代を政治的に繰り下げられている。装飾古墳中でたまたま5世紀や6世紀の人骨とか土器などが発見されたことから、古墳の年代をそれに合わせただけなのだ。実際は装飾古墳は紀元前5000年の巨石時代に造られていたもので、当初は墓でさえなかったかもしれない。時代の流れのなかに種々そのときどきの需要に合わせて用いられ、石棺や副葬品などが置かれて墓ともなった。そうしたことのために、戦後の日本の考古学が編年したにすぎない。だから原点に戻ってすべての古墳の年代測定をやり直すべきだ

 ヨンゲ博士の持つ日本の知識、特に戦後日本の認識の深さは驚くほどのものがある。私もまったく同感であり、その強烈な指摘は的を射ていると思われる。先述した”私憤”にもかかわってくることだが、戦後のGHQによる日本占領政策は『日本の国体の神聖さを喪失させ、神国・日本という思想によって再び軍国主義の日本に戻らないようにする」とした原則で行われて来た。そこからの学問統制が目に見えない形で実施され、歴史学・考古学・国語学等々の学会はそれに沿うものをこぞって唱和してきたのだ。

 いわば、戦後の日本はGHQにより骨抜き支配されたのである。その骨抜きの最大の手法は、神話をなくす(知らさない)崩壊教育だった。前述したように神話は民族の尊厳にかかわり、神話のない国家は国旗や国歌のない国も同然である。日本国民は神話を持たない民にされ、彷徨える民となって占領国の属国民に落ちぶれて行く。その趨勢の助長に加担させられたのが日教組だった。」

ダーリンはフランス人 in 韓国 – より

 
吉田 信啓 – Wikipedia
 
 最後の「日教組でんでん」はアレとして、古墳の年代が政治的に繰り下げられているというヨンゲ博士の指摘には、大いに腑に落ちる点がありますw。
 
ここにも日本とアラブの繋がりが
2013年8月31日
 


天皇アラブ渡来説
スメル学会 (著)

 
 最近では、奈良の都にペルシャ系渡来貴族がいたらしいことが明らかにされつつあるようで、新しい歴史教科書も、聖徳太子が厩戸皇子と書き換えられるとのニュースを目にし、そのうちキリスト教(景教)の伝来も時代を遡るコトになるんだろうと、感慨深いものがありますw。
 

「聖徳太子」守れ つくる会が次期指導要領案で要望 「日本主体の古代史ストーリーが崩壊する」
産経 2017.3.7 20:55


太子像(太子道日本遺産認定推進協議会提供)

 文部科学省が2月に公表した小中学校の次期学習指導要領改定案について、「新しい歴史教科書をつくる会」(高池勝彦会長)は7日、現行の「聖徳太子」を「厩戸王(うまやどのおう)」との併記とした歴史用語の変更を取りやめるよう求める文書を文科省に提出した。

 文書では、「厩戸王の呼称になれさせようとしている」と指摘。「律令国家形成の出発点となった聖徳太子を抹殺すれば、日本を主体とした古代史のストーリーがほとんど崩壊する」と批判している。

 改定案では、人物に親しむ小学校で「聖徳太子(厩戸王)」、史実を学ぶ中学で「厩戸王(聖徳太子)」に変更。文科省は、歴史学では「厩戸王」が一般的としている。

 
 つまり、「倭の国」は歴史的に重要じゃないと?「日本」が歴史の表舞台に登場するのは「白村江の戦い」以降であり、それ以前の歴史を「つくる会」はどう考えているのか?「新しい歴史教科書」などとブチあげながら「古い歴史教科書」のままにしておけとは…

ヘソで茶が蒸発するわw!
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 

広告