白江の口の戦い

白村江の戦い – Wikipedia

名 称

日本では白村江(はくそんこう)は、慣行的に「はくすきのえ」と読まれることが多い。「白村江」という川があったわけではなく、白江(現錦江)が黄海に流れ込む海辺を白村江と呼んだ。

「江(え)」は「入り江」の「え」と同じ倭語で海辺のこと、また「はくすき」の「き」は倭語「城(き)」で城や柵を指す。白江の河口には白村という名の「城・柵(き)」があった。

ただし、大槻文彦の『大言海』では「村主:スクリ(帰化人の郷長)」の「村」を百済語として「スキ」としている。

漢語では白江之口と書く(旧唐書)。

 
 「村主(スグリ)」という苗字がありますが、してみると全国の「村主」さんは、帰化人の末裔か何かになるんですかね?さらに言えば「村」という名称そのものが、そもそも帰化人の集落を意味しているのかも知れませんw。

 ま、それはさて措き、「白村江の戦い」が日本史の一大転換点であったコトに、異論を挟む人はいないと思います。

 ブッチャケ、「白村江の戦い」に敗戦した結果…

日本の歴史はリセットされた

…と言えます。経緯としては、進駐軍が日本を統治するに当たりその正当性を知らしめるために、先ずは全国各地の豪族に「風土記」の編纂と提出を求め、集められた各地の「風土記」を合体=ひとつの物語に合成したものが「古事記」であり、「日本書紀」だという話。

 聖徳太子を「厩戸皇子」に変更するのしないのと文科省がブレていますが、歴史的事実からすれば、聖徳太子は後の時代に命名された名であり、「本名」はあくまでも「厩戸皇子」です。聖徳太子はいわば「芸名」であり、「本名」より「芸名」を優先する日本の歴史教育って…

ナンダカナw?

…と首を傾げたくなりますw。
 

一転「聖徳太子」復活へ 指導要領改訂案
日テレNEWS 2017年3月21日 14:49
 

 
 文部科学省は、2021年度からの中学校の学習指導要領で、『聖徳太子』をやめて『厩戸王(うまやどのおう)』と表記するなどとした改訂案を、一転して元に戻す方針を固めた。

 文部科学省は今回、中学校の学習指導要領を改訂するにあたって、『聖徳太子』という呼び名が死後につけられたという理由から、『厩戸王(聖徳太子)』と表記するとしていた。また、江戸時代にもオランダや中国などとは交易していたとして『鎖国』の表記を取りやめたり、『元寇(げんこう)』についても、モンゴル帝国の拡大を分かりやすく教えるために『モンゴルの襲来(元寇)』と表記を改めたりするなど、なじみ深い歴史用語をなくす方向で検討してきた。

 しかし一般からのパブリックコメントを募ったところ、「小中学校で聖徳太子の表記が違うのは分かりづらい」「幕末に『開国』があるのに『鎖国』がないのは分かりにくい」「教え方が複数あると現場に混乱を招く」などの意見が相次いだため、一転して元に戻すことにしたという。

 
 日テレNEWSもイイカゲンだわw、「厩戸王」じゃなくて…
 
厩・戸・皇・子!
 
 後年、「聖徳太子」と命名したのは政治目的によるものであり、そして現在「聖徳太子」の名に固執する「日本会議」も同じように…

政治目的

…があるというコトで、その尻馬に乗る歴史学者にも…

恥を知れ!

…と。
 

 
 政治と学問を一緒くたにされてはたまりません、まるで「1984年」の世界ですw。
 

… 一時間前には想像すらできなかった同志オグルビーが、いまや現実のものとなっていた。生きた人間は作り出せないが、死んだ人間は作り出せるという事実が彼の心を打った。同志オグルビーは決して今を生きたことは無いが、過去には生きていたのだ。そしていったん偽造行為が忘れられれば、彼はカール大帝やジュリアス・シーザーと同じように疑い無く、確固とした証拠のもと存在することになるのだ。 …

「1984年」 第一部 四章 – より

 
 ついでに言うと、最近ワタシ…
 
藤原不比等も架空の人物
 
…ではないかと疑っています。不比等という名は史(ふひと)=記録編纂職をもじった名前であると考えると、不比等の数々の業績は「白村江の戦い」の後に日本に進駐してきた唐、および新羅による介入を、国内の政治改革に書き換えることで統治の潤滑化を図ったのではないかと?
 

ふひと 【史】

古代日本の姓(かばね)の一つ。文書記録の仕事を朝廷で担当した文人(ふみひと)が転じて史と呼ばれ,それが姓となったもの。史の姓を賜った記事の《日本書紀》における初見は,欽明14年7月条の〈王辰爾(おうしんに)を以て船長とす。因りて姓を賜いて船史とす〉である。史の姓を帯びる氏族には,船史のほか,阿直岐(あちき)史,田辺史,白猪(しらい)史,津史などの諸氏族があり,いずれも渡来系の氏族であった。これらの氏族が文書記録の仕事に携わっていたことは,船史を賜姓された王辰爾が船に関する税の計算記録に当たったという伝承,白猪史を賜姓された王辰爾の甥胆津(いつ)が白猪屯倉の田部の賦課対象者の籍を検定したという伝承などによって知られる。

世界大百科事典 第2版

 
 つまり、歴史改竄(捏造)という壮大な事業の功績を、藤原不比等という架空の人物に集約させたのではないか?という話。

 一例を挙げると、「大化の改新」はなかったというコトが共通認識になりつつありますが、その「元ネタ」として新羅の「毘曇の乱」が論じられています。
 
【九州王朝 倭国】 「大化の改新」は無かった
 

 


善徳女王 – Wikipedia

 
 話を戻すと、「白村江の戦い」に破れて日本の歴史はリセット(リスタート)されたというコトは…

ほぼ疑いようのない事実

…であり、それを受け容れた上で「愛国者」でいられるか?という話。

 つまり、イデオロギーに囚われず、理性を失わずに「歴史」は「歴史」として受け止め、繰り返し述べている「歴史的支配階級」(「日本会議」のような団体)を退け、大げさな言葉で言えば…

「万民が公平に暮らせる日本」

…を実現するか否かという話であり、いま、その時に差し掛かっていると、ワタシとしては思うワケですw。
 

 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 

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