天皇陛下が「家康の時計」を鑑賞したそうなw。

 歴史を遡ると、幕末期の孝明天皇は長州藩を嫌い「公武合体」天皇と将軍の同盟を望んでいたにも関わらず志半ばにして崩御。
 

『一外交官の見た明治維新』 アーネスト・サトウ

…また、彼らは、天皇ミカド(訳注:孝明天皇)の崩御を知らせてくれ、それは、たった今公表されたばかりだと言った。噂によれば、天皇ミカドは天然痘にかかって死んだということだが、数年後に、その間の消息に通じている一日本人が私に確言したところによると、毒殺されたのだという。
 
この天皇ミカドは、外国人に対していかなる譲歩をなすことにも、断固として反対してきた。そのために、きたるべき幕府の崩壊によって、否が応でも朝廷が西洋諸国との関係に当面しなければならなくなるのを予見した一部の人々に殺されたというのだ。…

(上巻, p.234)

 
 その後は歴史教科書に書かれている通りです。14歳の明治天皇を長州藩は担上げ、孝明天皇の意に反し倒幕へと時代は突き進みます。

 歴史に「もし」は無意味ですが、「もし」孝明天皇が崩御しなかったら…

日本はまったく違った道を歩んでいた

…でしょうし、二度の大戦に巻き込まれるコトも無かったかも知れませんw。

 ま、いまさら何を言っても詮無きコトで、「徳川幕府」を懐かしむ気はありませんが、かといって明治維新政府に正統性があるか?というと些か疑問です。なにしろ維新政府の主役である長州藩には「長州ファイブ」といったような、大英帝国の影響が色濃い人士が多過ぎますw。
 


長州五傑

 

『一外交官の見た明治維新』 アーネスト・サトウ

…私たちには、さして高官でもない伊藤のような人物がこうした二役の兼任に適していると考えられたり、また一般の人民が容易にそれらの人間に服従するということが奇妙に感じられたのだが、私の日記にも書いてあるように、日本の下層階級は支配されることを大いに好み、権能をもって臨む者には相手がだれであろうと容易に服従する。ことにその背後に武力がありそうに思われる場合は、それが著しいのである。

伊藤には、英語が話せるという大きな利点があった。これは、当時の日本人、ことに政治運動に関係している人間の場合にはきわめてまれにしか見られなかった教養であった。

もしも両刀階級の者をこの日本から追い払うことができたら、この国の人民には服従の習慣があるのであるから、外国人でも日本の統治はさして困難ではなかったろう。…

(下巻, p 140 – 141)

 
 現代日本人にも、「服従の習慣」とやらは残っているんですかねw?少なくとも先の大戦中までは残っていたようですが。
 

…そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。

 このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。

 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。…

『戦争責任者の問題』 – 伊丹万作

 
 「アメリカ」が化学兵器の使用を口実にシリアを独断でミサイル攻撃したワケですが、多くの「先進国」の首脳が支持を表明している現状に暗澹たる思いですw。

結局この世界は「強者」のゴリ押しが通ってしまうのか?

 否!ワタシたちは過去の過ちから学んできたハズ。でないと実質…

人間は退化する一方

…ということになります。

 「文化」「伝統」を重んじるのも結構ですが、そういったものはいわば「止まった時間」の中に存在するのであって、日々更新されていく人間の営みとは分けて考える必要があります。そしてワタシたちにとってより重要なのは日々の営みであり、その改善に向けた弛まない「前進」であるというコト。
 

 

両陛下、スペイン国王夫妻と「家康の時計」鑑賞 静岡
朝日デジタル 中田絢子 2017年4月7日18時42分


徳川家康の洋時計を見る天皇、皇后両陛下、スペインのフェリペ6世国王夫妻。左端は久能山東照宮宮司の落合偉洲さん=7日午後0時40分、静岡市葵区の浮月楼、嶋田達也撮影

 天皇、皇后両陛下は7日、国賓として来日したスペインのフェリペ6世国王夫妻を静岡市へ案内し、市内の料亭「浮月楼(ふげつろう)」で、約400年前にスペイン国王から徳川家康に贈られたというぜんまい式西洋時計を鑑賞した。

 この時計は、1609年に千葉県沖でスペイン船が遭難した際、乗組員を保護したお礼として、約2年後に贈られた。高さ約21センチ、幅約10センチの金銅製の箱形で、ドーム形の屋根部分には、細やかな透かし彫りが施されている。天皇陛下は「どこでつくったものですか」と尋ね、「1581年」「マドリード」などと記された銘板を確認した。国王は「スペインと日本の友好のシンボルとして非常に大切なもの」と語った。

 両陛下と国王夫妻は、静岡浅間神社にも足を運び、地元の小学生らによる郷土芸能「稚児舞」を鑑賞。その後、神社内で別れのあいさつを交わした。この日は雨。宮内庁によると、国王は「今回は富士山が見えませんでしたが、必ず再び訪日して晴れた日の富士山を見たい」と伝え、天皇陛下はうれしそうにうなずいたという。(中田絢子)

 
 平和が何よりです。

知力勝負だw!
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 

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